第13話 それは、呪いだ
それは、半ば以上、予想していた言葉だった。
だから、シホが一切、言葉を紡ぐことができなかったのは、驚きのせいではなかった。
シホの知る『紅い死神』リディア・クレイが、アルバという少年であること。
シホは、確かにリディアという人物のことを知りたいと願った。フィッフスが似ている、と言い、自分では、似ても似つかないと思う、強く、孤高である人。『紅い死神』リディア・クレイが、どのようにいまの強さを身につけていったのかを、知りたいと思った。しかし、それは、自分のように、ただ強いリディアに縋ることしかできない人間が、安易に知ってしまってよかった内容とは、到底思えなかった。その重さが、シホのあらゆる言葉に蓋をした。
「シスター・リディア。彼女の姓名がリディア・クレイ。アルバは、この先も生きていかなければならない自分に、ずっと罪を背負っていくための魔法をかけた。リディアの名前を騙る、という魔法を、ね」
それは、呪いだ、とシホは思った。魔法などではなく。
「この子が背負ってしまったものは、リディアを手にかけた罪の記憶さえも、薄まってしまうかもしれない程、長い長い年月をかけることになるものだった。だからそれを知ったアルバは魔法をかけた。絶対に忘れないための魔法を」
「長い、年月……?」
シホはわずかに首を傾げた。傾げながらも、冷静に働くシホの思考は、フィッフスのこれまでの言葉を頭の中で並べ始めていた。
アルバ少年が背負ったもの。
最愛の存在、シスター・リディアを手にかけてしまったという罪。そして、それとは別の、何か。
生きていかなければならない、というフィッフスの言葉。
生きていく、のではなく、生きていかなければならない、という言葉。
そして、長い年月、という言葉。
そこから導き出されるものは、一つだけだった。
「『統制者』……」
シホの呟きのような言葉に、フィッフスが頷くのが見えた。
「この子が言うにはね、『統制者』が目覚めたのは、偶然じゃあなかった。確かに、きっかけはあの夜の、アルバの祈りだった。でも、百を統べる者は、目覚めの時を待っていた。それは、『統制者』が制御しなければならない存在たちが、先んじて活動を再開したかららしい。そう『統制者』がこの子に話したそうだよ」
それは、おそらくアンヴィではない。
丘陵遺跡群で、シホが戦ったアザミ・キョウスケ。
そしてリディアが戦った赤髪の男。
彼らは明らかに魔剣を戦闘に使っていた。それも初めてではない。完璧に使いこなしていた。
全ての魔剣を制する。
その目的の為に作り出された百一本目の魔剣が、目覚めた理由。それが、再び全ての魔剣を眠りにつかせること、なのだとすれば、アザミ・キョウスケたちのような謎めいた存在や集団が、『統制者』の目覚めを引き寄せたのかもしれない。もちろん、シホもその手に魔剣ルミエルを握っている以上、『統制者』の復活が、全ての魔剣に呼応して、というのであれば、シホ自身も『統制者』復活を引き寄せたうちの一人となる。それがわかって、シホは背筋が凍るような衝撃が、四肢の先まで伝わるのを感じた。
「その目覚めに立ち会ったアルバは、『統制者』の導き手となった。いや、なってしまった。それゆえに、アルバは、活動している全ての百魔剣を封じ、破壊するその日まで、戦い続けなければならなくなった。百振り全て、余すことなく制する。それが終わるまで、『統制者』の導き手となったアルバは、死ねないのさ」
死ねない、といったフィッフスの言葉からは、比喩的な響きを感じることができなかった。
「『統制者』と言えども、それを扱い、振るう者、導き手は必要になる。『統制者』の恐ろしいところは、一度導き手として契約を結んだものを、決して手放さないところなんだよ」
リディアの頭を撫でるフィッフスの表情が、気がつけば変わっていた。強い憎悪と嫌悪が入り混じった眼光と、強張った頬。それまでリディアに向けられていた、母親のような柔らかい表情とは、あまりにも正反対の感情が込められた様にシホは気づき、驚いたが、よく見ると、フィッフスの視線は、リディアの頭越しに、寝台の向こうの壁に、無造作に立て掛けられた剣に向かっていた。
柄や鍔に特別な装飾はない。革製の鞘に納められていれば、あの特徴的な刃の色が見えないため、何の変哲もない一振りの剣に見える。それが『統制者』という魔剣であることなど、誰も気づきはしないし、信じもしないだろう。
