第15話 ローグの最後。そして、絶叫

 これは、初めての体験だと、リディアは思った。


 先日の旧王国時代の遺跡群。さらにその前、シフォアでローグに不意を突かれ、命を落としかけた時。リディアにとって、危機的状況が訪れた時、『声』は必ずやってきて、問いかけるのだ。


 委ねよ、と。


 これまでに何度も、リディアは『声』に自分の身を委ねて来た。同意の上で行われることもあった。半ば強引に奪われることもあった。そのいずれの時も、リディアは必ず意識を失い、その後あったことは覚えていない。

 稀に断片的な記憶があることがあるが、それは自分のものなのか、それとも『声』が興味本位で、意図的に残したものなのか、リディアにはわからなかった。


 だがいま、リディアの意識は、なぜかはっきりとしていた。自身の魔法を打ち消され、苦い顔で舌打ちをするローグの姿が正面にあり、それが紅い膜を通して見たように色づいて見えた。紅い剣を握った右腕、さらにその上腕から胸までにかけてが異常に重く感じられ、リディアはわずかに視線を落とす。見れば紅い、血の色に輝く刃のような無数の突起物が腕から肩、胸までにびっしりと生えていた。まるで身体の中から現れたように、切っ先を外に向けて生えた異形の刃は、呼吸をするように明滅を繰り返している。おそらく、右半身の首や顔の一部にも、刃は広がっていることだろう。


 なるほど、この形状か。


『声』が齎す身体の変質は、これまでの断片的な記憶の中で目にしていた。その形状は多岐に渡り、ほとんど毎回姿が異なるが、いくつかの規則性はあり、リディアもそれを把握していた。自身の異形化に対しては、それほど驚くに値しない。

 変質した身体には、その身体に変異した意味合いがある。『声』は、その戦い戦いに見合った形状にリディアの身体を弄る、と言っていい。過去に何度か見た、いまのリディアの肉体は、主に剣で戦うことを目的とした場合に起こる変化だった。


「それが……『統制者』かあ!」


 ローグがアンヴィを構え、叫んだ。


 リディアはそちらにゆっくりと視線を向ける。


『統制者』


 そう。それがリディアに話しかける『声』の名である。


 いまの言葉はローグの言葉なのだろう。アンヴィであれば『統制者』を知っている。姿が発現した時点でそれが既にリディアではないことはわかるはずだ。応える代わりに、異形の右腕と一体になった紅い剣を、弓を引くように顔の横で構えたリディアは、次の一歩と同時にその剣を突き出した。一歩目で常人の及ばぬ速さに達するリディアは、さながら撃ち放たれた矢それ自体となって、一瞬のうちにローグに肉薄した。

 想定外の速さだったのだろう。応戦しようとしたローグの目が驚愕に見開き、慌ててアンヴィの剣の腹を見せて防御に構えた。リディアはそれを確認し、そのままアンヴィに突きを当てた。

 リディアの突進の威力を抑えきれず、地に足を付けたまま、ローグの身体が床を滑るように退く。歯を食いしばり、どっと噴き出した汗に覆われたローグの顔が、戦慄に歪んでいるのが剣と剣の向こうに見えた。


 リディアは切っ先を上にあげて、触れ合っていたアンヴィを弾き上げるようにして紅い剣を引き寄せると、今度は袈裟懸けに斬り落とす一撃を見舞う。

 アンヴィを跳ね上げられたローグが、無理をして剣で受けようとすれば、その一刀で戦いは終わっていた。だがそれがローグのものか、アンヴィのものか、抜群の戦闘的勘を見せたローグは、跳ね上げられた勢いを殺さず、むしろ利用して、その身をさらに退くことで、リディアの一撃を躱した。


「『統制者』ああああ!」


 今度はアンヴィを構え直したローグが、得意の突きを繰り出してくる。だが、それはリディアの予想通りの動きだった。突き出されたアンヴィの切っ先を紅い剣が弾くとほぼ同時に、右半身を覆った紅い刃が輝きを強めた。

 次の瞬間、刃一つ一つから魔法が放たれた。切っ先の形をした無数の紅い光が、投擲された短刀そのものの鋭さで、突きを繰り出した姿勢のままだったローグに襲い掛かり、切り刻んだ。


 無言を悲鳴にして、宙に浮いたローグの身体に、リディアは無慈悲な一撃を加える。


 上段に振り上げた紅い剣を、宙に浮いたローグの身体のちょうど中ほどに真っ直ぐ叩きつけた。


 斬る、というよりも、殴る、という表現が正しい、鈍器のような一撃を受けたローグが、床に叩きつけられ、それだけでは飽き足らず、床そのものが、地面に着いたローグの背中を中心に、蜘蛛の巣のようなひび割れを起こし、轟音と共に陥没した。大部屋の床を構成していた化粧石と基礎の地面が砕け、凄まじい轟音と粉塵が、ギャプロンの屋敷の断末魔のように木霊した。


