1-2

 なにも考えられないまま、ふらふらと花に歩み寄る。

 「おい」

 背後に低い声を聞いて心臓が跳ねた。

 ひと気のない裏山を一時間余り歩き続け、彼はすっかり気を弛めていた。ここに自分以外の人間が存在するなんて、意識の片隅にも思わなかった。

 腕を後ろから掴まれ、仰天して振り返る。

 若い男が厳しい顔をして、まっすぐに彼を見つめていた。

 ひとまわりも年下の人間に睨まれて身をすくませる自分が情けなくなるが、その青年には歳に似合わない威厳のようなものがあった。

 「あ、ああ、一志かずしくん……」

 「ここは立ち入り禁止だ。立て札、見えなかったのか」

 そう言うと杉本の背後に回り、来た道に彼を押し戻す。

 「ごめん、迷ったんだ」

 上条一志かみじょうかずしは無言で杉本の背中を押した。ようやくここまで辿り着いたというのに、ほんの数分であっけなく引き返すこととなった。幼稚園の頃から成長していないな、と密かに苦く笑う。

 並んで歩くほどの幅はないから、杉本が先を歩く。一志がそのあとに続く。

 監視されているような気分を味わいながら、杉本はあれこれと言い訳を考えていた。

 歩きながら足下を見つめる。頼りなく細いとはいえ一本道だ。引き返そうと思えばすぐに戻れたことを、一志は判っているだろう。

 怪しまれただろうか。

 しかし、野生のペインをどうしても手に入れたかったのだ。

 「見つけてもらえて助かったよ。でも、よく判ったね……僕がここで迷ってたの」

 苦しまぎれに愛想笑いをしてみたが、背後の一志はなにも答えなかった。聞こえていないわけではなく、返事をする気がないのだろうと杉本は思った。この青年は極端に無口で、杉本がこの地区に越してから二か月余り、まだ数えるほどしか言葉を交わしていない。妹の弥絵とは毎日話している。そのおかげで彼女には少しずつ慣れてきた。それでも彼にとっては、野生の動物を手懐けるような感覚だった。もともと人付き合いは苦手なのだ。

 正直なところ、杉本は一志がすこし苦手だった。

 内心の疚しい気持ちを、一志にだけは見透かされているような気がした。

 一志ではなく他の人間に現場を見つかったなら、もうちょっと上手く取り繕えたかもしれないなあ、などと、うなだれて歩きながら考えた。

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