百魔剣物語——聖女と死神と欲望の魔剣——

せてぃ

序章

第1話 結末

 海の向こうから、巨大な黒雲が近づいている。強い風が吹き荒れ、古びた街路に打ち捨てられた様々なものを倒し、転がし、巻き上げ、何処かへと吹き飛ばしていく。


「待たせたか」


 目の前に立った男が、笑みと共にそう口にした。この戦いで何度となく目にしてきた、下卑た笑みを、男はその顔に張り付けていた。


 なぜこうなったのかを、リディア・クレイは考えた。こうならないための生き方を選んできたはずだった。にもかかわらず、この戦いは、これまでリディアが歩んできた、他の様々な戦いとは異なる結末を迎えようとしていた。


 自分は、何か変わったのだろうか。


 その変化が、この結末を呼び込んだのだろうか。


 そんな風に考えると、リディアの脳裏をあの少女の顔がよぎった。穢れを知らないまっすぐな瞳。自らの非力を呪いながら、それでも自らに課せられた宿命に、必死で抗おうとする横顔。


 変えられたのかもしれない。


 いや、それとも戻ったのか。


 戻った。想像外にすんなりと出てきた言葉に、リディアは自身が歩んできたこれまでのすべてを思い出し、そして苦笑した。


 そうか、おれは、戻ったのか。


「なんだ?」


 男が問いかけた。苦笑した口元が男にも見えたのだろう。いや、とリディアは応じた。応じながら、目深にかぶっていた灰色の肩掛けを取り払った。


「いま来たところだ」


 リディアの頬に、水滴が触れた。肩掛けが弾いていた、嵐の始まりの雨粒を、リディアはその頬で、腰まである長く艶やかな黒髪で受けた。同じ色の、踝まである外套が、少しずつ湿り、色を濃くしていく。


「そうか」


 男は満足するように笑った。あの下卑た笑みだ。表情の下にあふれる欲望を押し隠しもせず、満たされない欲求にひたすら貪欲な、品位のかけらもない笑みを深めた男は、腰に佩いた長い両刃の剣を抜いた。


「なら、始めようか」


 殺したくて殺したくて仕方がない。そういう欲求を、男は言葉と共に吐き出した。抑えきれず、むき出した歯が、かちかちと音を立てるほど、男は笑っていた。手にした剣が妖しく、美しい銀色の輝きを見せた。


 リディアも同じく、剣に手をかけた。その為に、ここへ来たのだ。応じるように、迷いなく、ゆっくりと鞘から引き抜く。


 ちょうどその時、天空を稲妻が走った。想像を超える速さで成長した黒雲が分厚く、暗く覆い隠した世界を、閃きが一瞬、明るく照らし出した。男の手にした剣が、強い銀光を放ち、それに応えるように、リディアが手にした剣が、紅い光を放った。


 リディアが手にした剣。


 半ばまで鞘から抜かれた、その剣。


 その刀身。


 まるで血を塗り付けたように、いや、血そのものを固めたように、その刀身は赤黒く、輝いていた。

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