第18話 欠けた月を結ぶ

 水面は澄んだ光を反射する。月の光。それも元は太陽の輝きだ。

 柚希は家に帰れないときは、よく通学路の途中にある橋の下で過ごした。そこが居場所だったのではない。反対側の河川敷にはたくさん人もいたし、こちら側もいつもひとりでいられたわけではない。けれど日が沈むと夜の闇に柚希の存在はよく紛れた。

 ただ静かに流れる川の流れにゆらゆらと幻が浮かぶ。

 猛った濁流。それは大雨が降った後だったか。当時近所にあった増水した用水路に柚希は落ちた。それは意図したものだったのか事故だったのかはわからない。

 ぼんやりとあの世とは何もない世界だなと感じた。意識がはっきりしてくるにつれ身体に残ったいくつもの大きな怪我の痛みや熱の苦しみの中で、奇跡的に命をつないだ事実が淡々と提示されていく。当時、柚希は恐怖に圧倒された。

 世界に終わりは来なかった。それは偶然で、たまたまで、幸運にもそうなったにすぎない。それが文字通り幸せだったのかは分からなかったが。

 そのときを境に柚希の世界から母は消えた。

 柚希はその病院で初めて自分が生まれてきたことを祝ってもらった。同室になった女性に白い本をもらった。真っ白で表紙には金の箔押しで文字が刻まれた本。当時の柚希には難しくて読めなかったが、病院の職員やたくさんの人たちとの記憶とともに柚希の心の拠り所になった。

 簡単に死ねない。たとえ自分の生存本能を屈服させられたとしても。

 橋の影に隠れて柚希は思った。

 お前は橋の下で拾ってきた子供だ。そんなふうに言われると小さい頃は恐ろしくなるそうだ。それは子供をしつけるという名目でつかれる嘘。しかし、もし事実であったならとても幸運なことではないかとも思う。そこに親になる人がいて、命がある。

 橋の下は見えない。それは罪悪感がそうさせるかもしれない。けれどそこに捨てられた子供は親の意図とは関係なく誰にも気付かれずに死ぬだろう。しかし、抱き続けた子供はいつか弱り切った親の生きる力を奪い尽くして死に追いやるかもしれない。繋がりが失われて救われる人生もあるのではないか。

 柚希は橋の袂、空が見える場所に座っていた。今の柚希には分かる。本当のひとりになりたかったのではない。いつか誰かが気付いてくれるのを待っていたのだ。

 今の柚希は、生まれてきたことを嘆いて泣くだけの赤子ではない。

 夜空の満月。橋の下から見上げる柚希には、月はいつも何かが欠けたように見えた。夜空の星々の輝きを焼き殺して揚々と昇る月。あまりにも無自覚で容赦がない。けれど柚希はそれを残酷だと思うことはなかった。

 月に何が欠けているのか分かるからなのかもしれない。

 柚希の記憶に残る橋は、今は架け替えられてもうどこにもない。

 大切な誰かを不幸にはしたくない。たとえ自分がそうなろうとも。柚希はこれからの自分に出来ることを考える。

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