最終話「にんげんっていいな」
ニンゲン(その1)
ぼくは、ばかです。
十さいです。おとうさんと、おかあさんと、くろねこのクロといっしょにまんしょんにすんでいます。がっこうでは「ばかがあつまるクラス」にかよっています。ぼくが「ちえおくれ」だからそういうクラスに行くのだと、ちかくにすんでいるおないどしのタカシくんがおしえてくれました。タカシくんはいじわるで、よくぼくのおもちゃをふんづけてこわします。だけどばかではありません。だからぼくが「ちえおくれ」なのは、きっとあっているのだとおもいます。
ぼくは「うえの」というところにすんでいます。おうちのすぐちかくにはどうぶつえんがあります。むかしは、おとうさんと、おかあさんと、いっしょによくどうぶつえんに行きました。でもいまはぜんぜん行きません。おとうさんとおかあさんが、なかよしではなくなってしまったからです。
「うるせえな! こっちだって疲れてんだ! 気ぃつかってくれよ!」
「じゃあ私は疲れてないって言うの!?」
おとうさんとおかあさんは大きなこえでけんかをします。ぼくはじぶんのへやでねむっていいても、よくそのせいでおきてしまいます。おとうさんとおかあさんのけんかはいつも三じゅっぷんから一じかんぐらいつづきます。
「ちょっと帰りが遅れたぐらいでヒス起こしてんじゃねえよ!」
「あなたが浮気なんかするから悪いんでしょ!?」
「いつまでぐちぐち言ってんだ! それはもう終わった話だろ!」
おとうさんがおうちのかべをドンとたたきます。おうちがぐらぐら揺れます。ぼくはおふとんをあたまからかぶって、だんごむしみたいにまるまってじっとします。
「あー、もういい。離婚だ! 離婚!」
りこん。おかあさんのこえが、すこし小さくなります。
「……離婚して、あの子はどうするのよ」
ぼくのはなしになると、けんかはおわります。
りこんとは、おとうさんとおかあさんがべつべつになることです。べつべつになるとぼくがどっちにいくかきめなくてはならなくて、でもおとうさんもおかあさんもぼくはいらないから、どうしようとこまってしまうのです。タカシくんにききました。ぼくにはばかじゃないおともだちがいないから、わからないことがあったらおとうさんかおかあさんかタカシくんにきくしかありません。タカシくんはおともだちではないけれど、いじわるをするためにぼくとよくおはなしをします。
大きなこえがきこえなくなります。ぼくはおふとんからあたまをだして、まくらにあたまをのせて目をつむります。
ふに。
やわらかいものが、かおの上にのっかりました。クロです。ぼくのおうちにクロのおへやはないから、クロはいつもすきなへやでねます。だいたい、ぼくのところです。
クロがじっとぼくをみます。くらいところだとクロの目はとても大きくなります。きいろくて、はしっこがすこしとがっていて、レモンみたいです。
「お前も大変だなあ」
ぼくは、とびおきました。
おかあさんのこえではありませんでした。おとうさんのこえでもありませんでした。でも、ぼくはばかだけど、ねこがしゃべらないことはしっています。だから、クロのこえでもないはずです。
だけどいま、へやにはぼくとクロしかいません。
「眠れないなら、話し相手になってやるぞ」
ぼくはクロをだきかかえました。そして「クロがしゃべった!」とさけびながらへやをとびだしました。おとうさんとおかあさんが、びっくりしたかおでぼくを見ました。
◆
クロは、おとうさんとおかあさんのまえではしゃべってくれませんでした。
ぼくはがんばってクロがしゃべったことをはなしたけれど、おとうさんもおかあさんもしんじてくれませんでした。「早く寝なさい」といわれて、ぼくだけへやにもどされてしまいました。ぼくはこうふんしてなかなかねむれませんでした。おかげでつぎの日、ねぼうをしてしまいました。
がっこうにいくとちゅう、タカシくんがはなしかけてきたので、ぼくはクロのことをきいてみました。タカシくんは「猫がしゃべるわけないだろ。ほんとお前は馬鹿だな」といってぼくのランドセルをけりました。ぼくは、やっぱりねこはしゃべらないんだとがっかりしました。クロがおしゃべりできたら、とてもすてきなのに。
がっこうからかえると、ドアにはかぎがかかっていました。だれもいないということです。かぎをあけておうちのなかにはいります。リビングのまんなかでごろりとよこになっていたクロが、おきあがってぼくをみました。
「おかえり」
きのうのこえ。ぼくはランドセルをなげすてて、クロにかけよります。
「やっぱり、しゃべれるんだ!」
「今更何言ってんだよ。昨日、聞いただろ?」
