第16話 貴様はおれが封じる

 強烈な光に背けた顔を、シホは慌てて正面に戻し、目を開けた。


 激しくぶつかり合う金属の音。それはシホにも、剣と剣が交錯する、命の重さを伴った音だとすぐにわかった。


「なんだ、あれは……」


 クラウスの背中越しに、困惑する彼の声が聞こえた。感情をあまり表面に出すことのない彼が、声を漏らしてしまうほどの状況が、確かに目の前にあった。


 月光を背に浴びた黒い影に、小柄な影が飛び掛かっていく。小柄な影の左腕は、肘から先がなく、右腕一本で鍔のない直剣を振るう。刀身が異常なほど強い銀光を放っていた。


 アンヴィ。


 シホはすぐに、その直剣が神殿に納められていた魔剣だと気づいた。解き放たれたのだ、と知り、戦慄したが、目の前で始まった戦いを止める術はなかった。


 銀色の光が軌跡を描き、横薙ぎの一線となって黒い影へと向かう。黒い影は手にした赤黒く光る剣を持ち上げて、それを受けた。シホがはっきりと見ることができたのはここまでで、それから先は、音と映像が繋がらない、不可思議な光景を見た。斬撃の応酬がされているはずだったが、剣捌きがあまりにも速く、すべての軌跡を追うことができない。


「シ、にが……ミィいいいいい」


 人の発したものとは思えない声を上げた小柄な影が、黒い影から離れ、後方へ飛び退った。片膝をついて着地した影の左腕は、その先こそ失われていたが、既に出血が止まっている。


「ち……ちぃぃい」


 血、と言ったのだろうか。小柄な影は再び黒い影に向かって斬りかかっていく。上段から一撃、そのあとに胸と腹を狙う二振り。素早い斬撃を、黒い影はわずかに赤黒い剣の角度を変えて受けると、腹を狙った一撃後の隙を突いて、反撃に転じた。わずかに腰を落とした黒い影は、力強く踏み出した一歩で、剣を突き出した。相手の腹を貫く一撃は、シホには見えなかった。見えたのは動作までで、突き出された剣の速度は、シホの目の捉えることのできる限界を超えていた。


 しかし、それさえも必殺の一撃とはならなかった。ぎし、という金属音が響き、アンヴィで突きを受け止めた小柄な影が、押し出されるように後方へ、宙を舞って一回転し、再び着地した。そして間髪入れず、小柄な影は立ち上がり、アンヴィを握った手を、黒い影に向かって突き出した。


 あれは、とシホが思った時には、『力』はすでに放たれていた。アンヴィは青白い炎のように揺らめく輝きを見せたと思うと、その輝きは一瞬のうちに人の顔ほどの大きさの球状にまとまり、黒い影に向かって飛翔した。


 魔法。


 それも、破壊の力を持った、強力なもの。


 アンヴィの力の一端だ、とシホにはわかった。一端にしてもそれは強力なもので、おそらく触れれば、この通りの両脇に並んでいる家一軒くらいは、跡形もなく消し飛ばすことのできる、そういう破壊の力を、シホは青白い光から感じた。


 素早く、短い距離で、反撃として突然放たれた青い炎を避ける術はなく、飛翔した球体は黒い影に直撃し、炸裂する。その映像をシホが幻視した時だった。


 黒い影が動いた。一歩、二歩、素早く踏み出すと、三歩目で飛来した炎を


 アンヴィから放たれた魔法は、真っ二つに切り分けられると、その場で爆発する。赤々とした爆炎が一瞬、その場に瞬き、闇を焦がす猛烈な光の中を、黒い影が飛翔する。炎も煙も、ものともせずにアンヴィを握った人影との距離を、一瞬で無にすると、相手の左肩を袈裟懸けに斬り落とす一撃を放った。


 小柄な影は左腕が半ばからがない。左側を狙った一撃には避ける術がない。シホでさえ、その一撃は相手の命を確実に断つものだとわかったが、しかし、そうはならなかった。


 


