第二章

第1話 騎士の困惑

 夜が明けた。


 悪夢としか言いようのない夜が明け、シフォアの街全体の被害状況がわかってきた。神殿内部だけではなく、動く死体は、街の至る所に現れたらしい。シホの護衛任務で雇われた傭兵たちが飲食していた酒場周囲にも現れ、彼らが自衛のために戦ったそうだ。傭兵たちには壊滅的な被害が出ていた。王都へ戻る護衛を行うことはできないだろう、という報告をクラウスは受けていた。


 元々、さして人数のいない傭兵たちの中からは、魔剣アンヴィを盗み出す、という不逞の輩が出たのだ。護衛団は壊滅したと言って間違いないだろう。神殿騎士側も、この状況では。


 クラウスは最も激しい戦闘が行われた、シフォア神殿の中庭に立っていた。クラウス自身も、昨夜の戦いでは先頭に立って戦った身だ。当然、疲労はあり、短い眠りはおろか、休息も取っていない身体は、さすがに重く感じた。それでももたらされる報告を聞き、対応を指示しながら、昨夜起こった戦闘と、いまの状況の把握に努めていた。


 シホに同道したクラウスの部下たち神殿騎士にも、多くの死傷者が出ていた。まだ正確な数は把握していないが、無傷で済んでいるのは、おそらく二、三人、といったところだろう。シフォア神殿に元々詰めていた騎士団、兵士の被害も大きく、シホの帰路を護衛など、とてもではないが、できる状態にはなかった。


 いや、とクラウスは、中庭から運び出される部下の遺体に視線をやりつつ、思い直した。そもそも、このまま帰路に就くのかどうか。もちろん、シホの身の安全のためには、そうだ。クラウス自身、シホには王都へ戻ることを提案するつもりだった。しかし、このシフォアへ来た目的は、果たされていない。それどころか、まんまと盗み出されてしまった。


 百魔剣、魔剣アンヴィ。


 クラウスは自分の掌に視線を落とした。その魔法の力によって動く死体を作り出し、街一つを混乱に陥れた元凶。人の限界を超えた力を与え、超常的な戦いを展開して見せた存在。世界を滅ぼしかねない力の象徴。ラトーナが封じ、そしていま、シホが封じなければならないもののひとつ。それがローグという傭兵によって盗み出され、何処かへと持ち去られたのだ。追いかけ、捕縛しないわけには行かないだろう。そして、そこには、例え危険とわかっていても、シホの力が必要になるはずだ。それは昨夜の戦闘で、クラウスが痛感させられたことだった。


 相手が人間であれば、互角に、いや、必ず勝利してみせる。その力もあるつもりでいる。いつの間にか『一刀必殺』という、およそ神職には相応しくない二つ名が、市井では囁かれているようだったが、その二つ名の通り、シホに仇なすものは、例え自分よりも実力のある剣士だったとしても、必ず斬り捨てる。そのための鍛錬も怠っていない。そういう気概が、クラウスにはあった。


 昨夜の戦闘。


 魔剣アンヴィを握ったローグの動きは、クラウスには目で追うのがやっとだった。そして、それと対峙した、あの黒い影の動きも。


 シホに魔剣が向いた時、身を挺して守るつもりが間に合わず、挙句、シホ自身が、魔法の力で魔剣と戦い、撃退した。


 ラトーナから話として聞いていたが、これほどの無力感はなかった。わかっていたつもりだった。魔剣と対峙できるのはラトーナであり、それと同等の力を持ったシホだけであることは、わかっていたつもりだった。自分は、シホが魔剣だけと対峙できるように、露払いを務める。ラトーナにもそういう役目の騎士がいたと聞いていたし、自分もそういう役目を務めるように言われていた。


 しかし、相手が剣を持った戦士であり、シホが戦闘に不慣れな以上、自分が守らねば、そう思っていたことも事実だった。そして、あの男、あの黒い優男が、魔剣と互角以上に戦ってみせたことも、自分の無力を突き付けられたようで、クラウスの心に、重い石のような感覚を植え付けていた。クラウスの前を、また一人、部下の遺体が運び出されていく。


 リディア・クレイ。『紅い死神』


 あれは本当に、人間なのか。いや、人間でないとすれば何なのか、その答えがクラウスの中にあるわけではなかったが、少なくとも、昨晩の戦闘は、人間のようには見えなかった。


 魔剣と対峙できるのは、ラトーナ・ミゲルと、それと同等の、失われた魔法の力を使う奇跡を起こすことのできる、シホ・リリシアのみ。そのはずだった。


 しかし、あの紅い死神は、明らかに、魔剣アンヴィと対等に戦っていた。そして、クラウスは聞いたのだ。この耳で、確かに、あの死神が言った言葉を。

 

 そうだ。貴様はおれが封じる。

 

 リディア・クレイは、確かにそう言ったのだ。


 あの力は何なのか。


 あの言葉の真意は何なのか。


 クラウスは中庭から神殿建物を見上げた。


 いまは神殿内の一室で休息を与えられているはずの男の姿を、クラウスは思った。訊き出さねばなるまいな、とクラウスは小さく息を吐いた。

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