第10話 鼠穴を覗いてみれば
鼠穴という落語をご存じだろうか?
ご存知で無い方は、ぜひこの話を読む前に、その落語を聞いてみてほしい。
ご存知の方は、これから語られる話についてよく知る事が出来るであろう。
時は江戸の末期、世が明治へと移り変わるほんの数年前。
世の一部を恐怖に陥れた殺し屋がいたそうな。
背丈が低く、背は丸まっており、なによりもすこぶる足が速い。
そう言った噂から、殺し屋は『鼠』と呼ばれるようになった。
*
「なあ、聞いてくれよ姉貴!」
「うるさいわね、それ何回目よ。いい加減諦めたらどう?」
背丈が他の男どもより幾分も低く、貧弱そうな体つきの弟・・・重兵衛を、呆れたように見下しながら、姉のさつきは毒づく。
「一文、一文でいいから!」
「それ、二十三回目。いい加減真面目に働いたらどうなの?」
きっかけは、今でもよくわからない。
随分と昔に家を出た皐月は、家族や友人にも自分の行く場所を告げず、江戸へとやって来た。
理由は簡単、家族に自分の価値を知らしめたかったのだ。
皐月は、幼少期からコツコツと貯めたお金で起業し、強情な性格と、切れる頭を有効活用して今ではある程度の稼ぎを出すことができる店の代表へと成りあがった。
皐月の中で全ては順調、順風満帆に進んでいた。
しかし、そんな日々は、段々と崩れ始める。
原因となったのは、目の前にいる出来そこないの弟であった。
ある日、どこからか居場所を突き止めたらしい重兵衛が店の前にやってきた。
そしてあろうことか、重兵衛は店の品物を、それも一番高価な品を擦ろうとしたところ、従業員に捕らえられ、そのままお縄に着こうとしていたところで、騒ぎに気づいた皐月が店の奥から出てきた。
出てきてしまった。
「姉貴!姉貴じゃねぇか!助けてくれよ!!」
女のような高い声に、一目でわかるほど小さな体。
子供のころと一切変わらない姿で、皐月はすぐに、目の前の盗人が弟の重兵衛だと分かった。
「俺はただ、姉貴が俺から借りた金を取り返しに来たんだ!」
そんな嘘が通じるわけがない。皐月はそう高をくくっていた。
だが、周りの人々は、重兵衛の話を信じてしまった。
お陰で、皐月は店の代表から降ろされただけでなく、受け取ったことのない借金を払わなければならなくなった。
尤も、それらはまだ、皐月にとって耐え忍ぶことができることであった。
彼女が最も嫌だったこと。それは、皐月の衣食住の責任を自分が取らねばならないことと、こうやって自分の元へとやって来て、金を要求してくることだった。
一緒に住むなど生理的に無理だった皐月は、わざわざ長屋の一部屋を買い、重兵衛に与えた。
それだけではなく、重兵衛は何処かで自らの食料を紛失し、衣類をたった一日でボロボロにしてくるのだ。
その度に、衣食住の負担を強いられている皐月は、重兵衛の食料や衣類を買いなおさなければならず、相当の負担となっていた。
だが、それだけではない。
重兵衛は何かにつけてはお金を恵んでくれるように、皐月へと言い寄ってきた。
いくら突き放しても、家族の、それも皐月が家族で唯一の女だからか、重兵衛は他の兄弟に頼ろうともせず、皐月の元に来てはこうやって金をせびってくるのだ。
どうしてこうなったのだろうか・・・。
私の人生は、これからどうなってしまうのだろう・・・。
一生、この、出来そこないの弟を、まるで息子のように育てていかなければならないのか・・・?
皐月はそう思いながら、溜息一つ吐くと頭を抱えた。
何か、いい方法は無いか・・・?
この、出来そこないの弟を絶望のどん底に陥れる方法は・・・?
ある。一つだけ。
自分にも大きな負担がかかるが、それをすることで出来そこないの弟のお守りをしなくて済むなら、十分すぎる物だった。
「分かったわ。でも一日待って。一日待ってくれたら、十倍のお金をあげるから」
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