第7話 魔剣アンヴィ
穀倉地帯を抜け、車列はシフォア大森林の末端に足を踏み入れた。樹齢数百年の木々が両脇に立ち並ぶ街道は木漏れ日に輝き、平和な午後を謳歌しているようにシホは思った。
そんな森林街道は束の間で終わり、前方の視界が開けた。
シフォアの街が見えた。
シフォア大森林の末端とはいえ、森林の一部を切り開いて作られたシフォアの街は、元々は狩猟採集を主として生活する人々の、小さな小さな集落だったのだという。しかし、シフォア山脈を越える街道が整備されると、山脈以北の国々との交易が行われるようになり、難所を越える玄関口の街として、入植と開発が急激に進んだ。いまは交易都市としての機能を備えた、決して小さくはない規模の人口を抱える街へと成長している。大聖堂の書庫で目にした地理の知識をシホが諳んじている間に、馬車はシフォアの街の門をくぐった。
車窓から見える街並みは美しく、規律正しい姿をしていた。石造りの堅牢な家々が立ち並び、街道両脇には数多くの商店が軒を連ねる姿があった。商売の活発な声のやり取りが聞こえ、王都とはまた違った、人々の営みをシホは想った。
馬車は街の中心を抜け、天空神教の教区へと入った。天空神教を国教としているカレリアでは、神殿を設ける規模の街には、その神殿を中心とした教区が必ず存在する。窓外に王都大聖堂と似た建物が見え、誰に説明されるとなく、あれがシフォアの神殿だ、とシホが思った時には、馬車は行く先を変え、その神殿へ向かって進み始めた。
馬車は神殿の前に横付けされ、停車した。外から扉が開かれ、クラウスが先んじて下車した。シホも後に続く。
「『聖女』様、お待ち申し上げておりました」
強い陽光に一瞬視界を奪われ、目を細めたシホに、その声はかけられた。声のほうを見たが、すぐに焦点が定まらず、ただ、穏やかな男性を想像させる声の印象が際立った。
「シホ様、こちらはガゼー司祭。シフォア教区と神殿の長を務めておられます」
掛けられた声に、すぐに応じることができず、しどろもどろとしているシホを、クラウスが取り持ってくれた。ようやく慣れてきた目にクラウスの姿が映り、その背後に、教会の司祭法衣を身に着けた、恰幅のいい禿頭姿が映った。柔和な笑みを浮かべるガゼーは、おそらくシホの養父よりも年上で、優しく教えを説く姿が容易に想像される、ラトーナを男性にしたような人物だとシホは思った。
「王都からの旅路、お疲れのことと存じます。まずは宿舎からご案内いたします」
「司祭、いえ、わたしは大丈夫です。それよりもまず、報告にあったものをこの目で確認したいのですが、お願いできますか」
ガゼーが振り返り、従者に声をかけようとしたので、シホは慌てて身を繕いながら訊いた。これにはクラウスもガゼーも少し驚いた様子を見せたが、すぐに笑顔を見せ、
「畏まりました。では参りましょう」
と、先に立って歩き始めた。クラウスがその背に続き、シホも続いた。途中、ガゼーが指示を出し、シホに同道した護衛の騎士や傭兵たちに宿舎と教区内を案内させる様子だった。
シフォア神殿内は、他の教会神殿の例にもれず、天井が高く、その天井近くに設けられた採光用の窓からの明かりだけが光源であるため、心持ち薄暗い。それゆえ神殿入口から正面にある祭壇に灯された、無数の蝋燭の明かりが、神々しく見えるのだ。
ガゼーはシホとクラウスを促しながら、その祭壇に向かって進み、祭壇脇にある扉から、さらに奥へと進んだ。祭壇の裏には神殿内の中庭があり、さらに奥へと進んで再び建物の中へ入る。石造りの床を踏みしめる足音が反響し、いやに大きく聞こえる時間がしばらく過ぎた。
やがて大きな鉄の扉の前で、ガゼーは足を止めた。鉄の扉の前には神殿騎士団の兵士と思われる男性が二人、武装して立っていた。
「異常ありません」
と、一人がガゼーに報告し、もう一人が鍵の束を取り出した。ガゼーが頷いて応じている間に鉄扉は開錠され、二人の兵士がその扉を開いた。
「これが……」
