第3章 影は蠢く

第18話

 ドルムの言う通り、休憩を挟みながら一日半ばかりも暗がりの中を進んだはずだが、思ったほどに長さは感じなかった。カドがいたとしても、一人きりだったらこうはいかなかっただろう。これを認めるのは少しばかり業腹だったが、兄弟子の存在は暗闇の中でキイラへと心強さを与えた。

 二人は迷うことなく出口へと——幸い危惧したような障害には出くわさなかった——辿り着き、もぐらのように洞窟から這い出した。闇に慣れきった目には昼の陽光は刺すようだったが、それでもじっとりと冷えた皮膚を乾かす陽射しの温かみがありがたい。人はひとしく光の下でなければ生きてはいけないのだと実感し、キイラは思わず感謝の祈りを口にした。隣でドルムが同じようにしているのを見て、そんな状況ではないのに笑い出しそうになる。

 木立を抜けると、リーヴズの町である。

「想定通りだ」

 ドルムが軽やかに言った。

 キリタチ山の麓にしがみつくこの町は規模こそ小さいが、東西を結ぶ街道の通り道でもあり、山を越え行き交う人の流れと混じり合って活気がある。学舎さえなかったポウスリーの村とも、整然とした街並みの中に人々の熱気漲るトラヴィアとも違うリーヴズの町。初めてここを訪れたとき、キイラの情動の一切は凍りついていた。だから、キイラは一種新鮮な思いでこの町の姿を見つめた。ドルムは慣れたようすでキイラを連れ、旅籠の一軒に入った。丸顔の女主人が訝しむように尋ねた。

「あんたがた、きょうだいかい」

「まあね」

 ドルムがことも無げに嘘を吐いた。キイラが呆れて彼の顔を見遣る。

「それにしちゃあ、随分と似てないね。ほら、部屋は二階だよ。なんかあったらすぐに言っとくれ」

  傷みの少ないドルムの長髪は神殿ではともかく、オリーブ石の耳飾りと相まってこの町では目立つ。紋章入りの外套こそ羽織っていないものの、見るものが見ればすぐに〈二軍〉の魔術師だと分かってしまうだろう。それに、幼いころから書物と魔術に親しんできたドルムの姿にはどこか田舎の男たちとは違う繊細そうな雰囲気があり、形ばかり旅人を装ってはいるが、まったく様になっていない。

 キイラがそんなことを考えているとはつゆ知らず、ドルムは改めてキイラの全身を確かめると、「きみの赤い髪は随分と目立つな」などと呑気なことを言った。

「きょうだいという設定はちょっと不自然かな?」

「ちょっとどころではないと思うのだが」

 カドが人の目を気にして控えめに、しかしやや棘の感じられる声音で言った。

「あんまり人の注意を惹きたくないんだよ」

「ならばそもそも人選が間違っているのでは」

「きみ、初めて喋ったときにも思ったけど、少し僕に辛辣なところがあるな」

 ドルムはかぶりを振った。キイラは気になっていたことを尋ねた。

「あなたはどうするつもりなの?」

「それはきみがどうするつもりかによるね」

「わたしが明日にもローデンロットに向かうと言ったら?」

「止めるだろうな」

「止められたってわたしは……」

「でも、それでもきみは行くと言ったら行くんだろ」

 ドルムが涼しい顔で遮った。彼の真意が分からず、キイラは眉を寄せた。

「きみが行くなら僕もくっついていかなきゃならない。それが今回の僕の役目だからさ。勿論、僕は下級魔術師二人っぽっちで抵抗者どもに挨拶しに行きたくなんかないが、きみがどうしてもというなら仕方ない。足手まといになってしまうかもしれないが、お供しよう」

 キイラはげんなりした。つまり、そういうことである。

「予定が狂ったわ」

「神殿の外に出られたのは僕のお蔭だろ? もしあのままだったら、きみは一晩中出口を探して地下をうろうろ、明け方ごろ自棄やけっぱちになって裏門から飛び出したところで御用だ。言っとくけど、レイガンがなんの準備もしていなかったなんて思うなよ」

「結局わたしは外に飛び出したつもりで、閉じ込められたままなんだわ。馬鹿みたい」

 キイラは自分への怒りと無力感が胸中に湧き上がるのを感じた。不快なつめたい炎。ドルムが首を振って否定の意を示した。

「きみを閉じ込めるようなことはさせない。師匠とはいえレイガンにそんなことはできない。ローデンロットに行きたいなら行けばいいと僕は思う。それは尊重されるべききみの決断だ。だけど、それはもっと色々なことが明らかになってからでも遅くはないんじゃないか。少なくとも、僕たちの師匠が知っていることくらいはさ」

 キイラは暫くの間沈黙を保ち、ドルムの言葉がすっかり喉の奥へと流れ落ちていくのを待った。そうして、一分ばかり目を閉じて考えたあと、彼女の兄弟子の言うことは理にかなっているとキイラは結論づけた。

