なんでもできなくてもいいと思うけど……

 幼馴染の伊藤澄香もようやく同じ高校に入学してきた。

「よお! すぅの頭でも入学できたんだな」

「うん」

 そっけなく返事を返す。

「もう少し喜べよ」

「嫌味を言われて喜ぶ人はいないと思うけど」

 ムッとした顔を向けてくる。

「いやいや、俺と隼人の苦労を考えたら、嫌味の1つや2つくらい……」

 澄香は高校に興味がなく、もう少しで無意味な浪人生活を送るところだった。澄香の兄の隼人も、同じ高校だからという理由で【秋桜高等学校しゅうおうこうとうがっこう】にするように勧めた。

偏差値の高い学校で、勉強があまり得意ではない澄香は、あまり乗り気ではなかったのだ。それを押し切り、隼人と2掛かりで教え、合格に導き入学までこぎ着けた。

「べつに、高校なんて……」

「なあ……すぅは、なんでそんなに暗いんだ? 本当はもっと明るいだろ?」

「どうして?」

 怪訝そうに見つめてくる。

「い、いや……どうしてって言われても……」

 正史の知っている澄香がそうだったからだ。

 今は、子供の頃から一緒なのだが。容姿が――もう、正史の知っている妻になってた。

 分かっている。違うのも。だが、嫌でも妻である澄香に重ねてしまう。

「私に何を求めてるの?」

「わりい……。変なこと言って……」

「変な正史」

 真新しいブレザーの制服をなびかせながら、歩き出す。

「何を求めてるの……か」

 見透かされたような言葉が、胸に刺さった。

 きっと――


 小さい頃澄香は、よく兄の隼人と比べられていた。だからなのか、なんでもできるようなフリのうまいくなっていた。頭もそんなに良くなかったのだが、できるように見せかけていた。

良く澄香は『隼人の妹なら、できるよな』と言われ『まあ……』と見栄を張っていた。

 隼人は、誰からも好かれ周りにはいつも誰かがいた。

それとは対照的に――澄香は、誰とも関わらずいつも1人でいた。関わるのが苦手で、失敗したりするとすぐに落ち込んで、誰もいないところで泣いていた。

 そんな、澄香をずっと見てきた。

 ――きっと、妻もこうやって泣いていたんだ。きっとこうやって悩んでいたんだ……。

 そう、今の澄香を見ていなかった。

 もう、妻はいないんだ。もう……

 

 

