野うさぎの手記

@hallucinati

第1話

 ぼくらが生きる砂漠には、不思議な植物がぽつぽつと、まばらに生えている。


 ぼくらは最初、生まれるときに、かみさまからひとつの手記をさずかる。そこには、花の咲いているひとつの植物の絵が、それはもうくわしく描いてあるんだ。すべての人の持っている、花の絵について言えることは、花の根元に水を蓄えるためのふくろがあること。

 そして、それは実際も同じ。それぞれの手記にしるされている花の水でないと、まったくおいしくないのだ。いままでにも、ぼくは何度か、渇きに倒れそうになったとき、あの水に助けられた。あの水には、いろいろな味があって、歴史の雄大さの味だとか、悲劇の味だとか、この砂漠には、本当にあらゆる味の水がある。

 ぼくの花の水は、すこし紅くて、甘い味がして、心なしか温かい。あの水は、ふくろの上側を上手に開くと、器のようになるので、とても飲みやすい! その上、唯一自分の姿を見ることができる、鏡にもなるんだ!


 ある日のこと。砂漠を歩いていると、花畑のようなものが見えた。近づいて見ると、それはぼくの手記にしるされている花だけが、ものすごくたくさん、寄り集まって咲いている! ぼくは大喜びで、花の水をたらふく飲んだ。そうしてぼくは、その日はもう、その場で眠りについた。

 次の日の朝。ぼくは、目が覚めてすぐに、その花の水を飲もうとした。いつものように、ふくろを上側だけ開いた。そして、ぼくは目を疑った。「ぼくは、こんな顔じゃない!」わけがわからない。ちょっと気に入っていた、生まれつきまつ毛の白かった部分が、灰色に、まったくの別物になっていた。ぼくは、寝ぼけてるんだと思って、勢いよく水を飲み干し、もう一度、眠りについた。


 次に目が覚めたのは、夜だった。こんどは、月の光をたよりにして、ふくろを開き、器をのぞき込んだ。やっぱり、白くない。ぼくは、どうすればいいかわからなくなって、水を一口飲んでみた。すると、全くおいしくないではないか! おかしい。水が紅くなくて、甘くも温かくもない。ぼくは花をよく見てみたが、やっぱりこれはぼくが、産まれてからいままでに飲み続けてきた、あの花に間違いはなかった。「ぼく、どうしちゃったんだろう」それから三日の間、どうすることもできなくて、水を飲みもせずに、たくさんの花のそばで立ち尽くしていた。


 三日後の夜、ぼくは、鈴の音を聞いた。もう、たくさん咲いていたぼくの花も、ほとんどしおれてきている頃だったから、そろそろ飲める水を探さなければいけないと、わかってはいるけれど、体が思うように動いてくれなかった。

 そんなとき、ぼくの横を、一匹の野うさぎが通りかかったんだ。そして、ぼくの目の前にたったいま咲き始めた、見たこともない花の前まで跳んでいって、ふくろを開いた。すると、なにかが弾けたように、一瞬だけ、火花が辺りを照らした。鈴のような音も鳴り響いた。

 ぼくは、これにはとんでもなく感動して、あんな素敵な花の水を飲めるなんて、あの野うさぎがうらやましい、そう思ったんだ。だからぼくは「ねえ、きみ」と話しかけたんだ。「なんだい」思いのほか、すぐにこたえが返ってきた。「その花の水は、おいしいかい」「ああ、もちろんだよ、君も飲むかい」ぼくは、ちょっと返事に詰まった。「……それは、飲めないよ」「どうして?」「だって、ぼくの手記には、そんな花の絵は描かれてないから……」「それでも、キミ、喉がかわいているんだろう?ここら辺には、もうこの花しか咲いていないよ」「そうなんだ」「ほら、ひとくち、どうぞ」「ありがとう」決しておいしくはなかった。けれども、合唱や、舞踊をしているときの楽しげな気持ちの味がした。

 「キミは、この花畑を見つけて、大いに満足してしまったようだね」「ああ、たしかに、ここにいれば生きていける、他に何もいらない、と思って、安心して眠ってしまったんだ」「そうか」野うさぎはぼくの隣に座って、質問した。「キミはいつも、何をして暮らしているんだい」「絵を描いている。無名だけれど」「ほう。なら、なおさらじゃないか」「えっ、何が?」「花のことだよ。あいつらは、なんどだって、ぼくらの喉をうるおしてくる。いくら求めようと、機械のようにぼくらの喉をうるおしてくる。おかげでいつも、あやうく満足してしまいそうになるが、それではいけないんだ。ぼくらは決して、あいつらの差し出すおいしい水に、満足してはいけない。もし、満足するときは、ぼくらがぼくらでなくなってしまうときだ」

 ぼくは、野うさぎの話を聞きながら、素敵な花の、おいしくない水をじわじわ飲んでいた。

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