6-1
杉本は困惑していた。
森の中、診療所への道を引き返しながら、頭の中でもういちど道順を思い起こす。
小屋の勝手口から出てまっすぐ。背の高い草の茂みをかき分けるとかすかに踏み固められたような道が見つかる。錆びついた有刺鉄線に開く大きな穴をくぐり、一直線に進むと、立派な大木にぶつかる。木の右手に進んだのは思いつきでしかなかったが、ひと月前は幸運にも、ペインの群生する場所へ辿り着けた。
今回も大木の地点から右に進んだはずだ。それなのに、行けどもペインの紅色は見えず、道は緩やかに崖下へとカーブを描き、ついには行き止まりになった。明らかに、前回の道順とは違っていた。
どこで間違えたのだか見当がつかない。大木の地点まで戻って試しに左へ進んでみても、似たような結果が待っていた。
いつの間にか少しずつ、道を逸れてしまったのかもしれない。なにしろはっきりとした順路など示されていないのだ。苔むした立ち入り禁止の看板も見つけられなかった。
それともあの大木が、前回目印にしたものとは別の木だったのかもしれない。次に辿り着けた機会には、道しるべの布でも結びつけておこうと思う。
日が暮れてしまう前に戻りたかったので、きょうの探索は打ち切ることにした。珍しく誰からも詮索される危険がない日だったというのに、残念で仕方がない。
弥絵も一志も秋祭りの準備だとかで、蕗地区に出払ってしまっている。
診療所は綾に留守番を頼んだ。携帯電話の電波など届かないから、緊急のときは鍋かフライパンでも叩くか、
空が黄金色に染まる頃、ようやく診療所が見えてきた。精神的にも疲弊したが、足も疲れきっている。
無事帰り着けたことに安堵を覚える一方、これから食事の支度をしなければならないのかと思うとげんなりした気分になる。綾は杉本よりも料理が下手なので、頼るべくもないのだった。
どうしてここにはコンビニがないんだろう。詮無いことを考えつつ扉を開けた。
「綾さん、戻りましたよ」
小声で言いながら靴を脱ぎ、自分のスリッパに履き替える。
ふと足下に見慣れない黒い靴を見つけた。患者だろうか。
視線を右に向けるとすぐに来客の姿が見えた。大きなテーブルを挟んで綾と向き合っているのは、半袖の白いシャツを着た篠沢だった。
杉本は眉をひそめた。あの一件以来、篠沢のことは警戒すべき人物として認識している。
また、荷物を探りにでも来たのか。綾がいてくれて助かった。
軽く緊張しながら、談笑している彼らのもとへ向かう。
綾は笑みを浮かべたまま振り向いた。篠沢も穏やかな視線を杉本に向けた。
「
テーブルの上には緑茶とケーキが並べられていた。
和やかな雰囲気にすこし拍子抜けさせられる。
「ええと……、資料を探しにいらしたんですか」
まさか診察を受けにきたわけでもないだろう。
村の予定を掌握している篠沢なら、きょうは診療所の人間が少ないことを知っているはずだった。邪魔者が少ないと判断してやってきたのではないか?
「いや、きょうはとりあえず、このあいだのお詫びに来ました」
「ケーキとお惣菜いただいたのよ、英次郎もお礼を言って」
上機嫌で綾が言う。
「え? ああ、そうなんですか」
わざわざすみません、と頭を下げてから、奥の台所へ向かった。小さなテーブルの上には百貨店のビニール袋が三つほど無造作に置いてあった。袋の隙間から覗き込むと、ローストビーフやサラダのパックが重なっている。内心、小躍りした。夕食はつくらなくて済むかもしれない。
薄汚れた白衣を脱いで、手を洗った。綾の御機嫌な笑い声が聞こえてくる。
居間に戻ると篠沢はもう帰るところだった。
玄関先で綾が見送るのを遠巻きに眺める。篠沢に会釈をされたのでこちらも返した。
扉が穏やかに閉じられた。
「綾さん。お茶、僕にもください」
杉本は椅子に座ると、戻ってきた綾に告げた。
四角い紙箱の中を見れば、三つほどショートケーキが残っていた。
「美味しそうだなあ。いただいていいですか」
「どうぞ」
綾は湯を沸かしに台所へ向かった。頼んでみたものの、素直に煎れてくれるとは思わなかったから、妙に落ち着かない気分になった。
モンブランを取って、包みを広げた。傍らに置いてあった小さなプラスチックのスプーンですくう。ひとくち頬張ると、感動的に甘い。
「はー、久し振りだなあ、ケーキ」
幸せを噛み締めるようにして、マロンペーストと生クリームのハーモニーを味わう。
「それ、美味しいわよね。わたしは和菓子のほうが好きだけど」
湯が沸くのを待つ間、綾は柱に寄りかかり、杉本に話しかけた。
「そう言ったら、今度はお
「……言うもんじゃないでしょ……」
それと気づかずに催促しているのだから困ったものだ。
「で、なんだったんですか。本当の目的は?」
「目的?」
きょとんとする綾を横目で見た。
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