絶交の合図

たれねこ

絶交の合図

「もう智紀ともきとは絶交だからねっ!!」

 喧嘩したり、気まずくなると、憩衣いこいは右目の下を指で引き下げ、舌を出しながら決まってそう言う。それが彼女なりの絶交の合図なのだろう。

 俺たちは何度そうやって絶交しただろうか? 最長で一週間。最短で数分。子供のころから繰り返してきて、高校生になった。

 俺たちは互いに惹かれあっているのを知っている。だけど、きっかけもふんぎりも覚悟もなく、なんとなくだらだらと居心地のいい幼馴染という関係を続けてきた。

 しかし、俺が久々に彼女から絶交の合図を送られたあの週末から関係に変化が生じ始めた。


「ねえ、智紀ってキスしたことある?」

 憩衣は俺の部屋でそんなことを唐突に聞いてきた。その日は学校帰りにそのまま俺の家により、一緒に課題をしていて一息ついたときだった。

「は、はあ? いきなりなんだよ。ねえよ」

「だよねーっ」

 憩衣は声を出してケラケラと笑う。

「じゃあ、試しに私としてみる?」

「お前、冗談でもそんなこと言ってるといつか痛い目にあうぞ」

「だいじょーぶ! こんなこと智紀くらいにしか言わないし、こんなんで顔真っ赤にしたりしてくれるのあんたぐらいだもん」

 俺は少しカチンと来た。少し驚かして、俺に対する不遜な態度をこの際だから改めさせてやろうと思った。

「あのな、俺だって一応これでも男なんだぜ? あんま舐めたことしてると……」

 俺は顔を憩衣の顔に近づける。キスしてもいいと思った。まあ、いつもの憩衣ならビンタするなりなんなりしてそれを拒むだろう。


 しかし、憩衣は受け入れ俺たちは生まれて初めてのキスを交わした。


 唇を離し、体を離そうとすると首元が引っ張られるような感覚がした。憩衣が制服のネクタイの先を指先で握っていたのだ。そして、ネクタイを引っ張るようにして顔を引き寄せ、人生で二度目のキスをする。

 憩衣の目がとろんと潤んでいて、暖かい吐息が顔にかかる。

「もう後戻りできないけどいいのか?」

 憩衣は小さく頷いた。俺と憩衣はベッドの上に場所を移し、向き合うように座り、気持ちを確かめ合うようにもう一度唇を合わす。

 憩衣は俺のネクタイを外そうと、その細く白い指を掛ける。そして、指を掛けたネクタイの先から小さく震えだす。憩衣の緊張が伝わり、俺はその冷えた憩衣の指に手を重ね、一緒にネクタイを外し、シャツのボタンを外す。

 そして、今度は憩衣の番。俺に身を任すかのようにベッドに横になる。俺は憩衣の制服のシャツのボタンを外していき、首もとのリボンに指を掛ける。しかし、解き方が分からず、緊張から固まってしまう。そんな俺の指に今度は憩衣が指を重ねる。解いたリボン、現れた白い下着と少し汗ばんで紅潮してる白い肌――。

 俺は思わず唾を飲み込む。その柔らかな四肢に触れる時、憩衣はどんな表情を俺に向けるのだろうか? そっと手を伸ばしたその瞬間、家の中に玄関の扉が開く音が響く。

 俺と憩衣は顔を見合わせ、我に返る。そして、現状を把握すると――シャツのはだけた潤んだ目の女の上に乗る半裸の男。これは親に見られたら紛れもなくデッドエンドこのうえない状況だった。

 憩衣もそれに気付いたのか、先ほどとは違う風に顔を赤らめ、目を潤め、急いでシャツのボタンを閉めなおし、自分の鞄とブレザーを持って部屋から飛び出していった。今部屋から出たら親と鉢合わせて、気まずくなるだろうにと俺もシャツのボタンを閉めながら心配したが、聞こえる音からはうまく回避したようだ。

 そして、母親が部屋をノックして、

「ねえ、智紀。もしかして、さっきまで憩衣ちゃん来てた?」

と、顔を覗かせる。

「ああ、そうだよ。さっきまで一緒に課題してた」

 嘘は言っていない。母親は露骨に残念という風にため息をつく。

「もう少しゆっくりしてくれたら夕食一緒にできたのに……」

「そのうちまた来るだろ。そのときに誘えばいいだろ」

「そうね」

 母親はしょんぼりと扉を閉めていった。それを確認して、まだ火照る顔を冷やしたくて窓を開けるために立ち上がる。

 なんというか、明日から憩衣に顔を合わせずらいというか、どんな表情で会えばいいのか分からなくなった。

 窓を開け、縁に肘を置き、なんとなく、道路を見下ろす。そこには憩衣が窓を見上げるように立っていた。そして、憩衣は俺の姿を見つけると、自分の首下を指差した後、部屋の中を見るようにと指示するかのように指を差す。俺はその意図を確認するために部屋の中を見回す。ベッドの上に憩衣のリボンがそっと置かれたままだった。

 俺は憩衣に分かったことを伝えるためにオッケーマークを作って見せる。

 それを見た憩衣は今まで見た中で最高の笑顔を見せた後、悪戯っぽく、右目の下を指で引き下げ、舌を出す。そして、踵を返して、憩衣の家のほうに向かって歩き出していった。


「何でこのタイミングで絶交宣言なんだよ。どうせ、週が開けたら、会うんだからもって三日の絶交だろうな」

 俺は憩衣の後姿を見ながらため息を一つつく。そのタイミングで憩衣からメールが届いた。


『今日で幼馴染で友達としての智紀とは絶交だからね。これからは恋人だからっ! 間違ったら本当の絶交だからね!』

 俺は、それを読んで声を出して笑う。


 そして、俺も絶交を受け入れる返事をする。次はどんな顔で憩衣と会おうか? 俺はこれから憩衣に恋をしていくのだから、やっぱり笑顔がいいだろうか?


 俺と憩衣の間柄だ。右目の下を指で引き下げ、舌を出したほうがよさそうだ。

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