12-13

 ふたりの男の声が聞こえてきた。ひとりは医師、もうひとりは知らない声。もちろん一志の声は聞こえなかった。

 「……死と隣り合わせの商売なんて……」

 「村人なりの知恵があったんだ」

 宣子は凍りついた。彼らは、死を招く花の話をしていた。窓から洩れてくるのは彼女がまったく預かり知らぬ事実だった。

 「毒があることなんて承知でやってるんだ、篠沢は」

 ……毒ってなんのこと?

 「自分の手を汚さず、立場の弱いやつを使って金を得る構図は今も同じなんだろ」

 ……篠沢が? 知りながらって……何を?

 膝が震えた。

 一志の顔が浮かぶ。

 愛しくてたまらなかった、本当に好きだった、わたしのあのひと。

 「血を濃くするために、血縁同士での婚姻が多いんだよ。この田舎の因習」

 一瞬、彼女の心の時間が止まった。

 ……血縁。血縁、って……?

 鼓動が早くなる。思考が戻ってくる。

 あまりの衝撃に打たれて、心の一部はうまく働かなくなっていた。その一方で全神経が男たちの話に聞き耳をたてている。

 「籍を入れない夫婦も多かった」

 宣子の手が大きく震え、タッパーが地面へと転げ落ちた。眼で追い、ぎこちなく拾おうとしてよろけ、地面に膝をついた。

 「……あ、っ……」

 宣子は小さく呻いた。男性が窓から顔を出した。見上げると視線が合った。知らないひとだった。

 大丈夫かと声をかけられ、大丈夫ですとおうむ返しに応じた。

 おいてけぼりになる心と常識的な自分を演じる脳が完全に乖離していた。その異常さに気づきながら、目の前の医師に相談することもできなかった。心の中には嵐が吹き荒れていたのに、平気な顔をして診療を受けた。愛想笑いまでしてみせた。睡眠薬を適量もらって、歩いて帰った。それからの記憶が宣子にはない。いつのまにか、現在につながっている。いま、ここに。

 宣子はカーペットの上で寝返りをうった。

 そういえば、世話役の夫婦もいとこ同士ではなかったか。よく似た顔のあの夫婦。いとこというのは嘘なのかもしれない。もっと近しい、たとえば、兄妹なのかもしれない。

 寒気がした。

 実の父親に陵辱を受けた彼女にとって、それは許しがたい最低の行為だった。おぞましくて気が狂いそうだった。

 「理解できない……なにこの村」

 低い呻き声が唇の隙間から洩れた。

 ノックの音が聞こえてくる。

 先程から何度も、誰かがドアを叩いている。

 応対すべきだという正常な判断力は失われていた。ノックは訪問を知らせる合図ではなく、ただの雑音でしかなかった。

 音はやがて聞こえなくなり、宣子はむくりと起き上がった。

 窓の外に自転車の明かりと弥絵の後ろ姿が見えた。彼女は半開きのカーテンをきつく握りしめた。

 「……弥絵ちゃん……ずるいよ」

 やっぱり一志は弥絵のものだったのだ。宣子は奥歯を噛みしめた。

 それでも、宣子の想いは哀れなほどに不変だった。

 彼が自分のことをいちばん好きでなくとも、たとえ嫌われたとしても、宣子は彼を愛し続けただろう。

 逢いたいとわがままを言えば、仏頂面のまま、無理に時間をつくって逢いにきてくれた。好きだなんて甘い言葉はいちども聞いたことがなかったけれど、優しい態度と仕種が彼の気持ちを示していた。

 とても幸せだったのに。

 すべては宣子ひとりの思い込みでしかなかったのだろうか。

 「一志くん。話したい。どうして、いないの」

 彼の真実の気持ちを聞きたかった。誰のことが好きなのか、はっきり教えてほしかった。宣子を選んでくれるのなら、幸せに溺れたまま死んでしまっても構わない。

 彼がいなくなってしまった理由を、本当のことを、知りたい。

 誰が彼を殺したの?

 ——あの男なの?

 宣子は堪えられずに嗚咽した。

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