第9話 ローグ・バジリスク

「よう、あんた、『紅い死神』だろ?」


 ひどくいがらっぽい声は、既に相当量の酒を飲んでいるものと知れた。カウンターに向かい、食事を取っていたリディアは、声の方に嫌々ながら顔を向けた。


「……リディア、だ」


「おお、やっぱりそうか! だよな。恰好見ただけですぐにわかったぜ! それにあの館での決闘。見てたぜー? あんな戦い、初めて見たわ。圧倒的じゃねえか? こりゃあ伝説の『死神』様だとわかったね。あれ、『死神』様は酒はやらねえのか? そんな薄っぺらい肉とパンだけで……」


「リディア、だ」


 よく喋る男だ。赤ら顔を見るに、酒のせいであるのかもしれないが、それだけではこれほど軽薄にはなるまい。小柄で、半ばまで後退した頭髪を撫でつけた男。大きな鼻が印象的で、全体としてどことなく、蛇を思い出させる顔立ちだった。


 周囲では、同じように集った傭兵たちが酒を煽り、ばか騒ぎをしている。ここはシフォアの街の繁華街にある酒場。傭兵たちにも教会内に宿舎が与えられたものの、教会という場所柄、出される食事は質素なもので、当然、酒など振る舞われるはずもなかった。傭兵たちが満足できる内容ではなく、自然と街へ繰り出す形になった。


 リディアが宿舎を抜け出し、この酒場で食事を取っているのには、彼らとは違った理由があった。それゆえ、連れだって宿舎を出てきたわけでもなかったが、同じ酒場を選んでしまったことで、他の傭兵たちから見れば、妙な仲間意識を持たれたのかもしれない。こうして話しかけてくる、面倒な手合いも出てくる。相手にするのも億劫だったが、こう『死神』と連呼されては、名乗らないわけにはいかない。


 リディアは、自身が『死神』と呼ばれることを嫌悪していた。


「リディア・クレイだよな? やっぱり、間違いねえよな? こんなおかしな護衛任務で、生きている伝説に出会えるとは、まったく、意外ってもんだよ」


 けっけっけ、と特徴的な気味の悪い笑い方をした小男は、手を出した。


「ローグ・バジリスクってもんだ。これも何かの縁だ。よろしくな」


 握手を求めているらしい。しかし、リディアは手を出さなかった。握手をする理由もない。ローグと名乗った小男に向けていた視線を正面に戻し、リディアは残った食事に手を伸ばした。


「なあ、リディア、リディアよ、あんた、なんでこんな仕事受けたんだ?」


 握手に応じなかったことで、会話の終わりを伝えたつもりだったが、どうやら通じなかったらしい。ローグはさらに絡んでくる。


 リディアが酒を飲まないのは、こうした手合いが嫌いだからだった。飲めないわけではない。たた、こういう場が好きになれない。酒の力を借りて、自分の過去や現在の行動理由を、根ほり葉ほり、土足で踏み込んでくるような輩が必ずいる。それが我慢ならなかった。


「どこの傭兵団にも属さない、なのに信じられない強さで引く手数多のあんただ、何もこんな得体の知れない仕事を受けなくったっていいだろうに。名目上は高司祭様の諸都市歴訪の護衛だが、そんなもんはあの武装神官たちでもできるこった。なんでおれたちみたいなもんを雇う? そんなに人手が足りねえってのかね」


 そこで手にした酒瓶を煽ったローグは、盛大にげっぷを送り出しながらさらに続ける。


「そもそも、いったい何から高司祭様を守れ、てえのか、そういう話も特にはねえじゃあねえか。特に払いの額がいい、ってえわけでもねえ上に、仕事の内容自体も掴めねえ。いや、掴ませねえ、ってのかね。そういうのを感じるわけよ、おれは。あんたみたいな凄腕は、こんな仕事受ける必要もねえはずだろう」


 確かに、この仕事は機密が多すぎる。二言目には『神殿騎士の指示に従え』だった。従っていればいいだけ、という考え方もあるが、自分の命を自分で守ってきた傭兵たちには、その情報の少なさ、敵がどんなものなのかすら語られず、ただ『不測の事態に備える』ために雇われたのだとするこの仕事の、何か一枚、真実を覆い隠す薄布があるようなこの感覚は、耐えがたいものだろうとリディアは思った。


「……それでよ、ちょっと調べてみたんだよ。おれは傭兵やって長いからな。いろいろ手え尽くせば、教会の連中が何やってやがるか、ある程度は調べられんのよ。そしたらな、なんだかわけのわからねえ話が出てきやがった」


 パンの最後の一切れを口に運ぼうとしていた手が止まり、リディアはローグに視線を戻していた。それまでの、ただの酔っ払いとは違う声音に注意を引かれたこともあるが、ローグが何を語るのかが、リディアには重要だった。ローグが何を調べたのか。何に行き当たったのか。


「リディアよ、百魔剣物語、てえ知ってるか?」


 自分でも、表情が硬くなるのがわかった。人でも殺しそうな顔をしているだろうことがわかった。その表情の異常さに慄いたのだろう、続く言葉があるはずだったローグの赤ら顔から血の気が引き、呼吸が足りず、魚のように口をぱくぱくとさせていた。


「な、な、なんだよ、おい、死神様よ」


「それを、どこで聞いた?」


 詰問する声が強くなる。自分が百魔剣について知っていることが相手にわかってしまう。そう思いながらも、リディアは自分の声を、感情を、抑えることができなかった。


「どこで聞いたんだ、答えろ」


「お、おい、いったいなんだって……」


 その時だ。酒場の扉が勢いよく開かれ、その音でばか騒ぎしていた酔いどれの傭兵たちが一瞬、静まり返った。


「傭兵たち、すぐに教会へ戻れ!」


 入ってきたのはひとりの神殿騎士だった。その様子は、酒場で騒ぐ傭兵たちを咎めに来た、というにしては、あまりにも血相を変えたものだった。


 なんだ、と誰かが言った。それは場にいたすべての人間の総意だった。リディアでさえそう思った。そしてその答えは、すぐに神殿騎士の口から語られた。


「敵だ!」

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