第17話

「〈狩人〉の入り口がだめなら、どんな案が?」

「灯りを強めてくれ」

 ドルムが背嚢を下ろし、その場にしゃがみこんだ。言われた通りキイラは魔術の炎を少し大きくし、同様に屈み込む。ドルムが筒状にしたあの大きな地図を引っ張り出した。

「持ってきたの」

「これは別に試験じゃあないからさ。まあ、見てくれ」

 ドルムが持ってきた地図は三枚あった。キイラも記憶していた二枚の他に、もう一枚その三倍ほどの大きさの地図を広げる。

「これは?」

「見ての通り、この地下迷宮の三枚目の地図だよ。試験には必要がないから、普通の魔術師はこの三枚目の存在を知らない」

「じゃあなんであなたは知ってるのよ」

「僕は人より少しばかり好奇心が強すぎるんだよ」

 ドルムは悪びれた様子もなく言い、「それはいいんだ。先の二枚の地図はもういいだろ。それに、これを重ね合わせる」

 彼は自分のランタンを取り出すと、同様に灯りを入れ、苦心しながらそれに地図を透かした。途端、この洞窟の恐ろしく複雑な真の全体像が浮かび上がり、キイラは思わずうっと呻いた。

「なにこれ、記憶と全然違うわ」

「ここ、ただの地底湖だと思っていただろ」

 ドルムが指を伸ばし、第一階層の地図、べったりと青く塗り潰されていた一角をトントンと叩いた。

「実は、この底のほうにきみの知らない通路が繋がっている。その向こうに、広大な四つ目の区画が存在するんだ。そして、外に通じる出口はそこにある」

「出口はどの辺りに開いているの」

「確かじゃないが、多分、予想が正しければキリタチ山の麓、リーヴズの近くに出るはずだ。ちょうどいいだろう?」

「確かじゃない?」

 ドルムの口振りからかすかに自信なさげな気配を嗅ぎとり、キイラは顔をしかめた。

「本当に使える道なの。通ろうとしたら埋まっていました、なんて冗談じゃないわ」

「昔、途中までは通ったことがあるんだ。でも、なにしろこの地下通路は広すぎるんでね。探索しきれなかった。だけど、きみ、例え埋まってたってどうってことないじゃないか」

「どういう意味?」

「扉を結界ごとぶち破ることができるくらいの力があるんだから大した問題じゃないってことだよ。どちらにせよ、きみはこの通路を使うしかないんだ。そうだろ?」

 キイラは肩を竦めた。

「わたし、旅の準備がほとんどできていないからカルタに寄り道するつもりだったんだけど」

「諦めてくれ。一日半くらい、なにも食べなくてももつさ。ま、澄んだ飲み水ならたくさんあるぜ」

「そうと決まったのなら、早く進んだほうがいいのではないか」

 カドが口を挟んだ。

「夜が明けてしまうぞ」

「その指環の言うとおりだな。僕についてきてくれ」

 そう言って地図を丸め、さっさと歩き出したドルムはどこか張り切っているようにも見える。キイラはカドに向かって目を見開いてみせ、慌ててそのあとを追った。




「本当にこの奥に通路が?」

 キイラが怖気付くのを他所に、ドルムは悠々と自分の長い髪に撥水術を掛けている。

 広大な地底湖のほとりに二人は佇んでいる。底が見えないほどに深く、黒インキのような水面はランタンを近づけてもぬらぬらと光を跳ね返すばかりだ。なにか得体のしれない水棲生物や、青白く膨れた屍体でも沈んでいそうな雰囲気すらあった。

