第3話 迫られた選択
「で、どうする……?」
春人はため息をついた。
――どうしよう。
柚希は全く分からなかった。どんな選択肢があるというのか。
文芸部員として先輩の活動は見てきたし、読書感想文くらいなら書いたこともある。だから全く分からないというのは間違いかもしれない。けれど裏を返せばその程度のことしか分からないということだ。
目の前のテーブルには中学の卒業文集のような冊子が5冊。直近5年の文芸部としての活動の証だ。簡素な装丁で、市販されているような雑誌のような立派さはないが、本といえば確かに本だ。
重要なのは何が問題になっているのかということだ。
「やるの?」
春人が困った顔で柚希を見る。
やるか、やらないか。やらないという選択なんてあるのだろうか。
現状、文芸部の部員として活動できるのは柚希と春人の2人だけだ。春人に至っては文芸部員としての活動は全くしていないし、先輩との交流すらほぼ無い。
来月に控えている文化祭には、文芸部は毎年文集を発行していたという事実がある。
柚希にとって、確かに先輩方が伝統のある文芸部の姿を目の当たりにしてどう思うのだろうという心苦しさはあった。ただ、それは今始まったことでなく特に今、問題になってはいない。
困っているのは、今日、担当顧問より文化祭に部の活動の記録として出品するよう指示を受けたもの。
つまり柚希の目の前にある文集だ。
文化祭までに文集を作る。
それが課題だった。
他に出来る人がいたのなら、そんなこと自分にはとても無理だと即答していたはずだ。
文集を作るということは書いた何かがこの先も残り続けるということ。つまり文芸部の看板にべったりと泥を塗ることになる。分かっているし柚希も望まない。
けれど部の今後を考える。入ってくるかもしれない後輩たちに残すべきものは文集ではない。文芸部そのものだ。
現状、一年生の部員はいない。この先も新入部員がいなければ文芸部は無くなるかもしれないと聞いている。ただそれは、もしもの話。今はまだ確かに存在している。
柚希がここで部としての活動をしないという判断をすれば、未来の後輩たちの活躍の機会を奪うことにならないか。そんな決断が自分に許されるのだろうか。
許されない。自分という存在の犠牲となることを部活動にまで強いるのか。
いなくならない以上、自分の周囲に迷惑はかかる。しかし程度の問題だ。どちらを選ぶのが正解か。その一点だけを柚希は精一杯考える。
今まで続いてきた伝統を自分が絶やすわけにはいかない。それは自然消滅などではない。柚希の意志だ。
柚希は進学を考えていない。この時期の中間テストは赤点でなければ問題ではないだろう。出来上がる文集がどんなに酷くても、次があって自分でなければその汚名を雪ぐこともできる。
――やるしかない。
柚希は首肯した。
春人は再びため息をつく。首を振った。
「……ユズがやりたいなら、止めないけど」
眉を顰めて春人は続ける。
「俺は何にもできないから」
目をそらす春人。
柚希は春人は何を言っているのだろうと思った。
春人の反応は妙な感じがする。自分の聞き間違いを疑った。態度はいつも通り。言葉に違和感を感じたのか。
やると決めれば、文集の作成は柚希のすべきことだ。当然のことだと思う。だからこそ、わざわざ春人が、まるで何かをしなくてはいけないのにできないと申告しているように聞こえて不思議だ。
――もしかして。
いや。柚希は自分の考えを即座に否定する。いよいよ自分は現実と空想の区別もできなくなってしまったのか。何を期待したのか。
しかし柚希の予想はあっさりと退けられた。
春人の口から出たのは、柚希の否定をさらに否定するものだった。つまり柚希がありえないと考えたそれは、あったと知る。
「ユズは、何考えてるのか分からないし、文字を打つのも遅いし、たぶん、文集を作るってなると、一人じゃとても間に合わない気がするけど」
春人は柚希の目を見る。
「俺も、何したらいいのか分からないし、でも、できることがあったら言ってくれよな」
春人は言って苦笑した。
――。
あるに決まっている。
柚希は驚きに身が震えた。
また言葉にならない。
できることはあるに決まっている。
春人は柚希のできないことをたくさんやっている。人間関係において、勉学において、スポーツにおいてもそう。柚希が力を尽くして乗り越えられない壁を、春人はいとも容易く飛び越えてみせる。そしてこれからもそうだろう。
柚希の思考がそこで停止した。
唖然としたまま、いくらかの時が流れた。
「……あの、ユズ、聞いてる?」
春人の声とともにまた時間は動き出す。
柚希は我に返って、また意識が現実世界から離れていたことに気が付いた。いけない。
「……う、うん」
辛うじて、柚希は応えた。
「じゃあ、何をするのか考えないとな」
春人は笑いを堪えている。そんな表情と素振りだ。
実際、声を出して笑いたいのかもしれない。
何が可笑しいのか分からないが、柚希は慌てて頷いた。
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