「でも、おとうさんとおかあさんのまえではしゃべらなかったでしょ」
「大人には内緒にしておきてえんだよ。しゃべれる猫がいるなんてバレたらどうなるか分からねえからな。お前も、もう誰にも言うなよ」
クロがしっぽでゆかをペシッとたたきます。ぼくは「うん」とうなずきました。
「どうしていままでしゃべらなかったの?」
「喋る猫なんておかしいだろ」
「じゃあ、どうしてしゃべることにしたの?」
「お前が可哀想だからさ」
ほそいおひげをヒクヒクさせながら、クロがしゃべります。クロはお口をあけなくてもおしゃべりができるみたいです。
「お前の親はな、お前が馬鹿だから何も分からないと思ってるんだよ。だからあんなデカい声で喧嘩をしやがる。たまったもんじゃねえよな」
「でも、ぼくはばかだよ」
「馬鹿じゃねえさ。少なくとも、オレにとってはな」
クロがかーっと大きくお口をあけました。わらっているみたいだったので、ぼくもクロにわらいかえしました。そのとき、げんかんからおかあさんのこえがきこえました。
「ただいまー」
クロが「内緒だぞ」と小さなこえでいいました。ぼくはひとさしゆびをお口にあてて「ないしょ」のポーズをしました。大きなスーパーのふくろをもったおかあさんが、リビングにはいってきました。
◆
それから、ぼくとクロはたくさんおしゃべりをしました。
がっこうのおべんきょうがむずかしくてわからなかったとき。タカシくんにいじわるをされたとき。おとうさんとおかあさんがけんかをしたとき。そういう、いやなきぶんになったときにクロとおしゃべりすると、すぐにげんきになります。クロのおかげでまいにちがとてもたのしくなりました。
おとうさんとおかあさんもクロとおしゃべりすれば、きっとなかよしになれるのに。ぼくはそうおもって、クロに「おかあさんたちともおしゃべりしてよ」とおねがいしてみました。クロは「イヤだね」とおねがいをきいてくれませんでした。「ワガママいうとお前とも喋らなくなるぞ」といわれて、それはすごくいやなのであきらめました。
そのうち、おとうさんとおかあさんはほとんどまいにちけんかをするようになりました。がっこうでいちばんなかのわるいこたちだって、まいにちはけんかをしません。けんかのこえでよるにおきてしまうから、がっこうではいつもねむたくて、わからないおべんきょうがもっとわからなくなってしまいました。
パリーン。
ある日、おさらのわれるおとでぼくはおきました。いっしょにおきたクロがベッドからとびおりて「勘弁してくれよ」とのびをします。ぼくはクロのそばにちかよって、やわらかいからだをなでました。
「あなた、本当にやり直す気があるの!?」
「家族をなんだと思ってるのよ!」
「なんとか言いなさいよ! 卑怯者!」
いつもとちがって、大きなこえをだしているのはおかあさんだけでした。クロが「変だな」といったので、ぼくは「そうだね」といいました。それからおかあさんはひとりで大ごえをだしつづけて、そのうちにつかれちゃったのか、しんとしずかになりました。
おとうさんがしゃべりました。
「止めだ」
おとうさんのこえは、ぼくがいままできいたどんな大ごえよりも、はっきりときれいにきこえました。
「止めだ、止め。こんな生活やってられっか。ついていけねえと思ったから浮気したのに再構築なんか選んだ俺が馬鹿だったよ。慰謝料でも何でも好きにしろ。ほらよ」
バン、となにかをたたくおとがきこえました。おとうさんがテーブルをたたいたおとだと、なんとなくわかりました。
「離婚届だ。俺の名前はもう記入してある。これで晴れて、さよならだ」
さよなら。おかあさんが、みみがキーンとするこえをだしました。
「なによそれ! 勝手なことしないで!」
「浮気ん時に散々離婚ちらつかせたのはてめえだろ!」
「現実を考えてよ! あの子を一人で育てるなんて出来るわけないでしょ!」
「ちゃんと生まなかったてめえが悪いんだろうが!」
「そっちにだって責任はあるでしょ! 私だって、ちゃんと生めるなら生みたかったに決まってるじゃない!」
クロのせなかのけが、ぶわっとさかだちました。
おこっているときのクロです。ぼくはクロをなでるのをやめました。クロはしっぽをぴんとたててへやのドアをみつめながら、ボソリとつぶやきました。
「クソどもめ」
クロがぼくのほうをむきました。レモンみたいな目が、いつもより大きくなっているきがしました。
「なあ」
クロが、かーっとお口をあけてわらいました。
「家出しようぜ」
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