「大丈夫だよ。なにもいない」

 いっそ能天気なほどの声音でドルムは言った。髪を後ろで結わいている。

「僕はこの湖がいっとう好きなんだ」

「ここが?」

 兄弟子の正気を疑いながら、キイラは彼に倣いランタンへと魔術を二度掛けした。

「人の価値観は様々って言うけど」

「きみもきっと好きだよ」

「わたしは……」

 ドルムが微笑し、息を大きく吸い込むと、躊躇いなく湖へと身を沈めた。キイラも覚悟を決め、後に続く。身を切るような地下水の冷たさに、思わずぎゅっと目を瞑る。ドルムの指が、軽くキイラの腕をつついた。しぶしぶ目を開く。

 驚くべき世界が広がっていた。

 キイラは凍える冷たさも、ここが水の中であることを忘れ、茫然とした。二人のもつランタンの灯りが、透明度の高い水を彼方まで透かし、広大な地底湖の中の壁の凹凸までもを照らし出していた。

 底は見えない。石壁からは青みがかった美しい鉱石の結晶が張り出し、それが天然の足場となっている。水があまりに澄んでいるために、二人はまるで空中に浮かんでいるかのようだった。水と、闇と、光以外の全てから切り離され、キイラは自分とドルムがこの世界にふたりぼっちになってしまったような気がした。思わず緩めた口元から泡が一粒溢れ、きらめきながら上昇していく。

 ドルムが手招きし、キイラを先導した。水の中を滑るように移動しながら、ドルムは次々に空気の泡を形づくり、中に小さな魔術の炎を閉じ込める。そうして放たれた大小さまざまな明かりは、結晶の柱へと複雑に反射しながら、生き物のようにふわりふわりとキイラの周りを取り囲み、先へと誘導した。カドが呼応するように温かみのある光を放ち、挨拶をする。すんなりとしたドルムの砂色の髪が、今は白銀の輝きを帯びて水中に揺蕩った。

 ドルムがキイラの手を取り、横穴へと引き込む。不思議と息苦しさは感じなかった。ただ自分の身体が浮力にしたがって上昇するのを感じながら、キイラはぼんやりと目を開いていた。

 水面に顔を出してはじめて、身体の重みを思い出した。ドルムがキイラを両手で岸へと引っ張りあげ、キイラはなんとか身体の全てを陸上に持ち上げると、喘ぎながら這いつくばった。魔術によって弾かれた水が髪から、服から、肌からぼろぼろと玉になって零れ落ち、地面へ水溜りを作る。夢から暴力的に叩き起こされたような気分でドルムを見つめると、そのドルムが大声で笑い出した。地面に座り込んだまま、ひっくり返りそうなほどに楽しそうに笑うので、キイラも思わずつられ笑いをした。

「なにがおかしいのよ」

 ドルムは説明をせずにひとしきり笑うと、滲んだ涙なのか地下水の名残なのか、目元を拭った。

「どうだった」

「とても素晴らしかった」

 キイラはしぶしぶ認めた。

「幻みたいに綺麗だったわ。こんな場所を誰も知らないなんて」

「僕の秘密の場所だ」

 ドルムが神妙な顔を作って言った。

「今夜からは僕ときみの秘密になる」

「分かったわ、誰にも言わない」

 キイラが約束すると、ドルムは笑いながら感謝の挨拶をした。

「人のいたわりは心の薬だけど、ときには一人になりたいときもある。こういう場所が必要なのさ」

 ドルムが座ったまま上を見上げ、キイラも誘われるように視線を上に向けた。地底湖の中で足場となっていた結晶の柱がここにも張り出し、自ら仄かに発光していた。その光にはどこか温かみがあり、キイラは張り詰めていた心が慰められていくのを感じた。ドルムへの猜疑心がほろほろと解ける。キイラは膝を抱えて座りなおし、俯いた。

「ドルムはどうして神殿付きに?」

 ぽつりと放たれた脈絡のない問いに、ドルムは戸惑ったようすを見せなかった。

「分からない」

「分からない?」

「適性があったから。小さな頃から、僕は人と違った。きょうだいの中で一人だけ、言葉を喋り出す前から風を操り、光を呼び出すことができた。父も母も、厳格な祖父も、僕が神殿付きの魔術師になることを願った。それが一族の栄誉だと信じて」

