第14話 人殺しの気迫だよ

 石壁に囲まれた、薄暗い廊下を走り、幾度か角を曲がり、クラウスは教会の裏庭へと続く扉へとたどり着いた。教会関係者からの事前の話では、常時封鎖されているはずの扉が半ば開き、その向こうの宵闇が見えていた。自分の予測に間違いがなかったことを確かにし、クラウスは半開きの扉を蹴破るようにして裏庭に飛び出した。


「もう来やがったか。勘のいい野郎がいる」


 チッ、という汚い舌打ちの音が聞こえた。


 裏庭は四方二十歩ほどの敷地で、物置として使われていた。隅に大物の木箱がいくつか積み上げてあり、それを照らし出すかがり火が数本、立っているだけの、何もない空間だった。その敷地のちょうど中ほどを、五人の男が走っていた。一人が立ち止まってクラウスのほうを振り向き、残りの四人は黒い、長方形の箱のようなものを担いで、裏庭から教会の外へと通じる門へと向かう。


 五人の様子から、黒い箱の中身は魔剣アンヴィであることはすぐにわかった。いったい、どこから情報を得て、何の目的で魔剣を奪うのか、クラウスにはわからなかった。だが、とにかく、阻止しなければならない。一瞬の間をおいて、再び走り出そうとしたクラウスの前で、立ち止まり、振り返った男が、腰に佩いた剣を抜いた。


「行け、おれが時間を稼ぐ」


 クラウスは改めて、自分と対峙した男の姿を見た。細身の長身。妙に手足が長く、蛇を思い出させる目をした男。見覚えのある顔だった。確か、名前は……


「アシャン」


「ほう、誰が追っかけてきたかと思ったら、神殿騎士長様か。さすがに鋭い」


 あれは神殿騎士団の詰め所で、『紅い死神』と傭兵の決闘を見せられた時だ。この男ともう一人、小柄な傭兵が話しているのをクラウスは見ていた。


「そこをどけ。貴様に用はない」


「へへへ、すげえ威圧感だ。神に仕える者とも思えねえ」


 アシャンは手にした剣を、長い手の間で落ち着きなく持ち替えながら、へらへらと笑っている。


「おれたちと同じ、人殺しの気迫だよ」


 アシャンがそう口にした、ちょうどその時、クラウスの背後で扉が押され、シホが追い付いてきた気配があった。クラウスは振り返ることなく、腰を落として手にした剣を下段に構え、一息の間にアシャンとの距離を詰めた。


 強い吐息と共に下段から打ち出されたクラウスの剣は、アシャンの腹のあたりを薙ぐ、横一線の軌跡を描いた。しかし、手ごたえはなく、アシャンはまるで細長い紙切れのように、ひらひらと身体をくねらせて、クラウスの一刀を避けた。


「怖え怖え。なんだその長物。危なく斬られるところだ、ぜ!」


 言いながら、今度はアシャンが手にした剣を振るってくる。明らかに他者より長い手を、まるで鞭のようにしならせた速い斬撃は、かがり火の作る陰影のせいもあり、見えづらく、クラウスはとっさに持ち上げた剣の腹で、どうにか受け止めた。


 クラウスの剣は、通常の神殿騎士のそれより、わずかに長く、先端を重く作ってある。クラウス自らが特注した剣だ。一撃必殺、しかも一度に複数を相手にできるように改良した得物だが、アシャンはたった一瞬の交錯、いや、交錯すらしていない、その刹那前に、クラウスの得物の特性を見切り、回避し、さらにその弱点である、攻撃後の隙をついて、素早い斬撃を見舞ってきた。それらの挙動すべて、考えてやったことではないだろう。鍛錬と経験が生み出したこの男の実力と見ていい。


 かなりの手練れだ。クラウスは一歩、身を引きながら、改めて気を引き締めた。本気にならざるを得ない相手かもしれない。


「騎士長さんよ、『一刀必殺』のお噂は兼ね兼ね伺っているんでね。おれもできればあんたとはやり合いたくはねえんだけど、な!」


 隙を作るように、そしてその隙を突くように、言葉を発しながら、その切れ目で飛び掛かってくるアシャンの身は軽く、速い。剣に重さはさほどないが、それでもあの長い手のしなりが、剣に速さを与え、十分以上の殺傷力を生んでいる。身体で受ける気にはもちろんなれない斬撃を避け、剣で受け、受けた瞬間に、クラウスは剣を力強く押し出した。


 弾かれたように身を引いたアシャンを追って、間合いを詰めたクラウスは、再び剣を下段に構えた。


 一撃必殺。


 クラウスの最も得意とする戦い方だった。かつて、シホとラトーナに迫った襲撃者を斬ったのも、この一刀だ。


 次は外さん。


 クラウスは息を止め、体を崩しているアシャンに切り上げる一刀を見舞う。


 その瞬間、


「アシャン、引くぞ」


 声と共に、何かが飛来する気配があった。クラウスは打ち出そうとした剣を慌てて止め、そこから横っ飛びに地面に転がった。ほんの一瞬前までクラウスがいた場所に、三本の短刀が突き刺さったのはその直後だった。


「ローグ、生きてたのか」


「死ぬかよ。死神も殺してやったぜ」


 素早く立ち上がったクラウスは、裏庭から外へと通じる門を見た。箱を担いだ四人の男がその門の向こうへ消え、代わりに小柄な男が姿を現した。半ばまで後退した頭髪を撫でつけた、鼻の大きな男だ。ローグと呼ばれていたはずだ。


「本当か?」


「疑うならこれを見な」


 ローグが手にした剣をかざした。


「おおお、本物だ、こりゃ依頼主から追加報酬もいただけそうだな」


 アシャンが笑う。ローグがかざした剣に見覚えはなかったが、クラウスは『死神』という言葉から連想したのは、あの黒く長い髪を揺らした、優男の姿だった。


 あの男が、死んだ?


 圧倒的な強さを、人とも思えぬ強さを持つ、あの『紅い死神』が、この小男に殺された?


 神殿騎士の館で見た、あの決闘が思い出された。見たところ、ローグは無傷のようで、とても戦ってきたようには思えない。だが、あの『死神』と戦って、こうも無傷でいられるはずはない。


 だまし討ちか。クラウスがそこまで理解する間に、アシャンは飛ぶようにローグに駆け寄り、二人は下卑た笑みをクラウスに一瞬向けると、扉の向こうに姿を消した。


 くっ、とクラウスは歯を食いしばって、門までの距離を走った。逃がすわけにはいかない。このまま魔剣アンヴィを持ち去られるわけにはいかない。


 しかし、二十歩の距離は思いの外広く、逃走する者たちには十分な時間を与えてしまう。間に合わない。逃げられる。そう思いながらも裏門の扉にクラウスが手をかけた時だった。


 扉の向こうから、悲鳴が上がった。

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