「『統制者』は導き手を失い、再び自分が眠りについてしまうことを許さない。導き手の生命を支配しても、それだけは絶対にさせない魔剣なのさ」
「それは、どういう……」
答えを求めかけて、シホはその途中で気づいた。
すなわち、リディアは生きているのではない。『統制者』によって、生かされているのだ。
『統制者』が自分の存在理由である、全ての百魔剣を制するその日まで。
それが全部でないにしろ、リディアの生命は、確実に『統制者』によって支配されている。
「アルバは、あの夜の後、何度も自分で自分を殺そうとした。わたしの目を掻い潜って、手首を斬り落としたり、腹を裂いたりしたんだよ。シスター・リディアを手にかけた自分を、許せなかった。だから、何度も死のうとした。けれどもその度に『統制者』が現れて、アルバを救った。いや、救った、と言えるのかどうかはわからないけどねえ。
とにかく、それからも、アルバが死ぬような怪我を負えば、その都度『統制者』が現れて、アルバの身体と生命を支配して、必要があればその超常の力でアルバにとっての敵を撃破した。そうして導き手を失わないように、全ての百魔剣を封じ、破壊するまで、戦い続けるつもりなんだよ、『統制者』は。この先も、例え老いたとしても、余程のことがない限り、それは続くんだろうねえ。全ての百魔剣を封じ、破壊するまで」
死ねない。
それは普通に考えれば絶対にありえないことである。だが、リディアと『統制者』の間では、それが日常になっている。
死なせない。
それは呪いだ、とシホは思う。
「アルバも、ある時から考え方を変えた。百魔剣の存在全てを憎むようになった。本当に憎んでいたのは、もちろん『統制者』のことであり、自分のことさ。でも、『統制者』と同じ作り方をされたもの、世界に同じ災厄を振りまくものを、彼は憎むようになった。そうなると、アルバと『統制者』の利害は不思議と一致したんだよ。死ねないのなら、死なせるな。おれの復讐に、お前の力を貸せ。アルバはそう言って『統制者』と折り合いをつけた。その頃からさ。この子がアルバ、という名前を捨てたのは。リディア・クレイを名乗り、いつ終わるともわからない戦いを始めたのは」
愛するものを守るために、二度と失わないために、力を手に入れたはずだった。
だが、その力が、愛するものたちを奪ってしまった。
誰も傷つけない。誰も傷つけさせないために、誰も傍には置かず、ただ一人、孤独に強大な百の力と戦い続ける。お前までこちらに来ることはない。そう言ったリディアの言葉には、自分と同じ境遇の人間、つまり、百魔剣の被害者たる人間を、誰一人生み出させない、という壮絶な決意があった。
「それを他人がどういうかは、わたしにはわからない。でも、この子がこの子なりに、背負ってしまった運命と、必死で戦っているのなら、わたしは応援することにした。わたしも、百魔剣を憎んでいる感情に、差はなかったからね」
フィッフスもまた、シスター・リディアという友を喪った。その憎悪がどれ程のものか、シホには想像でしか測れない。そして、想像でしか測れないものを、否定する言葉を差し挟むことは、シホにはできなかった。
「もし、本当にこの子が百魔剣全てを破壊する日が来た時に、わたしのしたことは愚かなことと言われるかもしれない。なぜ止めなかったと言われるかもしれない。でもね、高司祭さん、わたしたちには、あの夜を経験したわたしたちには、こんな風に生きる以外の道を、見つけることはできなかったんだよ」
フィッフスの頬を、雫が伝って落ちた。でも、それだけだった。たった一滴の雫だけが、フィッフスの目から零れ落ちた。
いつか、全ての魔剣を封じ、破壊できた時に得られるのは、自らの死という自由。
復讐と解放。
シホは、いつかリディアが口にした言葉を思い出した。
解放とは、自らの死を意味していたのだろう。『統制者』に寄らない、自分だけの、死。
それをわかっていながら、世界の誰一人として、自分のように傷つくことがないように戦うリディアと、それを遠巻きに支えるフィッフス。
それがどんなに過酷で、残酷なことか。
眠り続ける『紅い死神』リディア・クレイと、それを見守る保護者たるフィッフス・イフスを、シホはただ、交互に見つめることしかできなかった。
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