第12話 死神の死

 得物は長くはなかったが、確実にリディアの内臓をえぐり、傷つけ、貫き、破砕した。これまでも致命に届く傷を受けたことはあるが、いま、脇腹から奥へと広がる違和感は、そのどれとも違い、すっと力が抜けていく感覚があった。


「悪いな」


 人影の消えた路地に小さく聞こえたのは、鼻の大きな小男の、下卑た嘲笑交じりの声だった。


「あんたの存在は計画最大の異物でね。雇い主に報告したんだが、あの強欲な金の亡者は、それならあんたの剣まで手に入れろ、と言ってきやがった。簡単に言ってくれるよな。相手は戦場の伝説だってのに」


 脇腹から硬い異物が引き抜かれ、それと共に立っている力も引き抜かれたようだった。リディアは膝をつき、そのまま石畳の上にうつ伏せに倒れこんだ。


「なんでまあ……この機会を伺っていたわけなんだが……なんだか始まっちまったんでな。アシャンの野郎もこのどさくさに乗じるだろうから、こっちも早めに合流させてもらわないとならなくてな。本来の目的のために」


 指に、足に、力がまったく入らなかった。石畳の冷たさとは別種の、妙に生ぬるい液体が、腹から胸へ、下腹部から足へ、自分の身体の表面を覆うように広がっていく感覚だけがはっきりとある。たった一撃で的確に相手の力を奪う、恐ろしい腕だと、リディアは他人事のように思っていた。


 その恐るべき殺人技術を持った小男が、リディアの背後から歩み出し、倒れたリディアの脇に跪いた様子だった。小男の右の手が見え、その手にはべっとりと赤い血に覆われた小剣が握られていた。


「じゃあよ、こいつも頂いていくぜ」


 無造作に、リディアの指先から、剣の柄が抜き取られた。首を動かすこともままならず、見ることはできなかったが、剣を取られたことはわかった。


「……よせ」


「だから、悪いな、って言ってるじゃねえか。確かに、あんたの剣が目的じゃあなかったんだけどな。恨むならおれらの雇い主を恨んでくれ」


 そういうことではないのだ、とリディアは声を上げようとしたが、できなかった。流れ出す血と一緒に、リディアを支える何もかもが失われていくようだった。


「じゃあな、おれはいくぜ。あんたの剣だけで十分な気もするが、元々の依頼は魔剣アンヴィの方なんでね」


 小男が立ち上がる気配があった。それを感じ取ることもままならなくなっていた。リディアは薄れゆく意識の向こうで、小男が流暢に話す声だけを聞いていた。


「そうだ、一応、もう一度名乗っとくぜ、『死神』 おれはローグ。ローグ・バジリスク。あんたと同じように『一突き』て二つ名のある、そこそこ名の通った傭兵なんだが……まあ、よかったら覚えといてくれや」


 あばよ、と言い残して、ローグの気配は完全に感じ取れなくなった。それがローグがその場から消えたからなのか、それとも自分に周囲の気配を感じ取るだけの力がなくなったのか、リディアにはもう、わからなかった。


 ただ、声が聞こえていた。


 そろそろだろう、と思っていたが、やはりあの声だった。


 相変わらずその声は野太く、地を這うように低く、濁っている。なのに、なぜか、魅力的な響きに聞こえるのだ。


『敵か』


 声がいう。


『敵だな』


 声が決定する。そう。この声はそうなのだ。訊いてはいない。問い質しはしても、その答えを求めてはいないのだ。


 全身から力が奪われ、視力さえも閉ざされ、完全な闇に包まれたリディアの目に、声の主が現れる。薄汚れた外套で、頭からつま先まで覆われた声の主は、暗く影になって見えない、洞のような顔の部分から、野太い声を発している。


『わかった』


 リディアは何も言わなかった。あの時と同じだった。ただ、初めてこの男と出会ったあの日と違うのは、この後何が起こるのかを知っていることだった。


『委ねろ、アルバ』


 古い名だ。リディアは久しぶりに聞いた自分の呼び名にそう思い、それを最後に意識を閉ざした。まるで眠りに落ちるような心地よさがあった。

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