「手が……」


 思わずシホは叫んでいた。失われていたはずの左腕はいま、完全な形であり、その左手が、黒い影の剣を、素手で握りしめ、受け止めていた。


 信じられない光景の連続だった。自分以外の人間が放った魔法。それを切り裂いた斬撃。再生した人の腕。


 これが百魔剣との戦いなのか。


 シホが戦慄した時、小柄な影がシホに目を向けた。


 目の、白い部分を真っ赤に染めた眼光で、シホを見つめたアンヴィの持ち主は、にたり、と笑ったようだった。そして次の瞬間、黒い影を握りしめた剣ごと、力任せに投げ捨てて見せた。その勢いはやはり、片手で人を投げ飛ばしたとは思えない勢いで、黒い影は信じられない速さで家屋の壁に叩きつけられた。


「オレヲ、ふうジる、ツモリ、ナノか」


 シホと正対した小柄な影が、初めて人のような声を出した。

 

 封じる。


 そう、アンヴィの力を封じなければならない。シホはそっと法衣の下に忍ばせた短刀を握りしめた。


「そうだ。貴様はおれが封じる」


 声は、ごく近くで聞こえた。え、っと思った時には、黒い影が小柄な影の背後に現れ、赤黒い刃を振り上げていた。壁に叩きつけられた痛みはまるでないようで、確実に相手の命を絶つ剣を振るう。


 だが、その剣は空を切った。


 アンヴィの持ち主は、背後に立った敵の姿に目もくれず、シホに向かって突進してきたのだ。


 クラウスが叫びを上げ、シホとアンヴィの間に割って入ろうとしたが、一瞬遅かった。人の速度を超えた速さの影は、クラウスの脇をすり抜け、シホに向かってきた。


 が、備えはある。


 シホは法衣の下の短刀を握る手に『力』を込めた。


 その瞬間、シホの周囲である変化が起こった。小柄な影はそれに気が付いたようだったが、その時にはすでに、シホの『力』の中だった。


 シホを中心に、光が広がり、それは椀型の障壁となった。アンヴィの持ち主はシホに剣を振り上げる直前でその光を受け、弾き返されるように宙を舞った。


「貴方は、わたしが封じます。魔剣アンヴィ」


 受け身も取れずに背中から地面に落ちた小柄な影に、いや、その右の手にある剣に話しかけたシホは、椀型に、自分の周囲に展開した光を、今度は一筋の線に変えて、アンヴィを照らした。法衣の下から短刀を取り出し、振り上げると、光の筋は眩いばかりの閃光を放った。次の瞬間、『力』がアンヴィの周囲で広がり、強烈な爆発となってその場に炸裂した。


「『騎士』か!」


 光が炸裂する刹那前に、その場から退いたのか、爆炎の向こうからアンヴィの声が聞こえた。はっきりとした人の声となったそれは、苦々しい感情を伴っていた。


「……退け、というのか」


 アンヴィの声はさらに続いたが、続く言葉はこちらに向けられたものではない様子だった。爆発の炎と煙の向こうから声は聞こえていたが、そのどちらもが晴れ、通りに宵闇が戻ると、その場にアンヴィを握った小柄な人影はいなくなっていた。まるで悪夢が覚めたように、これまで目の前で起こっていたことのすべてが、現実ではなかったとでも言うように、夜の静寂が通りに戻った。


「シホ様!」


 クラウスが駆け寄る気配があり、シホは緊張を解いた。どうやら本当にアンヴィはこの場から去ったらしい。望ましいことではなかったが、ひとまず身の危険は去ったとわかり、シホは安堵した。


 その目に、静かに佇む人影が映った。こちらも、これまでの激しい戦いそのものがなかったような静けさで、ただ立っている。


 この人は。


 シホが見つめていることに気が付いたのか、黒い影はシホに正対した。黒い衣服を身にまとった、長い黒髪の人影。線は細い。女性と見紛うほどだ。


 リディア・クレイ。


 馬車の中でクラウスから聞いた、神殿騎士の館での一件を思い出した。震え上がるほど恐ろしい話の中で、躍動した黒い人影。『紅い死神』と呼ばれる傭兵。魔剣アンヴィと互角の戦いを繰り広げたこの人物こそが、あのリディア・クレイであると、シホは確信した。


 リディア・クレイは何も語らず、赤黒く輝く剣を、腰に佩いた鞘に納めた。

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