第14話 それが聖女の騎士にのみ許される務めだ

 剣が軽い。


 普段とは違う得物。そこに重みを持たせるように、クラウスは咆哮した。


「ズェアァァァァ!」


 裂帛の気合と共に右足を踏み出し、振り下ろした長剣が、何人目かの死者を行動不能にする。

 闇雲に斬りつけて動きを止めてくれる相手でないことは、シフォアの街で経験済みである。クラウスは的確に、四肢を狙って長剣を振り下ろす。まず足を斬り飛ばし、それでも這い寄って来る死体には、両の腕を斬り飛ばした。

 そうしなければならなかったのは、クラウスの剣には、もう一度死体たちを殺すことはできなかったからだ。ただの鋼に、その力はなかった。アンヴィの魔法によって生み出された死体を、一撃で元の死体へと返すには、アンヴィの魔法に拮抗する魔法の力が必要だった。そのためには、シフォア神殿での戦いの時と同じように、シホの力が必要だった。実際、見事に四肢を奪われた死体も、いまだに起き上がろうと身を震わせている。


 一刀必殺。


 クラウスは自らに背負わされた二つ名通りの戦いをした。一振り一振りが、確実に相手の行動を奪っていく。

 しかし、手詰まり感はあった。敵の行動を抑制するだけの戦い方では、一体の敵に対して切り結ぶ回数だけ緊張があり、労力がのしかかる。


「まだかっ……!」


 口にするつもりはなかったが、つい言葉になってしまった。そろそろ十を越える数の死体を斬り倒したが、動く死体の数は、増え続けているように思えた。


 剣を振り、血を払ったクラウスは、再度中段に構えて、次の一刀の相手を定めた。


 と、その瞬間である。


 背後で紫色の光が爆発した。


 見覚えのある色と光量だった。クラウスは構えを崩さず、肩越しに背後を見た。


 アンヴィの魔法の光。


 クラウスが想像した通り、紫色の光は、アンヴィから生み出されたものだった。肩越しに見た光景には、ローグが剣を振りかざし、その剣から、紫の光が幾本も、帯のようにうねりながらある一点に向かって伸びていた。その先にリディアがいることは間違いなかったが、肩越しに振り返っただけでは、そこまではわからなかった。


「リディア!」


 クラウスは死神の名を叫んだ。

 クラウスはリディアの戦闘力を過大評価も、そして過小評価もしていない。クラウスが知る限り、リディアは簡単には負けない。そのはずだった。だが万が一ということもある。しっかりしろ、そんな思いを込めた叫びだった。


 だが、返事のように返ったのは、リディアの声ではなく、奇声とも、嬌声ともつかない、あのアンヴィの叫び声だった。猛烈に不快な音階で響くアンヴィの声は、クラウスの耳朶を打ち、頭の中を駆け巡り、頭痛、そして眩暈すら引き起こした。


 くぅ、とクラウスが目を伏せた。


 伏せてしまった。


 それがいけなかった。

 

 次に顔を上げた時、クラウスの正面には二体の死者が立っていた。

 

 しまった、と思い、剣を構え直す前に、二人の死者はクラウスに飛び掛かって来た。

 剣を持ち上げる時間はなかった。両腕を一本ずつ、死体に絡めとられ、貪られる……


「クラウスさん!」


 凛とした、強い印象の声が、大部屋を切り裂いた。続けて輝いた白い閃光が、クラウスに飛びつこうとしていた死体を撃ち、死体は弾かれたように吹き飛ぶと、床に転がって動かなくなった。


「シホ様!」


「エンチャント!」


 ほとんど反射の領域で、クラウスは手持ちの長剣を頭上に掲げた。真昼の陽光のような光が剣に宿り、周囲を明るく照らし出す。それを確認するが早いか、クラウスは剣を肩に担ぐような、荒っぽい構えを取ると、迷いもなく正面の動く死体に向かって突進した。

