1-4

 「一志くんの恋人は、宣子さんなんでしょう?」

 「え、誰かそんなふうに言ってました?」

 宣子は頬を染め、小声になる。

 「いや、聞いてはいないけど……違うのかな」

 最近ようやく、ここでの生活リズムを掴み、周囲の状況も落ち着いて観察できるようになった。

 妹とそっくりの無愛想さを持ち合わせた上条一志は、なにを考えているのかよく判らない青年だった。宣子と一緒のときにも浮かれた様子は見えなかった。

 しかし、少なくとも宣子の方は一志に心を寄せているように見えた。

 ——失礼なことを言ってしまっただろうか。

 人間関係を把握する力など持っていないと自覚しているから、ふと不安を覚えた。

 「どう……なのかしら。この村、若いひと少ないでしょう。二十代なの、わたしと一志くんだけだから、あの……」

 宣子の顔がどんどん赤くなってゆくのを見て、杉本は微笑んだ。当たらずとも遠からずだったらしい。

 「十代なのは弥絵ちゃんだけ? そういえば、子供を見かけないね」

 それとなく話題を逸らすと、宣子はほっとしたように息をついた。

 「そうですね、弥絵ちゃんが一番年少ですね。一志くんがこのあいだ、二十歳になって……それでも集落では二番目に若いです。その次がわたしで、たぶん医師せんせいが四番ですよ」

 「ええ? 僕、三十二だけど。もっと若いひとはいないの?」

 そういえば、確かに同年代を見かけないような。

 「いませんよ。五十代が中心ですもん」

 集落の住人は六十人程度だからそんなものだろうか。

 「そうか、平均年齢高いんだろうね」

 「そんなに極端でもないですよ。戸山のおじいちゃんは八十を超えてたはずたけど、そのあとはみんな、よくて七十代……かな?」

 「へえ……」

 「平均よりも、寿命が短いのかしら。食べ物や気候はいいと思うんだけど……」

 住民の健康状態は見たところ悪くはない。診療所に残されている資料を見ても、病気や怪我で通院する者は少ないほどだった。

 そのかわりに、突然死が比較的多いという事実が存在している。

 杉本は顎を撫でた。掘り下げて考える必要がありそうだ。

 診療所の重たい戸が開いたのはそのときだった。

 「一志はいるか」

 メタルフレームの眼鏡に背広姿、整えられた髪。

 この辺りでは滅多に見かけない風体のその男性は、低いがよく通る声で一志の名を呼んだ。

 「篠沢さん」

 一志が立ち上がる。弥絵は顔をしかめる。

 「あ、社長を忘れてたわ。医師より四つくらい上だったかな……?」

 宣子がつぶやいた。

 一志の姿を認めた篠沢は、こちらに来いと手招きをした。

 それに応じ、一志は篠沢のもとへ歩み寄る。

 ふたりは戸を開け放したまま、しばらく玄関で立ち話をした。

 「よかったら中でどうぞ、お茶煎れますよ」

 杉本が声をかけた。

 「結構です。すぐに出ていきます」

 「弥絵、先に帰ってろ」

 そう言い残すと、一志がひと足先に診療所を出てゆく。

 篠沢も後を追おうとし、ふと足を止めた。

 「配線工事の件、やはり承諾が下りないので、ご了承ください」

 「ああ、いいんですよ。こちらのわがままですから」

 インターネットの件では篠沢にお伺いをたてていた。彼は村長の息子で、この集落を仕切っている実力者でもあった。ペイン産業が発展したのはひとえにこの男の力なのだそうだ。

 弥絵が小声で宣子に尋ねている。

 「配線工事って?」

 「医師のパソコンね、インターネットに繋ぐには新しい回線を引かないといけないの。ダイヤルアップ……って知らないか、ええと、電話回線を使えば一応ネットはできるんだけどね、その間は電話が通じなくなっちゃうから……」

