第一章
第1話 クラウス・タジティ
「……以上の内容を元に、王都警護騎士団に派兵を求めたところであります」
クラウス・タジティは努めてゆっくりと、抑揚なく言葉を紡いだ。この手合いには感情を曝け出した方が不利に働くことを、貴族の息子として生まれたクラウスは、幼少期からよくわかっていた。そう。曲がりなりにも。
「事前に聖王陛下からの書簡も送られていると伺っております。本日は『天空神教』高司祭、シホ・リリシア様からの……」
「だからね、クラウス神殿騎士長殿」
ひとりで使うにはあまりに広すぎる石造りの個室は、きらびやかな調度品に囲まれている。壁際には北方の匠による細かな装飾が施された木製棚が並び、クラウスが立つ足元の絨毯は、足首が埋まるほど長い毛足の高級品。南方の品だ。騎士団、という武装組織の名からは想像もできないほど高価な、しかし実用性に欠く贅沢品に囲まれ、これまた実用性に欠く、巨大過ぎる執務机に向かっているこの部屋の主は、クラウスの言葉を半ばで遮って話し始めた。
「その内容について吟味し、先日そなたたちの神殿に送った書簡の内容になった、というわけだよ。我々から出せる兵力は、聖王陛下の提示された数字の半分。それはすでに陛下からもご理解を賜っている」
突き出た腹に、たるんだ顎肉。戦うことはおろか、その訓練すらしたことのないであろう六十がらみの王国警護騎士団団長は、クラウスとは対照的に、初めから不快感をあらわにして唾を飛ばしていた。
「クラウス神殿騎士長殿。そなたとて、我が王国が戦乱の危機にさらされていることは、十分ご理解いただけているはずだ。これに際し、我が騎士団も『後方支援』を求められるわけだよ。いつ我々も、最前線への出陣が求められるか……」
それはない、とクラウスは内心で即座に否定し、むらっと立ち昇った強い怒りを意識して抑え込んだ。
神聖王国カレリア王都警護騎士団は、そのほとんどが貴族の長男で編成されている。それはこの王都が立地的に戦闘に晒される危険がほぼないからであって、跡継ぎを失いたくない大貴族たちが、それでも形上従軍させる必要があるために創設させた騎士団である。そんなものたちが、最前線へ派遣されるはずがない。
「そうした緊急事態に備える必要があるのだよ。聖女様のお力になれず、残念だがね」
演技的な表情で憂い、椅子から立ち上がった団長は、見るからに重い体を重そうに揺らしながら、クラウスに近づく。一応鎧は身に着けていることに、その時クラウスは初めて気が付いた。
「神殿騎士長殿。いや、聖女付神官殿とお呼びした方がいいのかな」
クラウスの前に立った騎士団長が手を挙げた。太く弛んだ手をクラウスの肩に置く。先が蹄になっていないか、クラウスは肩に置かれた手を見たが、そこには指輪が散りばめられた五本の指があるだけだった。
「既に聖王陛下のご理解を賜っている内容を反故にしようとする、このような行為はご自分のためにもなりますまい。ご自分の立場も考えられてはどうかな。当然、御父上も無関係ではいられなくなる」
妾の子が。
騎士団長がそう言ったように聞こえた。太い指から団長の顔に視線を戻すと。丸い肉の塊は、下卑た笑いを浮かべていた。
抑えつけた激しい感情が再び湧き上がる。まだ肩からどけようとしないこの手を、どうやってへし折ってやろうか。それとも、この腰に佩いた剣で叩き落してやろうか。どうしたら最高の苦痛をこの醜態に与えることができるか、クラウスは考えた。そのどれもクラウスには簡単にできる。できるが、それをした瞬間、クラウスは負ける。クラウスだけではない。あの少女も、必死で自らの宿命と戦おうとしている、彼女も負けてしまう。怪物だらけの貴族社会の中で、辛うじて得ている地位、権利すら失い、彼女は自らが背負わされた宿命に負けてしまう。
それだけは、容認できない。
クラウスは一度だけ、大きく息を吐いた。
「クラウス殿?」
「いえ……ありがとうございました」
クラウスはそっと騎士団長の手を払うと、背を向け、執務室を後にした。
彼女のもとへ…… シホ・リリシアのもとへ戻らなければ。
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