第10話 死者に安らかな眠りを

『敵』と初めて対峙したのは、クラウスだった。


 異常を察知した神殿騎士が報告に走り、それを聞いたクラウスは、すぐさま現地へ駆けつけた。その報告は信じ難いものだったが、内容を精査することはなかった。それが百魔剣の力なのだとすれば、十分に起こり得ることだと、クラウスは知っていた。


 場所は教会の中庭だった。神殿騎士団の正規装備である長剣を片手に、中庭へ飛び込んだクラウスは、まず部下の神殿騎士の悲鳴を聞いた。信じられない状況に慄き、震え、腰砕けになった、とても鍛え上げられた男の声とは思えない声だった。


「……なんだ、こいつは」


 悲鳴こそ上げなかったが、その『敵』の姿を見たクラウスも、思わず声を漏らしていた。


 中庭を徘徊する『敵』


 それは、死体だった。


 百魔剣を発見した際の犠牲者が起き上がり、教会の中を歩いている。


 それが報告の内容だった。確かにその通りだったが、この目で見ても、信じられる光景ではなかった。


「既に二人、我が隊の騎士がやられました。どういうつもりか、噛みついてきます。歯に毒でもあるのか、噛まれると意識を失うようです」


 既に中庭で剣を構え、動く死体と対峙していた騎士の一人がクラウスに近づき、伝えた。


「……それだけならいいがな」


 しかしクラウスは、近づいてきた騎士の姿は見ず、その肩越しに、彼が言った『意識を失う』以上の状況を見ていた。


 硬い何かが、石造りの床と擦れる甲高い音が、徐々に中庭に近づいていた。中庭から教会建物の奥へと延びる通路の一つ。その暗がりから、かがり火の灯された庭に、その音の原因はゆっくりと歩み出てきた。


 青白い顔をした、神殿騎士。


 その顔に生気はなく、だらりと下げた長剣を、床に引きずっている。右側に傾いだ首の肉がごっそりとなく、だらだらと流れる血は、止めどなく彼の半身を染め上げていた。生きているのか、死んでいるのか、はっきりとはわからなかったが、クラウスにはその神殿騎士が生きているようには見えなかった。


「ああ、そんな……」


「リーズ……!」


 騎士たちから声が漏れる。恐怖に呑まれ始めていた。まずい、と感じたクラウスは、自分の身体にも纏わりつく恐怖を、一緒に払拭するつもりで叫んだ。


「総員抜刀、奴らに噛まれるなよ!」


 騎士たちがクラウスの声で、半ば反射的に剣を構えた。どう戦えばいいか、このような状況で、このような敵と対峙したことはない。そもそも、剣で斬ることで、死体は死ぬのか。動きを止めることはできるはずだ、と自問自答し、クラウスが続けて騎士たちに下命しようとした時だった。


「クラウスさん、剣を掲げてください、できるだけ、高く!」


 甘やかな、しかし凛と芯の通った声はシホのものと分かったが、彼女の姿は見えなかった。クラウスの声に騎士たちが従ったように、クラウスもシホの声には反射的に従った。手にした長剣を持ち上げ、掲げた。


「エンチャント」


 囁くようなシホの声が聞こえた直後、クラウスの掲げた剣が光を放った。かがり火を映したのではない、真昼の陽光のような光は、そのままクラウスの剣に留まり、輝き続けた。


「その剣ならば、亡くなられた方と魔剣の魔力の繋がりを断つことができます。他の皆さんも、剣を掲げてください!」


 声はクラウスの背後、教会の中からだった。薄闇の中から歩み出て、クラウスの隣に並んだ白い法衣の姿は、やはり陽光のように淡く、輝いて見えた。


「皆、シホ様に従え、剣を掲げよ!」


 騎士たちが頭上に剣を掲げ、その剣もまた、次々に光輝き始める。シホが何らかの魔法を使い、騎士たちに戦う術を授けたのだ。


「皆さん、気を付けてください。魔剣の魔力に当てられた方に、傷を負わされてはいけません。その傷から魔力が入り込み、死しても魔剣の力で欲望のままに動き続けることになります」


「皆、聞いての通りだ。気を抜くなよ!」


 言いながら、クラウスは騎士たちの一番前に歩み出た。


「私に続け、死者に安らか眠りを!」


 応じる声が上がり、背を押されるようにクラウスは走り出した。動く死体の数は三。だが、クラウスは駆け出したまさにその時、教会の奥から歩み出る、さらに複数の死体の影を見た。兵士、騎士、助祭。数は知れなかったが、とても簡単に御しきれる数ではなかった。


 それでも、とクラウスは思った。


 それでも、シホのために。

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