 「それは、急患が出たとき困るかも」

 杉本は心の中でふたりの会話に頷いた。

 「車の使える者に送迎させて、蕗地区まで出ていけば役所で使えますから。申し訳ない」

 謝っているのにぞんざいな口調に聞こえるのが不思議だな、と思う。

 同じ内容を世話役の長浜からも聞かされていたので、杉本は素直に頷いた。

 「それでは。失礼」

 篠沢が出ていくと、束の間の静けさが満ちた。

 「一志くん、仕事かな」

 「どうせペインのことでしょ。くだらないことですぐお兄ちゃんを使うんだから。自分で世話すればいいのに」

 弥絵がむくれた声で言った。

 「専門職だもの、仕方ないわよ。ペインはデリケイトな花だから」

 苦笑いしながら言う宣子を、弥絵は複雑な表情で見遣った。

 杉本が集落についての愚痴を言うときによく見る表情と同じだった。あたしよりもずっと年上のくせになにも理解してない、困ったひとね、とでも言いたげな、諦めの混ざる、ませた顔。

 村の人間である宣子に同じ表情を見せるなんて、不思議だな、と杉本は思った。

 「……ね、芝じいは元気かな」

 ややあって弥絵が口をひらく。

 弥絵はなにをするにも、芝じいはああ言った、芝じいはこうだった、と口癖のように言う。事あるごとに杉本と老医師を比較するのだった。

 芝じい——芝太郎医師——はこの集落で三十年以上村民の健康管理に努めてきたという。

 この春に自らが倒れ、精密検査を必要として娘夫婦のいる東京へ一時的に住まいを移した。いつか戻るまでの「つなぎ」の医師として、杉本が任命されたのだ。

 前任の医師に、杉本はいちどだけ会った。温厚そうな老人だった。

 毒物研究を専門にしている彼を後任に強く推薦したのは芝医師だった。臨床の経験は少なく、もっぱら研究に勤しんでいた杉本はその話を断ろうとした。しかし芝医師と実際に会い、その真摯な姿勢に討たれて承諾したのだった。

 友人の医師から聞いた話も気になっていた。ここにしか生息しない花、ペインの噂。

 「検査を終えたら、ちゃんと戻ってくるよ」

 弥絵を安心させようと、杉本は落ち着いた声で告げた。

 芝医師は七十歳に近いはずだが、病でやつれていた点を差し引いても、年齢より若々しく見えた。自分なんかよりも長生きしそうだというのが彼の感想だった。

 「そんなこと判ってる」

 弥絵は机に頬杖をつき、視線を空に彷徨わせた。

 「死んだらここに骨を埋めるって、芝じい言ってたもん。奥さんのお墓だってここにあるんだよ」

 「そうなの?」

 宣子の問いに、弥絵は視線を上げることなく答える。

 「宣ちゃんは知らないか。立ち入り禁止の奥の、ずっと先にあるの。塚野原」

 「塚野原……?」

 顔を見合わせるふたりに、薄く笑ってみせる。

 「ここのひとたちのお墓だよ。あたしの両親もそこにいるの。あたしもいつか入るの……」

 杉本の頭に浮かんだのは、つい先程に見た、赤い花の群れだった。

 立ち入り禁止の奥の先。群生した花の先に、墓場があるというのだろうか。どうしてわざわざ、進入できないような場所に?

 「帰る。宣ちゃん、どうする?」

 弥絵が宣言し、雑誌を掴んで立ち上がった。

 宣子は慌てて答える。

 「あ、じゃあ、車で送るよ。自転車は後ろに積んでいこうか?」

 「んん、いい。自転車、乗っていきたいから」

 ジーンズの尻ポケットに雑誌をねじ込んだ弥絵が診療所を出てゆく。

 宣子も杉本にお辞儀をすると、閉まりかけた扉をすり抜けていった。

 ひとりきりになると、なんとなくため息がこぼれた。

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