第32話
「ああ、よかった。キイラ、信じていた……」
声が興奮気味に言った。キイラはまだ当惑が収まらないまま、指環に向かって尋ねた。
「ドルム、どうして?」
「今どういう状況だ。怪我はしてない? どこにいる?」
「わたしが先に質問をしたんだけど」
状況は読めないものの、キイラは声を尖らせた。カタリアは困り顔で指環とキイラとを見比べている。
「ごめん」とドルムが謝り、次いで大きく息を吐く音が聞こえた。
「その……うまく繋がったのが嬉しくて」
「どうしてあなたとわたしがこうして話せるのよ。なにをしたの。どういうことなの」
「順番に説明するよ。今、そっちの状況は大丈夫なのか? 周りに誰かいる?」
「いるけど……」
キイラはカタリアを見た。カタリアが両の手のひらで口を押さえた。
「友達だから平気」
「友達?」
ドルムが訝しげに訊き返した。
「あとで説明するわ。あなたの話が先」
「分かったよ。まず、今僕ときみとがこうして話ができている理由だけど……リーヴズの町に行ったときのことは覚えている?」
「覚えてるに決まってるじゃない」
「そのとき、僕が……」
キイラは「あっ」と声を漏らした。
「例の操音術!」
「音の粗さからしてざっと十二イールは離れているかな? 座標を特定せずに音を送るのは雲を掴むように思えたけれど」
苦笑交じりの声。
「皮肉な話だが、ここまで漕ぎ着けられたのはこの状況のお蔭だ。僕のオリーブ石と、きみの指環とを触媒に使った。本来であれば双方でペンタクルの用意が必要だが、その指環の腕の透し彫り紋様をよく覚えていたからね。図らずも、カドがまさしくきみの心臓石として機能しているという証明になったな」
「こんなにはっきりと聞こえるなんて」
キイラは声を弾ませた。
「この技術があれば、遠く離れた町にも情報を即座に伝えられる。単に便利になるだけじゃなくて、多くの災害を未然に防げるわ。あなたって天才」
「僕が天才なのは分かってる。きみがどうやら無事らしいことも分かったから、きみがいなくなってからのことを話そう」
カタリアが「自信家なの?」と尋ねた。
「魔術師ってのはだいたいそう」とキイラ。やり取りがきこえているのかいないのか、ドルムが続けた。
「連絡が遅くなって済まなかった。音を結ぶのに時間がかかったんだ。それに、あのあとすぐ自由に動けるのが僕だけだったからね。ジストとユタは謹慎処分で部屋から出られずにいたし」
「謹慎処分?」
「ジストが大暴れしたのさ。レイガンが教会を裏切るような真似をするはずないってね。彼の怒りの凄まじさたるや、春の夜の雷のようだった。大広間が半壊するところだったんだ。ユタはジストを庇って巻き添え」
「あなたは?」
「僕は……」
ドルムの声が昏く沈んだ。
「僕は『被害者』として扱われた」
キイラはそれ以上追及しなかった。彼の声色が苦々しさに満ちていたからだった。重く気まずい沈黙が流れた。
「それで……」
キイラは次の問いを口に出そうとして躊躇った。答えを聞くのが恐ろしくて切り出すことができなかった。キイラの逡巡を見透かしたように、ドルムが口を開いた。
「レイガンはまだ生きている」
その瞬間、言葉にならない感情が背後からどっとキイラの胸へと押し寄せた。それは安堵よりもずっと重苦しく、息がつまるようでもあり、痛みを伴う感情でもあった。
「ただし、彼は死を望んでいる」
「どうして」
キイラは喘ぐように尋ねた。
「そうとしか思えない。レイガンは己のしたことを全面的に認めた。キイラ、きみは……」
ドルムが苦しげに言った。
「彼の手で殺されたことになっている」
「そんな!」
「レイガンがそう自白したんだ。彼を快く思わない上級魔術師らもこれを裏付ける証言をした。きみが今こうして生きている以上、紛れもない偽証だ」
彼の声が静かな怒りに染まった。
「僕らの師匠は大馬鹿野郎らしい」
「わたしが戻ればすべて嘘だと知れるわ」
ドルムは冷ややかに言った。
「きみを殺した疑いは晴れるだろう。だが、彼が裏切りものだという事実は変わらない」
「レイガンは裏切ってない」
キイラは切迫した声音で訴えた。
「教会のことは裏切ったかもしれないけれど。ドルム……」
「どういうことだ」
ドルムの声が困惑に彩られた。キイラは説明した。ここに来てから起こったこと、聞かされたこと、知り得たことのすべてを。キイラが話す間、ドルムは一度も口を挟まなかった。彼がこの一方的な話を信じないのではないか、すべて作り話か、あるいはばかげた妄想だと疑われてはいないかとキイラが不安になってきたころ、ドルムは「それじゃあ」と言った。
「彼は彼自身が説明したように、私欲に駆られて反乱を企てたわけではない」
「そう」
「きみを殺してもない」
「そうよ」