クラウスが珍しく、呻くようなつぶやきを漏らしたのが聞こえた。ガゼーとクラウスの背に隠れて、鉄扉の向こうにあるものがシホにはまだ見えなかった。だが、クラウスが何を見てつぶやいたのかは想像できた。
「いまは大人しくなっておりますが、大森林内の遺跡で発見された際には、放つ強烈な魔力で、二人の男性が弾き飛ばされ、壁や床に叩きつけられて、命を落としております。ここへ運び込む前にも負傷者が出ました」
ガゼーは胸の前で印を結ぶ仕草をしながら、その身を脇へと引いた。促されるまま一歩、鉄扉の向こうの部屋の中へ足を踏み入れたシホは、目の前にその姿を見た。
窓のない、石組みの牢屋のような部屋の中心には、簡易的に作られたとわかる台座があった。そしてその台座に、それは突き立っていた。
鍔のない直剣。
柄にも柄頭にも、何の装飾もなく、一見すると、どこにでもある、平凡な一振りに見える。だが、普段剣など手に取ることのないシホでさえ、それが平凡な一振りなどではないことがわかった。
刀身が放つ銀色の光が、異常なほど強い。
窓はなく、光といえば出入り口から差し込む、薄暗い廊下の光だけであるにも関わらず、刀身がぎらぎらと輝いて見えるのだ。
美しい、とは思ったが、その強すぎる輝きは、明らかな妖しさ、なにがしかの恐ろしさを孕んでいた。陽光以外の何かが、その刀身を輝かせている。その何かとは。シホは想像する間に、次の一歩を踏み出し、同時にごく自然な動作で法衣の下から短刀を取り出し、鞘に納めたまま、胸の前にかざした。
力を感じた。
光が身体に流れ込んでくるような、そうとしか表現のしようのない感覚があり、それが手にした短刀から流れてくるものだと知っているシホは、その力を違和感なく受け入れた。そして小さく、徐に、その力を目の前でぎらぎらとした光を放つ剣に向かって解き放った。
その瞬間、シホの脳裏を、見たこともない映像が次々と過った。
巨大な王城。
居並ぶ騎士たち。
凄惨な戦場。
何かに取り憑かれたように人を切る騎士。
赤い炎が猛る岩場のような場所。
そこで槌を振るう男。
打ち出し、研磨される剣。
剣、剣……
それが目の前の台座に突き立った剣の記憶。剣が生まれ、体験してきたすべての記憶を、シホは巡っていく。かつてラトーナにあり、見出されたシホに備わった力。魔法と呼ばれる不可視の力が、対話の力となって無機物である剣と、シホの間を結び付け、その存在を、その力を、その名を、明らかなものとしていく。
目の前の剣が、伝説の百魔剣の一振りであるのか。
百魔剣であるならば、いったい何者であるのか。
剣の名は……
「そんな……!」
シホは反射的に力を解いてしまった。脳裏を流れていた映像が消え、猛烈な虚脱感が身体を包んだ。立っていることもままならない状態で、視界にあるすべてがぐるぐると回っていた。膝を付きそうになった身を、誰かが抱きとめてくれた。それがクラウスだとわかる前に、シホを案じるクラウスの声が、すぐ耳元で聞こえた。
「シホ様、いったい……」
いかにクラウスといえど、具現化していない魔法の力を見知ることはできず、いまの一瞬でシホの身に何が起こったのかを知る術はなかった。クラウスが剣とシホを交互に見る姿に、シホは改めて説明する必要があることを理解した。
そして、自分が『聞いた』剣の名を、忌むべき、恐ろしい名を、口にした。
「クラウスさん……アンヴィです」
クラウスの表情が、そしてクラウスの肩越しに見えたガゼー司祭の表情までもが、硬く凍り付いたように見えた。
百魔剣に関わるもの、百魔剣物語を正しく知っているものならば、知らぬもののない名。
アンヴィ。
「まさか……『領主』の……?」
クラウスが硬い表情のまま、もう一度剣に視線を送った。シホもアンヴィを『名乗った』剣に目をやる。
光源のない部屋の中で、妖しい輝きを放つ銀色の剣は、音もなく、ただそこにあるだけだった。
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