第4話 決闘

 怒号と異様な熱気が、天空神教神殿騎士団詰め所である館の中庭を包んでいた。


 厳しい規律、さらに教団としての戒律も課せられた神殿騎士団にとって、中庭に設けられた武術訓練場は神聖極まる場所であり、そのような罵声や野次が飛び交う場所では決してない。それがまるで金銭をかけて戦う闘技場のような有様だった。


 従者と共に訓練場に駆け込んだクラウスは、その光景に愕然とした。薄汚れた着衣、ものによっては上半身裸で、鍛え上げられた肉体をむき出しにした男たちが輪形になり、歓声とも嬌声ともつかない声を上げ、その中心では山のような体つきをした半裸の男と、それよりは細身の、やはり上半身裸の男が二人、訓練用の木剣を手に対峙していた。


 野蛮人どもが。クラウスは内心で舌打ちし、制止の声を上げようとしたが間に合わなかった。その前に、二人の男は木剣を振った。


 ほとんど同時に、同じ中段の構えから打ち出された木剣は、乾いた音を立ててぶつかり合った。そのまま刀身を滑り、鍔迫り合いの格好になった二人だったが、大男のほうがすぐさま押し込み、細身の男は弾き飛ばされるように身を引いた。


 大男は体勢を崩した細身に立ち直る隙を与えず、飛び掛かるように追撃した。細身は慌てて木剣を振るったが、姿勢の悪い状態では得物に体重は乗らず、ただ振り回しただけの剣に、大男の追撃を制するだけの力はなかった。大男は器用に、細身の男の振った木剣の、横凪ぎの軌跡をかいくぐると、そのまま右肩で当身を入れた。


 細身の男は今度こそ吹き飛ばされ、周囲を取り囲む男たちの人垣に突っ込んで倒れた。


 勝負は決した。誰の目から見ても明らかだった。背中をべったりつけて倒れた状態から立ち上げるまでに、相手からの攻撃を避ける術はほぼない。戦いに身を置くもの、その訓練を受けたことのあるものならば、誰しもわかることだとクラウスは思った。訓練であれば、腕試しであれば、それ以上の追撃は不要で、勝ったものは自身の力を十分に誇示することができたことになる。そのはずだった。


 しかし、クラウスの目の前で、信じられないことが起こった。


 大男は、倒れた男に、さらに木剣を振り下ろしたのだ。


 待て、とクラウスが声を上げる間はなかった。どす、という肉を打ち付ける鈍い音が響き、さらにそれは大男が木剣を打ち下ろすに合わせて数度続いた。


 人垣に紛れて見えなかったが、細身の男が意識を失ったのだろう。大男が木剣を振り上げ、野太い声で叫んだ。周囲を取り囲む男たちからも同じ声が上がり、声は石造りの館の壁に反響し、異様な熱気はさらに高まっていくようだった。


 木剣から血が滴っているのを、クラウスは見た。倒れた男は意識を失ったのか、それともそれ以上のものを失ったのか。むら、と立ち昇ったのは強い怒りだった。神聖なる居所であり、自身の家でもあるこの館で、血に飢えた蛮人どもが好き放題暴れているこの状況。勝ち鬨を上げた男にも、それを見守る男たちにも、そして敗れ、地面に倒れて動かない男にさえ、クラウスは激しい怒りを覚えた。


 傭兵たちが騒ぎ出したのは半時ほど前だったという。理由は定かではないが、一部の傭兵たちの間でいざこざが起こり、それが私闘へと発展したのだと従者は言った。神殿騎士たちの制止を押し切り、中庭へとなだれ込んだ傭兵たちは、半ば楽しむように一対一の決闘を始めたのだという。


「どうした、他にはいないのか」


 大男が周囲の男たちを挑発する。それに呼応するように、別の男が、他のものたちに押されるように輪形の中へと躍り出た。


 そもそもの目的は最早ないに等しく、決闘は、ただ力を示すこと、集められた傭兵たちの中で、誰が一番強いのかを決めることへと変わりつつあった。戦いを生業とする男たちの、理解しがたい姿に辟易とし、こんな蛮行を許している自身の部下たちにさえも苛立ちを覚えつつ、これ以上の勝手は許さんと、クラウスが蛮人たちの人垣へ割って入った時だった。


 ざわり、と明らかに周囲の空気が変わったのを、クラウスも感じた。


 なんだ、と思い、周囲を見ると、半狂乱だった男たちの視線が、一点に集まっていた。


 クラウスもその視線を追う。


 先ほど負け、倒れたままになっている男。


 そこ。


 いや、違う。


 そのすぐ脇だ。


 クラウスの目にもそれは映った。


 黒い影が、蟠っていた。


 なんだ、と思う間に、それは黒い衣服を身にまとった、長い黒髪の人間だと気づいた。男か女か、性別はわからなかった。線は細い。だが、こんなところに女性がいるだろうか。ここは神殿騎士の館であり、周囲にいるのは筋骨隆々とした傭兵ばかりだ。


 その人影は、クラウスに背を向ける形でしゃがみこんでいた。倒れた男に手を伸ばし、上半身を起こすと、背中に手を当て、力を込める仕草をした。途端、意識を失っていた男の身体が、びくんと一度跳ね上がり、肩で大きく息をしたのが見えた。


 おい、あれは、とクラウスの近くで声がした。ざわざわとした空気が周囲に広がっている。それがいったい何なのか、クラウスにはわからなかったが、傭兵たちは一様に、輪形の真ん中で、いままさに戦い始めようとしていた二人さえも、その黒い人影の一挙手一投足に目を奪われていた。


「おい、ローグ、あれは」


「へへへ、まさかまさかだな、ありゃ」


 クラウスは声がした方を見た。クラウスのすぐ近く、人垣の輪から少し下がったところで、二人の男が話していた。一人は細身の長身。妙に手足が長く、蛇を思い出させる目をした男だった。狡猾、という言葉がそのまま当てはまる男の印象に、さらに輪をかけてずる賢い印象を放つのが、話しかけられた方のもう一人の男だ。小柄で、半ばまで後退した頭髪を撫でつけた、鼻の大きな男。


「本物か? 最近じゃあ、格好だけ真似して一儲けするやつもいるらしいが」


「なんだ、アシャン、おめえは本物見たことがねえのか。あれは……」


「おい、てめえ!」


 ローグと呼ばれた小柄の言葉を遮ったのは、戦っていたあの大男の怒声だった。


 クラウスが視線を転じると、人垣の輪の中で変化が起こっていた。大男の前に出た次の対戦相手の姿はすでになく、大男は黒い人影に向かって、木剣の切っ先を突き付けていた。


「やろうってのか、ああ?」


 大男がニヤリと笑った。人を見下す、ひどく下卑た笑みだ。貴様も痛めつけてやろう。蛮人そのものの大男の視線の先で、ゆっくりと立ち上がった人影の手には、先ほどまで負けた男が握っていた木剣が握られていた。


「なんだ、あいつも知らねえのか」


 背後でローグの声がしたが、クラウスは振り向かなかった。


 大男と黒い人影の戦いが始まったからだ。

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