第12話 アルバ

「それがあの夜、わたしが目にした全てさ」


 長い昔語りを終え、フィッフスが息を吐いた。


 紅い刃の剣。


 百魔剣を制する『統制者』の目覚めた瞬間。


 恐らくはいま、リディアの手にあるその剣が目覚めた、その時の話を聞くことになるとは思ってもみなかった。しかし、なぜいまその話だったのだろう、とシホは思う。しかし、だからといってその疑問を、思い出して語るのも苦痛だっただろうと見えるフィッフスにぶつけることはできず、フィッフスも続く言葉を口にせず、しばしの沈黙が部屋の中を支配した。


「アルバはね」


 どれほど経っただろうか。フィッフスが口を開いた。


「夢を見ていたんだよ」

「夢、ですか?」

「あの夜、夜盗と化した敗走兵たちは、質素な夕食を口にしていたリディアと子どもたちの教会を突然襲った。逃げる間もなく子ども数人が手に掛けられ、それでもアルバはリディアを守ろうと必死になって、棒を振るったり、ものを投げつけたりして応戦したそうだよ。それでいよいよ身の危険が迫った時、地下の神殿のことを思い出した。あの『剣の神様』のことだよ」


 アルバが信じた『剣の神様』


 祈ることで、強さを授けてくれると信じた、地下教会遺跡に鎮座した彫像と、その手に握られていた剣。


「アルバは命からがら地下教会に逃げ込んだ。そこで、アルバは祈った。リディアと、自分の仲間たちを守ってくれ、と。守る力をおれに授けてくれ、と。そして、祈りに『神』は応えた」

「じゃあ、アルバさんが握っていた剣は……」


 その『神』が、『統制者』


 百魔剣を制するために生まれた、百一本目の魔剣だった。シホが理解を示すと、フィッフスは小さく頷いて続けた。


「それから暴れまわったアルバは、その時、夢を見ていたんだそうだよ。始めはリディアと、自分や仲間の子どもたちが、天気のいい昼間、教会前の草原で、花や緑に囲まれて、楽しく遊んでいる、いつもと変わらない風景だった。でも、誰かに呼ばれた気がしてアルバが振り返ると、そこには瓦礫の街が広がっていた。立ち並ぶ家屋には火が放たれ、至る所に躯が転がる、戦場の街だったって言うね」

「戦場……」

「アルバは戦災孤児だから、たぶんその光景も、もっと幼い頃に、本当に自分の目で見た光景だったんだろうねえ。そんな瓦礫の街に立って、アルバを呼んでいたのは、母親だったそうだよ。その街で、アルバの母親は戦火に巻き込まれて亡くなっていた。その母親が、生前と変わらぬ姿でそこにいたそうだよ。

 アルバの父親は兵士で、母親を奪った戦乱に駆り出されて、帰っては来なかった。その父親が家を出るときに、アルバに言ったんだそうだよ。、って。だから幼いアルバは母親を守ろうと必死になった。でも、戦火の前では幼いアルバは無力過ぎた。守ることも、逃がすこともできずに、母親は火のついた自宅の下敷きになって、助かることはできなかった。あの子がリディアを守ることに、異常なほど執着していたのは、その経験からだったのさ。

 とにかく、アルバは夢の中で死んだ母親に会った。いまだ瓦礫の世界にいる母に会ったんだそうだよ。アルバが母親に呼びかけると、母親は何も言わなかった。言葉を待っていると、また後ろから呼びかけられる。声はリディアと、仲間の子どもたち。もう行かなきゃ、とアルバは母親に言った。もし、母親が望むなら、アルバは一緒に瓦礫の世界へ行こうと思ったそうだよ。それが母親を守れなかった自分にいま、できることだから。そう思ったそうだよ。でも、母親は何も言わなかった。何も言わず、優しく微笑んで、自分の息子に背を向けると、瓦礫の中を歩いて行ってしまった。

 その時、アルバは強く、より強く思ったと言っていた。自分は瓦礫の世界に行かなくてもいいのだ、と。それから、母親の時には叶わなかった、守る、という願いを、必ず叶える、と」

「それが、アルバさんが見ていた、夢……」


 フィッフスはわずかに首を横に振った。


「まだ続きがあるのさ」


 そう言って、フィッフスは椅子から立ち上がり、リディアが横になっている寝台を挟んでシホと向き合うような位置まで歩いた。そこで振り返ると、さらに続けた。


「夢の中で、リディアと仲間の子どもたちに呼びかけられて、アルバが振り返ってみると、最前までそこにあったはずの明るい草原はなかったそうだよ。ただ、真っ暗な闇が、どこまでも広がっていたんだそうだ」

「闇……」

「ええ。だからアルバは思ったそうだよ。自分はあの瓦礫の世界から光の世界へ来たはずなのに、これじゃあ母親が逝ってしまった世界と変わらないじゃあないか、って。気が狂いそうで、叫び声を上げそうになった時、アルバの前に男が現れたそうだ。真っ暗闇なはずなのに、その男の姿は、はっきりと見えた。薄汚れた外套を、頭から被った、声の太い男は、アルバに聞いたそうだよ。お前の敵は、誰だ、って。アルバは答えた。僕たちの教会を襲っている男たちだ、と。すると、男は、少し考えたような間を置いて、こう訊いてきた。それだけか、って。本当に、お前の敵はそれだけか、ってね。だからアルバは考えた。考えてしまったそうだよ。男の声は、不思議な響きを持っていて、理由はどうあれ、この男に全て委ねてしまいたくなるような、そんな誘惑的な魅力があったそうだよ。ほんの少し、頭の中を巡り、自分にはシスター・リディアを守れない、とからかう子どもたちの姿が浮かんだ時、目の前の男が笑った。声を上げて笑った。そして言った。わかった、教会の子どもたちもだな、と」


 シホは息を呑んだ。フィッフスの昔語りの中にもあった。それは人格すら持ち得た強力な魔剣『統制者』が、敵味方の判断を下す時の件だ。


「アルバは慌てて否定した。でも、男はその否定を否定した。お前はいま、そう思ったじゃあないか、と窘められたそうだよ。そこからは聞く耳持たず、男は闇の中に消えていった。アルバはとにかく叫んだけど、あまりにも色の濃い闇に、アルバの声はどろりと溶けていくようだったと言っていた。それでもとにかく、アルバは叫んだ。ぼくはシスターに、いつでも笑顔でいて欲しいだけなんだ、シスターを守りたいだけなんだ、ってね」


 しかし、その声は、アルバが感じた通り、闇に呑まれて消えてしまったのだろう。話からするに、アルバの夢に出て来た男は、おそらく『統制者』の化身か何かだったのだろう。一方的な敵味方の区別、判断を下した『統制者』は、血の猛威を振るい続け、そして、あの結末を迎えた。


 守りたい人を、自ら手に掛けてしまった、あの結末。


 シスター・リディアは、息絶えたのだろう。


 と、そこでシホはようやくのように疑念を持った。


 リディアは、その夜に


 


「フィッフスさん……」


 シホは恐る恐る声をかけた。フィッフスはシホの方は見ずに、寝台に横たわるリディアに手を伸ばした。頭の上へと流した長い黒髪に手をやり、そっと撫でる。その所作は、まるで本当の親子のようにも見えた。


「その……アルバさんは……」


「アルバ。それがこの子の本当の名前だよ」

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