 相手もクラウスを認識したように牙を剥き出すと、涎とも体液ともつかない雫を口からまき散らしながら何かを叫んだ。

 その死体をクラウスは、一切の迷いもなく、袈裟懸けに斬り落とした。

 肩から胸にかけて、大きな刀傷をつけられて、死体は、どうっ、と床に背中から倒れた。これまでの死体と違い、四肢を斬り飛ばす必要もなく、たった一撃で、死体は一切の動きを止めた。魔剣アンヴィと死体たちの魔法の繋がりを断つ、という、あの力がクラウスの剣に宿っていた。


「クラウスさん、大丈夫ですか」


 息を切らして駆け寄ったシホの様子と、到着が早かったことから考えるに、おそらくシホはこの状況になるわずかに前、この状況が起こることを察知していたのだろう。そしてあの路地裏からこの屋敷まで、先んじて移動してきていたのだ。


「大丈夫です。問題はありません」


「ルディさんとイオリアさんも来ています。皆さんの武器にも、わたしの魔法の力

をかけました」


 シホはそこまで言うと、一度深呼吸をし、姿勢を正した。そして手にしていた短い剣を抜いた。


「わたしも戦います」


 魔剣ルミエル。


 シホの力を最大限に引き出すことのできる『騎士』の位階にある魔剣だ。先代の『聖女』ラトーナもこの魔剣を、魔剣を封じるために使った。

 シホは、この剣の力を使うことに抵抗を抱いていたはずだ……というよりも、もっと純粋に、恐怖心を抱いていた。それがいまはまるでない。いったいいつの間に、シホはこれほど強い眼差しで戦場に臨むようになったのか。


「……『死神』がアンヴィと対峙しています」


「わかっています。ならばわたしたちはまず、この状況を治めましょう」


 陽光の色に輝く長剣を構え直し、クラウスはシホに背を預けた。戦いに不慣れとはいえ、おそらくこの場で最も優位に立てるのはシホだ。彼女の魔法の力は、アンヴィによって支配されている死体たちを解放し、もう一度本来の安らぎの中に返すことができる。

 その力があったとしても、これまでのシホならば、クラウスは自らが剣となり、盾となり、自らの命を賭してでも、シホをを選んだであろうと思う。しかし、いまのシホは違った。まるで戦うことを決意した、それだけの想いを胸に秘めた戦士のような眼差しだった。

 そして状況も違った。いまの我々に、シホの力を抜きにしてこの状況を治めることは不可能だと感じた。


 ならば、わたしはその背を守るのみ。


 それが聖女の騎士にのみ許される務めだ。


 クラウスは大きく息を吸い、吐いた。状況が変わっても、自分がすることは変わらない。聖女の剣となり、聖女の盾となる。聖女が成長し、自ら戦いに赴くようになったとしても、その露払いを勤め、その背を守るのが、聖女の騎士、クラウス・タジティの役目。それは未来永劫、この身、果てるまで続く役割であり、実際、こうしてシホが変わったとしても、変わらないものだった。

 

 例え敵が魔剣でも。


『死神』が傍にいようとも。


「……あなたはわたしが守ります、シホ様」


「お願いします、クラウスさん」


 シホが頷き、魔剣ルミエルを振るった。短い刃から白い閃光が飛び出し、歩み寄る死体の一体を吹き飛ばした。クラウスも負けじと振り上げた剣で、一刀必殺、手近の男の死体を、床に倒して死体に戻した。


 やはり死体の数は増えていたが、大部屋に残っている商人たちはもういなかった。カーシャたちが守り、誘導した成果が出ているのだろう。そしてシホの力がある。そう間もなく、死体たちは抑えられる。

 クラウスが考え、次の一体を斬り倒した、その瞬間だった。再び、光が爆発した。


 音のない光の奔流は、大部屋の床、壁、天井までも、


 そして、先ほどのアンヴィの力と違い、実際の質量もあった。迸る光が爆風と共にクラウスの身体を薙いだ。


 咄嗟にクラウスは身を挺してシホを爆風から守った。背を爆風に向け、その身でシホを覆うようにして立ったクラウスは、紅い光と猛烈な風の中で、小さくつぶやいた。


「何をするつもりだ……リディアっ……!」

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