 澄香は、正史が産まれてから2年後に産まれた。真夏の7月30日だった。

 正史は知っていた。その日は澄香の誕生日だと。

 ――そして、結婚記念日でもあり……命日でもあった。

 正史は、澄香の両親にお願いをして澄香の誕生に立ち会わせてもらった。無事に産まれてきた。あの時は『生まれてきてくれた』と涙が止まらなかった。

 周りの人間からすると、2歳児が感極まって泣いている光景は、不思議でならなかっただろう。

 澄香が生まれてからは、毎日澄香に会いに行った。隼人には、『もう来るな』と妬かれてしまった。 ――まあ、来るなと言われても行かない訳がない。

 もう、本当に可愛かった。

 3歳になると、保育所に通うようになり、ずっと一緒にいることはできなくなった。

 澄香は、やんちゃな盛りの男の子に泣かされることが多かった。それを聞いた正史と隼人は、後日その男の子をシメあげに行っていた。

 その頃から、正史と隼人は強くて頭がいいと、女の子から持てはやされ始めた。

「しょうらいは、まさふみくんのおよめさんになる」

 という女の子も現れた。

 ちなみに、保育所の正史の将来の夢は

「某会社に入り、サブマネージャー、マネージャーとなり、統括マネージャーを経て本社勤務を目指したいです」

 と粋がる新入社員のような目標を掲げた。

「す、すごいわね、まさふみくん」

 先生は、幼児らしくない正史の扱に手を拱いていた。

 小学校に上がると、初恋の話が持ち上がる。

 女という生きものは、いつでも噂が好きだ。

「スミちゃんは、好きな子いるの?」

「え……弘斗くんかな……」

 そう答えたことが一瞬にして広まり、正史たちの耳にもすぐに伝わった。

 実際、小学生の恋愛感情なんて大した事はない。――大したことはないのだ。

「正史、どうしたんだ?」

「あ、ああ……。澄香が、弘斗ってやつが好きなんだって……」

「そうなのか? 母さんの実家の近くに住んでる奴で――祐成の弟だぞ」

 同じクラスの、佐藤祐成の弟だという。あそこは――全員襟足だけ伸ばしている男3人兄弟だ。

「なんで、そんなチャラチャラしてる奴に澄香を取られなきゃならないんだ!」

「いやいや、好きって言ってるだけだし。付き合ったわけじゃないから……」

「なに悠長なこと言ってるんだ! それでも兄貴か!」

「なんだよ。『正史』とでも言って欲しかったのか?」

「――ち、違う! そうじゃない……そうじゃない……」

 確かに『正史』と言われたいとは思っていた。だが、言って欲しいとは思わなかった。

 数日後、正史は弘斗に偶然、たまたま会う機会があった。

「お前、澄香の事どうおもってるんだ?」

「どうって……別に、どうも……」

「お、おま! 澄香が好きって言ってるのに、どうも思ってないのか!」

 弘斗の胸倉を掴み、体を引き寄せる。

「ちょっ! なんなんだよ」

「……っ」

 正史は小学生相手に、大人げない事をしていると気付き手を離す。正史も小学生だ。

――実際、記憶や知識は三十二歳なのだが……。

 次の日、澄香はみんなにからかわれた。『番犬』を飼っていると。

 澄香は、からかわれても平然とした顔をしていた。

 ちなみに、澄香は負けず嫌いが功を奏して、強かった。男子とは互角以上だった。だからか、『隼人の弟』なんて言われる事もあった。

 まあ、3年からバスケクラブに入って短髪にしたこともあって男勝りに拍車がかかった。――だが、バスケは1年で辞めてしまった。

 辞めた理由は、誰にも話さなかった。

 その後は、スイミングスクールに通い始め。すぐにクラスが上がり、順調に思えたのだが、これも1年ほどで辞めてしまった。

 中学はバレーボール部に入部。背が低いのにもかかわらず、1年でレギュラー入りをした。まあ、人数が少ないのもあったが、1年生では唯一のレギュラーだった。

バレーに関しては3年間やり遂げた。大分、嫌々でだった。

最後の大会で、顧問に

「やる気がないならコートから出ろ!」

 と言われ、無言でコートから出て会場をザワつかせた。

 卒業文集には

『なんで、3年間をバレーボールという無駄な時間に割いたかわからない。やらなければよかった』

 と書き、顧問の怒りをかった。

 きっと、失敗するのが怖かったのだろう。それは誰でも同じこと名なのだが、きっと澄香の中ではそれがダメなことだったのだ。

 1年くらいはまだ、できなくても『ドンマイ』で終わる。だが、それ以上になると、技術を求められる。きっと、それが怖かったんだろう。

 澄香は、できない事よりも、できない事を気づかれないようにする方を選んだのだ。

 隼人と比べられ『澄香はできる子だ』と言われてきて、プレッシャーだったのだろう。

 自分の居場所を守るために必死でもがいていたんだ。

――――『すぅは、できないんだ。すぅは、いらないんだ』

 ああ、そういうことだったんだ。妻は、『できる子』でいなくてはいけなかったんだ。――16年間。

「なあ、すぅ。疲れないのか?」

「何が?」

「いや……俺は、すぅは、なんでもできなくてもいいと思うけど……」

「……意味わかんない」

土手に寝そべりながら2人で空を見上げる。夕焼けが川に色をさす。

 風が、草を揺らす音が心地いい。

 澄香の育った場所に、今――一緒にいる。

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