「分かったわ」

 キイラは溜息とともにそう吐き出した。返事を聞くや否や、ドルムがあからさまに安堵の表情を見せた。よかった、と呟く。

「ジストたちのほうは……どうなっただろう」

「どういう手筈になっているの」

 キイラは尋ねた。

「うまく事が運べば、あとから迎えが来るはずなんだ。レイガンのあの様子じゃあ、長引きそうだな」

「うまくいかなかったらどうなるのだ」

 カドが口を挟むと、ドルムが顔をしかめた。

「考えたくもないね。だけど、その場合はジストから連絡が来ることになってる。そうだ! 連絡をしないと」

「連絡? いったいどうやって」

 こともなげに言うが、伝書鳩でも飛ばすつもりなのだろうか。この町に鳩舎があるようには見えない。ドルムがにやりとした。

「目下研究中の新しい通信術なのさ。操音術の応用で、だいたい半径七イールの距離までであれば朧げながら音を送ることができる」

「すごい」

 キイラはほんの一瞬状況を忘れ、思わずはしゃいだ。

「遠くにいる人と直接話ができるの」

「まだ課題だらけだけどね。それに、前提として、双方心臓石を身につけた魔術師でなければ不可能だ。貴石同士の繋がりを利用するからね。大事な部分は、これが心臓石の平和的で新しい使い方のひとつだってことさ。純然たる力の増幅器としてではない、もっと違った付き合い方があるはずなんだ。心臓石には研究の余地がある。僕はそういったことに興味がある……」

 そう言いながら、ドルムは指先で自身の耳飾りに触れた。硬質な光を放つオリーブ石。

「心臓石を手に入れたのね」

「掃討作戦の前にね」

 ドルムが肯いた。

「とにかく、僕は今夜にもジストフィルドにきみの話を知らせるよ。ローデンロットのことも。いいかい」

 キイラは頷きかけ、躊躇いがちに尋ねた。

「どういうことになるのかな。つまり、これから……」

「まずはレイガンに事実を確認することになるだろう。彼が報告するのが筋だ。彼が認めなければ、僕らが直接教会に報告することになるが、その場合……」

 キイラは冷静に言った。

「カドのことについて詳しく説明をしなくてはならなくなる」

「そうだ」とドルムは認めた。

「どうあれ、きみたちは引き離されるだろう。だから、そうならないように出来る限りの努力をする」

 キイラは頷いた。「ありがとう」と言っていいものかどうかしばし迷ったが、結局彼女は言わないことにした。その代わりというわけではなかったが、ドルムが隣の部屋に入っていこうとするのをキイラはふと呼び止めた。振り返って首を傾げるドルムに、キイラは尋ねた。

「今晩あなたの部屋に行ってもいい?」

 その瞬間、ドルムがなんとも言えない変な顔をした。ドルムは困惑したように二度口を開け閉めした。そして、躊躇いがちに答えた。

「いいわけがない」

「どうして? 今夜ジストに連絡を取るんでしょう。どんなふうにするのか、見てみたいんだけど」

 次にドルムが浮かべた表情は一層奇妙だった。

「ああ、そうだな。当然そうだ。きみがそう思うのは当たり前だな。好奇心はなにより魔術師を成長させる。レイガンも確かにそう言ってた」

 キイラは思わず怪訝な顔をした。

「行ってもいいの? それなら、夕食が終わったあとにでもあなたの部屋に……」

「いや、よくない。今夜じゃなくてもいいだろ? また機会があるから、そのとき見せるよ」

「どうして今夜はだめなのよ」

「ユタにぶん殴られるからさ」

「ユタになんの関係が? 第一、ユタはそんなことしないわ」

「きみ、今いくつだっけ?」

 脈絡の感じられない質問に、キイラは「はあ?」と言いたいのを堪え、「十六だけど」と答えた。ドルムは顔を顰めた。

「とにかく、また今度だ」

 ドルムは彼の師にも似た有無を言わさぬ口調でそう告げ、キイラがそれ以上なにか言う前にさっさと部屋に入ってしまった。廊下に取り残されたキイラは、眉を顰めて指環に問いかけた。

「いったいなんだっていうの?」

「さあ」

 カドは返事をした。

「おれにはなんとも。人間の考えることは複雑怪奇だ」






 その晩、奇妙な夢を見た。

 それはあまりに生々しく、現実感があり、初めキイラはその夢が夢であると気がつかなかった。夢だと分かったのは、身体がまったく動かなかったからだ。

 部屋の隅に男が立っている。

 見覚えのない男だ。影のような男だ、とキイラは思った。男の纏う長衣や、生気の感じられない沈んだ表情がそう思わせるのかもしれない。部屋が暗いために顔の造形はいまひとつ判然としないが、体躯は痩せ型である。男はしきりに辺りを見回し、なにかを探しているのであるらしい。ここがキイラの部屋であることにも、男はどうやら気づいてはいない。彷徨うように幾歩か踏み出しては、苛立ったように目を細め、また視線を巡らせる。男の体そのものはどこか遠くにあり、その姿だけがここに映し出されているかのように。

 確かに、男の姿に見覚えはない。だが、そのまぼろしの男を見つめていると、キイラは胸を締め付けられるような親しみと、懐かしさとを覚えるのだった。キイラは男に声を掛けようと試みる。

 ここよ、わたしは、ここ。

 しかし、男の視線はキイラの体を素通りする。暗がりの中で、男の表情は哀しげにも、淋しげにも、苛だたしげにも見えた。暫く辺りを見回したあとで、とうとう男は壁をすり抜けて、キイラの部屋の外へと姿を消してしまった。

 翌朝、目が覚めたあとも、キイラは夢の内容をはっきりと覚えていた。目蓋の裏に焼きついていた。

 あの奇妙な男の、黄金の瞳の輝きが。

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