 ドルムは静かに語った。

「お前はこの国の礎となるべく生まれてきたのだと。そのために生を受けたのだと。それでいいと思っていた。修行は楽しかった。それまで形を持たなかった僕の力に、神殿は名前を与え、色を与え、輪郭を与えた。感謝もしている、だから言われるがまま、異教徒らを狩る刃のひとつとして働くことに不満はない。だけど」

「だけど?」

 キイラは囁くように続きを促した。ドルムは苦笑した。

「……きみを見ていると、なんだか心を揺さぶられるよ。きみは一生懸命だな。きみはきみの意志で、きみの人生を生きようと……」

 ドルムはそこで唐突に言葉を切り、きまり悪げに口を噤んだ。そして、口早に言った。

「楽しくお喋りしている場合じゃないな。先に進もう」

 時折石筍に躓きながら、キイラは更に詳しいことをドルムに説明した。一番初めにレイガンにカドを見せたときの彼の反応のこと。トウズ遠征の後、試験の前後から急激に彼の態度がおかしくなったこと。心臓石の役割を果たすカドのこと。新しく知ったカドの能力のこと。カドの見せた、レイガンとフタル人とのやり取り。

「変だと思っていた」

「なにが?」

「各地での抵抗者たちの動きがさ」

 ドルムが考え深げに言った。

「フタル人らがテロリズム的に暴動を起こすことは以前からあった。この国の体制をおもいみれば、僕はそれは寧ろ自然なことだと思う」

 咄嗟に言い返そうとしたキイラを片手で押しとどめ、ドルムは続けた。

「彼らの破壊行動を肯定しているわけじゃない。ただ、この国で『フタル人である』ということはそれだけで生きていくのを非常に難しくする、と言いたいんだ。神殿を有する三都市においてはフタル人は一切の立ち入りを禁じられている。彼らの権利は厳しく制限され、アルスルムとの国境付近や沈黙の森の辺縁、貧しい辺境の土地に暮らすことをかろうじて許されているといった状態だ。ただ魔術が使えないというだけで」

「それは、彼らがルースに背いているからだわ。万物の主たるルースへの感謝を知らず、愚かにも神殿へと刃を向ける邪神の手先の彼らには、それが当然の報いなのよ」

「今はそういう話はやめておこう。僕が奇妙だと感じているのは、ここ数年の一連の暴動が全く理にそぐわないというところなんだ。いいや、『理にそぐわない』というよりもむしろその反対なのかも。ジストも言っていた通り、なにか恣意的なものを感じると言えばいいかな」

「どういうこと?」

「抑圧されていた不満が爆発する形で現れるのであれば、こうはならないはずなんだ。考えてみてくれ。彼らは集団を引き連れて突然現れ、村を襲い、その夜のうちに撤収する。非常に周到だ。このパターンはポウスリーでもトウズでも顕著だった。両者とも、フタル人とはなんのかかわりもない村だ。確執があったわけでも、なんらかの切っ掛けがあったわけでもない、ごく普通のイベル人の町村だ。近隣に同様の村があったにもかかわらず、抵抗者たちはこれらの町村に的確に狙いを絞った」

「イベル人を憎んでいるからよ」

「ああ、だからおかしい。単なる憎しみだけが原動力となっているのであれば、なおのことこうやって攻撃対象を選別するような動きは変だ。それも、怒らないでくれ……選ばれるのが『なにもない』村であるから余計に奇妙なんだ。村を焼き、皆殺しにするのは憎しみゆえだろう。だが、きっと本来の目的は火を放つことじゃない。明らかにどこかに司令塔があり、フタル人たちはそれにしたがって動いている。まるで、なにかを探しているかのように……」