ドルムが短く息を吐いた。そのまま続けるべき言葉を探していたが、結局彼の望む言葉は彼の喉のあたりで痞えてしまったようだった。
「あの男、二度殺してやる」
ドルムの声はかすかな湿り気を帯びていたが、キイラはそれに気づかないふりをした。
「わたしはレイガンと話さなくては。今すぐにでも」
「どうあれレイガンは死罪になる」
キイラがなにか言いかける前に、ドルムが遮るように言った。
「だが、僕はそんなことは認めない。なんとか極刑だけは免れないか、僕とユタで考えている」
「ぜったいになんとかなるわ。ジストだって全力を尽くしてくれる」
「ジストは……」
ドルムの声がふと翳りを帯びた。
「どうしたの」
キイラは不安に駆られ尋ねたが、ドルムの返事は歯切れが悪かった。
「おそらく彼の協力は得られないだろう」
「どういう意味?」
「彼は……」
ドルムが言い淀んだ。
「彼は無事なの?」
「五体満足かという意味では無事だ。だが、今の彼はレイガンを憎んでいる。心から」
「そんなことってないわ! レイガンの真意を知れば……」
「残念ながら」
ドルムは固い声で言った。
「なおのことジストはレイガンを殺すことに固執するだろう」
「どうして!」
「悪いが、今そのことに関して話している時間はない」
極力感情を抑えた口調でドルムが言った。
「きみがこれからすべきことを言う。僕らは既に準備を整えた。きみはそこから脱出しなくてはならない。レイガンが処刑される前に。きみのほうに当てはあるか?」
「あたし、抜け道を知ってる」
唐突にカタリアが口を挟んだ。遠く離れた場所にいるドルムが、彼女に注意を向けるのが分かった。
「いくつかの問題を解決できれば、彼女を逃がせると思う」
ドルムは猜疑心を隠さずに尋ねた。
「きみが信用に足る人物だとどうやって証明する?」
「わたしが」
キイラが静かに言った。
「わたしが彼女を信頼している」
「分かった」
ドルムが短く言った。
「キイラ、今きみはどういう状態だ。葉長石に繋がれているのか?」
「拘束されてはいない。ただし、脱出するために魔術を使えば王は勘付くわ。結界が張られている」
レイガンがキイラの脱走にすぐさま気づいたように。
「それと、きみの正確な位置が特定できていない。場所は」
「沈黙の森の南西部。川沿いで、幅は十五ラートほど。比較的高地にあるわ。星読みは苦手分野だけど、おそらくはメイズとナバリを結んだ直線上にある」
「助かる。今夜のうちには特定できるだろう」
「まさか連隊で押し寄せるわけじゃあないでしょ?」
不安になって、キイラは尋ねた。
「戦にはしたくない」とドルム。
「最低限の人数できみを迎えに行く。僕、ユタ、コウロウ、イド、シルファ……」
「そんなに?」
「レイガンは彼や僕らが思っていたよりは人望があったということだね」
その口ぶりに、兄弟子が肩を竦めているようすが目に浮かび、キイラは思わず小さく笑んだ。
「三日後だ」
ドルムが宣言した。
「三日後の夜明け前。それまでに脱出の手筈を整えてくれ。結界の外まで出られればいい。近くまで来れば追跡できる。あとは僕らがなんとかする」
「わかった」
キイラは頷いた。
「また連絡してくれる?」
「精々あと一回が限界だ。あまり頻回だとイスリオに気付かれるおそれもある」
ドルムが苦笑した。
「すぐに会える」
「ユタによろしく伝えておいて」
「了解」
なんともいえない、生ぬるいような、ほの温かいような沈黙があった。会話が終わるのが名残惜しかった。カタリアは口を挟まずに、立てた膝のあたりを見つめて静かにしていた。交信が途切れる間際、独り言のようにドルムが呟いた一言が耳に残った。
「生きていると思っていたよ。キイラ」
カタリアとは夜が更けてからまた話し合うこととし、キイラは一人の部屋へと帰り着いた。この風通しのよい独房とも、三日後にはお別れとなるのだった。キイラは指環を握りしめた。そこには既に兄弟子の気配はなかった。代わりに、カドが「おれは分かっているぞ」とでも言いたげにやさしげな光を放った。
怪我は平気なのかと訊きたかった。あの夜の怪我は。歩けるの。もう傷は痛まないの。わたしがいなくなってどう思った。わたしが死んだと思ったの。わたしがいない間、どんなふうに過ごしてた。わたしに会いたかった? わたしは……。
キイラは両の手のひらで顔を覆ったが、感情を拭い去るように、すぐに両腕を下ろした。こんなことを考えている場合ではない。今のわたしの使命はここを出て、レイガンを死の運命から救い出すことだ。それ以外のことはあとで考えればいい。
沈みゆく太陽の残り火、ひとかけらの残照が、立ち尽くす少女の体をやわらかく包んでいた。
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