「くっ……うう……」


 ローグと共に、陥没した床の底に落ちたリディアは、異形の右腕をそっと下した。左腕でその異形を抱え込むようにすると、足元でうめき声を上げるローグを見下ろした。


 そこには、実に奇妙な光景があった。


 鍛え上げられた肉体となったローグの身体から、蒸気のような白い煙が、無数の刀傷を負った全身の至る所から染み出るようにして立ち昇っていた。そして、まるで空気が抜けるように、その身体がみるみる萎んでいくのだった。


「くそっ……ばかな……」


 うめくローグの声は、次第にリディアが初めて見た時のローグのものに近づいていく。身体の変化も止まらず、筋肉が萎み、頭髪が抜け落ち……それはもう、アンヴィを手にする前の、あの蛇を思わせる狡猾で醜悪な、ローグ・バジリスクの姿だった。


 リディアには、いま、何が起こっているのか、わかっていた。これまでに何度も目にしてきた。これが、魔剣に身を委ね、魔剣に『食われた』ものの、なれ果てなのだ。こうして、自らに引き戻され、あとは塵のように消えてなくなる。


 リディアはに取り掛かるつもりで、左腕を右腕から離した。わずかに両腕を上げ、胸を大きく張ると、静かに目を閉じた。


「ばかな……アンヴィ……おれを……おれを裏切るのか!」


 ローグがまともに言葉を発したのは、それが最後だった。あとは絶叫だけがリディアの耳を塞いだ。それでも、リディアは目を開けようとはしなかった。


 ローグの最後。


 リディアにとってそれは、大きな意味を持たなかった。むしろ、これから行う『仕上げ』こそが、リディアにとって、そして『統制者』にとって重要な儀式なのだった。


 目を閉じたまま、リディアはアンヴィの魔法の力を追った。意識を持ったまま『仕上げ』を行うのは初めてだったが、まるで誰かに教え込まれたように、次に何をすべきか、どのように自分にいま宿っている力を使うべきかが頭に浮かび、その通り行動することができた。これまでの戦いの中で、『統制者』が自分に教え込んだのかもしれなかったが、意識のなかったリディアにそれはわからなかった。


 見つけた。


 程なく見つけたアンヴィの魔法の力の発生源は、ローグから少し離れた場所、陥没した床面の上、元々の床の高さに、突き刺さる形で存在していた。紅い剣の衝撃を受けた際に、ローグが手から取り落としたのだろう。明らかに先ほどまでよりも力を欠き、弱々しく、息をしているように紫色の光が明滅を繰り返している。


 リディアは意を決し、目を開く。


 ちょうどその瞬間、断末魔の絶叫が上がった。


 音響効果の優れた大部屋に、文字通り響き渡ったローグの絶叫。しかし、その声を残した本人は、あくまでも静かに、全身を光に包まれ、光そのものになり、音もなく、まるで始めからその場にいなかったように消えた。


 魔剣の使い手の消滅に、大きな意味合いはない。そう思っていても、この目でその光景を見届ければ、終わった、という思いがリディアの胸の中を過った。シフォアでの戦闘、そしてこのマーレイまで追いかけてきた経緯を思い出し、リディアは最後に、ローグの絶叫を再び聞いた。


『おれを裏切るのか!』


 ……裏切る。


 それは力を貸さなくなる、という意味か。


 脳内で再生されたローグの言葉を、リディアは考えた。


 どちらかが力を失ったのだとすれば、それは裏切るとは言わない。

 どちらもまだ戦おうとすれば戦える状態にあった。

 だが、アンヴィが裏切った。

 力を貸さないという選択肢を選んだ。


 ……だとすれば!


 リディアは決意し行動に移しかけた『仕上げ』を忘れた。それほどの戦慄が、リディアの全身を駆け抜けた。


 魔剣の使い手である導き手の消失は、魔剣の一時的な『眠り』を意味する。だがもし、アンヴィが、その死に引き摺られることを嫌い、ローグの消失よりも先に、導き手から手を離したのだとすれば。


 アンヴィは、まだ生きている。

 まだ十分な力を残したままでいる。


 リディアは陥没した床の斜面を駆け上がった。


 そこでリディアが目にしたのは、想像した中で、最も想像したくなかった映像だった。


 リディアは、絶叫した。

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