 ドルムは不意に立ち止まり、目を瞑って考え込んだ。両手で口元のあたりを擦る。

「王」

 キイラが同様に足を止め、呟いた。

「それがフタル人たちの司令塔?」

「おそらくは」とドルムは同意した。

「あの男は、王はローデンロットにいると」

 カドが口を挟んだ。

「それも変だ。あの一帯は、ポウスリーが襲撃された直後に厳しい捜査の手が入ったんだ。フタル人らがあそこを根城にできたはずはない。ということは、彼らは戻ってきたんだ。拠点を移した。なんのために? あそこにはポウスリーの焼け跡しかない。それに、なにより……どうしてレイガンはそれを報告しない」

「彼は報告していないの?」

 キイラははっとした。疑惑や焦燥感に気を取られすぎていて、レイガンがこのことを神殿に報告した可能性について考えていなかったのだ。

「当然報告すべきだ」

 ドルムが困惑を露わにした。

「レイガンは、おそらくトウズ遠征でなにかに気づいたのだろう。きみとその指環にかかわる、重大ななにかだ。そして、試験を経てその確信を強めた。だが、彼はそれを誰にも明かそうとしない。ただ、きみたちを必死で閉じ込めようとするだけだ。考えられる可能性は二つある」

「教えて」

「きみたちが非常に危険であるという可能性。もしくは、きみたちが非常に有用であるという可能性」

 重たい沈黙が流れた。ドルムは咳払いをし、再び歩き始めた。

「どちらにせよ、あまり考えたくはないね。彼はその指環を神官にも見せるな、と言った。公衆の面前できみたちが発現した力は、おそらく彼にとっては予想外の出来事だったはずだ。そして、それは不都合だった。あの試験の結果を受けて神殿はきみを戦闘に耐えうると判断したが、レイガンはそれを撥ねつけた。彼がきみとカドに纏わるなんらかの情報を神殿にさえ隠したいと思っている以上、どちらに転んでも不穏なことになる」

 ドルムが首を振った。キイラは喉の渇きを自覚しながら、掠れた声で言った。

「レイガンは……わたしとカドとを利用しようとしている?」

「分からない。そうではないと思いたい。だけど、レイガンがああいった態度を取り続ける以上、きみがここに留まっている状況では彼と対話は望めない」

 そのとき、キイラはこの兄弟子が心身ともに非常に疲弊していることに気がついた。キイラがじっと横顔を見つめていることを察すると、ドルムは苦笑を零した。

「悪いね。きみの話を聞いて、僕はきみが一人でローデンロットに向かうことには反対だ。だが、僕は……僕たちはレイガンと対話する時間がほしい。レイガンが悪人じゃないってことを僕たちは知ってる。話せば、きっと分かるはずなんだ。レイガンはなにかを恐れてる」

「おれたちをここから出して、お前はいったいどうするつもりなのだ」

 カドが静かに問いかけた。

「僕はきみたちのお目付役さ。僕はきみをリーヴズの町で匿う。ジストはこのことを知っている。明日にもきみが眠らせたユタを起こして、レイガンを問い詰めるはずだ」

 キイラは一歩後ずさった。ドルムがキイラの手に触れ、穏やかに言った。

「騙すつもりはなかった。説明する時間がなかったんだ。きみがローデンロットに向かおうとする事情も僕らは知りようがなかった」

 ドルムの声音には祈るような響きがあった。

「キイラ、きみの決意には敬意を評する。きみは強い。とても。だが、きみはその指環とふたりぼっちじゃない。僕には、きみの姿が勇ましい反面とても危うく見える。どうか、頼ってくれ」

 キイラは返事をせずに、ドルムを追い抜き、歩き始めた。

「キイラ……」

「フタル人はポウスリーの報いを受けなくてはならない。確実に」

 キイラは振り向き、ドルムの顔を、その肩を見つめた。今は服の下に覆われているはずの、傷のことを考えながら。キイラは温度のない声色で呟いた。

「考えさせて。どうするのがわたしにとって一番いいのか。とにかく、外には出られるんでしょう」

 ドルムは頷いた。

「キイラ。きみのいいように」

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