6-2
「だって、綾さんに逢いにきたわけじゃないでしょ。こないだ言ってた、資料だかなんだかを取り返しにきたんじゃないんですか」
「ああ、これを届けてくれたのよ」
綾は白い封筒を差し出した。東京の消印が押されている郵便物だった。宛先は杉本英次郎、上条弥絵の連名になっている。
「……芝太郎。ああ……芝医師からですね」
郵便配達のバイクは森に入るのが困難なため、森の入口近くに建っている組合事務所へまとめて届けられるのが慣習になっている。郵便物そのものも非常に少ないようで、月にいちどの配給の日にまとめて渡されるのが常だった。
組合だよりだとか保健ニュースだとか、定期刊行物は毎月受け取っているが、個人宛の手紙は珍しかった。だからわざわざ、篠沢が直に届けてくれたのだろうか。
白い封筒を傍らに置いて、杉本はふうむと考え込んだ。
「用件はそれくらいで、べつに怪しいこともなかったわよ」
「そうですか」
湯が沸いたのか、綾は台所に引っ込んだ。杉本はモンブランの最後のひとくちを飲み込む。
急須を手にして戻ってきた綾が向かいの椅子に座った。杉本の湯呑みに緑茶を注ぎ、落ち着いた調子で言った。
「荷物を漁るような真似はしなかったし。お茶を飲んで、お話ししていっただけ」
「なにを話したんです」
湯呑みを受け取ると無意識に口に運んでしまい、熱さに驚いた。唇と舌がひりつく。
「ええっと……、自分のことばかり話してたわ。村長の息子さんで社長さんなんでしょう、あのかた」
涙目になった杉本は湯呑みを置いて、頷いた。
「それから、ここはペインの原産地なのですって? 知らなかったわ、どうして教えてくれなかったのよ」
「どうしてって……べつに言う必要ないでしょう。産地だからって、そこかしこに咲いてるわけじゃないし。温室で厳しく管理されてるみたいですよ」
「ええ、聞いたわ。篠沢さんがあの花の仕掛人なのでしょ。野生でしかなかったものを栽培して流通させて、ここまで流行らせたのも自分の力だって、力説していたわ」
「へえ」
意外だった。自分の手柄を得意げに話すようなタイプだとは思わなかったけれど。
「わたしもペインは綺麗だと思うから、たくさん咲いているところを見てみたいって言ったんだけど……、部外者の立ち入りは禁止されているからって、断られちゃった」
「そうでしょうね」
杉本も赴任したての頃に同じことを言い、にべもなく断られたのだった。
再びあの花園へ辿り着けたなら、綾を案内することもできるだろう。
一瞬そう思ったが、あんなに長く険しい道を彼女が黙って歩くはずもないと考え直した。
それよりも、と封筒を見る。消印は五日前のものだった。
封筒を裏返し、達筆で書かれた老医師の名前を読む。
芝と太郎の間に間隔がなかったので、まるで「芝太郎」というのが名前で、名字がないみたいだなあ、などと呑気なことを考えた。
湯呑みを置いたときに、はずみでケーキの包み紙が封筒に重なってしまった。
慌てて付着したクリームを拭き取り、封筒に数度触れたとき、ふと違和感に気がついた。
開封された形跡がある。
上部分の封緘場所ではなく、封筒の下を閉じている部分が微妙に盛り上がっていた。よく見ると、かすかに紙が千切れた跡もある。いちど剥がしてから再び糊をつけたような格好だった。
ふたたび、篠沢に対する疑念が頭をもたげる。
眉根に皺を刻みながら、杉本は手紙を開封した。
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