第7話
「修行の調子はどう?」
ユタが尋ね、キイラは顔を顰めた。キイラたちは羊肉と野菜を挟んだバム——東部で言うユットコに似た食べもので、小麦粉と粘り気のあるサロ芋を潰したのをこねて焼いたもちもちの薄パン——をちょうど食べ終え、簡単な昼食を済ませたところだった。ユタが街に買い出しに行くというので、キイラがそれにくっついてきたのだ。
「まあまあ。レイガンはなにも教えてくれていないけど」
今は丁度三冊目に取りかかっているところで、これを読み終えたらいよいよ本格的にイベルタ魔術を教えてくれることになっている。キイラの渋い表情を見て、ユタが面白そうな顔をした。
「なにも?」
「なにも」
キイラは語気を強めた。
「彼がしたことといえば、本を渡しただけ。それだけ。わたし、文字が読めてよかったわ」
「ははあ、やっぱり、彼のやり方は受けがよくないみたいね」
笑いを堪えるようなその口ぶりにどこか引っかかるものがあり、キイラはふと首を傾げた。
「レイガンって他にも弟子がいるの?」
「どうして驚くの」
「だって彼はまだ若いし、何人も弟子をもつだなんて、そんなふうには……」
「まあ、ああ見えてそれだけ優秀だってことね。弟子はあなたの前にもう一人。それに、彼、多分あなたが思っているよりは年嵩よ。魔術師の外見年齢は当てにならないんだから」
「それじゃあ、幾つなの?」
「本人に聞きなさいよ」
キイラは首を竦め、快活に笑うユタの姿を見つめた。その陽射しを弾くような瑞々しい褐色の肌を凝と睨みつけ、キイラは不意に頭を掠めた思いつきをそのまま口に出した。
「もしかして、ユタも」
「やめて頂戴」
ユタがぴしゃりと言った。
「私はまだ……少なくとも三十にはなっていないわ」
眉尻を下げたキイラが「ごめんなさい」と言うと、ユタは笑った。
「ユタは、家族はいるの」
「ええ。弟が二人いてね。下の弟は、ちょうどあなたくらいだったわ」
袋から零れ落ちそうになった林檎を受け止めながら、ユタが答えた。その言葉が過去形だったので、キイラははっとした。
「先の内乱に巻き込まれて、下の子は死んでしまった」
「ごめんなさい」
キイラはもう一度謝った。今度はもっと重い調子で。
「いいのよ」
ユタはやはり先ほどと同じように微笑して、キイラの肩を叩いた。
「これまで、私のことを全然話さなかったわね。この肌の色のことが気になるでしょう。私は間違いなくイベルタの民で、イベル人よ。私の父も母もそう」
キイラは首を傾げ、続きを促した。
「私の祖母がキリカの民だったわ。若い頃にイベルタの兵士だった祖父と出会って、恋をした。それで、キリカを出て、イベルタの民になったのよ。正式にね。私と、下の弟は特にキリカの血を濃く継いでいたの。あなたも知っているように、キリカの民はイベル人からもフタル人からも差別的な目に晒されているし、神殿つきにもなれない。だから、色々と余計な苦労もしたわ。弟が死んでしまったのも、もしかしたら……」
キイラは三度目の「ごめんなさい」を言い、問いかけた。
「弟さんは、フタル人に?」
「今となっては分からないわ。殺されたところを見たわけじゃあないもの」
ユタは穏やかに首を振り、キイラから視線を外した。その眼差しは、遠く朧げな記憶の輪郭を浮かび上がらせようというように、諦めまじりにただ前方に投げ出されていた。キイラはユタの整った横顔を見つめながら、無意味に手のひらを握ったり開いたりしていた。
「でも、当時はそう確信していた」
「今は恨んでないの」
「どうかしら。そうね。こんな軍人のような仕事についてはいるけど、恨んではいないわ」
「どうして、恨まずにいられるの」
ふと、ユタがキイラのほうを向いた。視線が交錯したが、そのうつくしい紅の瞳の中にさざめく感情はあまりに複雑すぎて、キイラには読み取ることができなかった。ユタの手が再びキイラの肩を叩き、そのまま下へと降りて手を握った。歩きながら、繋いだ手を冗談のように振ってみせる。
「ユタ……」
「分からないわ」
ユタがぽつりと言った。
「分からない。でも、憎しみに支配されるより、今のほうがずっといい」
「わたしは、恨みも憎しみも捨てることができないわ」
「きっと、時間がかかるのよ。長い時間が……」
キイラは首肯いてみせたが、どれほどの時間が流れたとしても自分のこの憎しみが色褪せることはないだろうと思った。しかし、それと同時にユタの心の有りようを好ましいとも思った。それで、ユタと別れたあとで、キイラはカドに向かってこっそり話しかけた。
「わたし、ユタのことが好き」
「おれもキイラのことが好きだ」
指環がそうあっさりと答えたので、キイラは思わず目を丸くした。
「なによ、突然。別に嬉しくないわ」
「嬉しくないのか。人間はこういう言葉を喜ぶものかと思った」
「いやなやつ」
返事の代わりに、琥珀色がちかちかと閃いた。星の瞬きにも似たそれを眺めているうち、不意にキイラは気になっていたことを思い出した。
「ねえ、弟子って誰かな」
「弟子?」
「レイガンの弟子のこと。それってつまり、わたしの兄弟子ってことでしょう。もしかしたら仲良くなれるかも」
「どうだろう。きみの性格だからな」
「暖炉の中にぶち込まれたいわけ?」
その一言が効いたのか、それきりカドは黙ってしまった。キイラは部屋に戻り、三冊目の続きに取り掛かった。この調子でいけば、明日には読み終わるだろう。レイガンの顔に叩きつけてやるのだ。
レイガンの部屋に急いでいると、神殿つきの上衣を羽織った男がふたり、壁に寄りかかっているのが目に入った。
ひとりは歳の頃は三十程度、みすぼらしい枯れ草色の髪をした男である。うねってぼさぼさなのを、無理やり押さえつけているといったようすで、レイガンとは対照的だ。肌は色白というよりむしろ血色が悪い。重たげな瞼を半分ほど下ろし、辺りを睥睨している。
もうひとりは目を引く美青年である。二十歳程度だろうか。手足がすらりと長く、気取ったふうに背を壁につけている。砂色の長い髪を紺の紐で結わいており、オリーブ石の耳飾りをしていた。薄い唇を歪めて、楽しげに隣の男を眺めている。
キイラは目を合わせないように彼らの前を通り過ぎようとしたが、重たい写本を三冊抱えていたために、ちょうどよろめいてしまった。
「おっと」
青年が手を伸ばして支えようとしたが、キイラは自分で踏ん張って堪えた。
「きみ、もしかして噂の子じゃないか」
かすかにマルトン風の訛りがあった。そこには確かに面白がるような響きがあったので、キイラは目を合わせないようにして本を抱え直した。年嵩の男のほうが——勿論、魔術師の外見年齢は当てにならない——キイラを上から下まで眺めまわした。下がり眉の下の、気だるそうな目が瞬いて、「あいつの新しい弟子か」と呟く。掠れたような声かと思えば、案外耳触りのいい声である。男は口角を皮肉っぽく歪めた。
「なんだ、本当に子どもじゃあないか」
キイラの顔を覗き込む。キイラは思わず後ずさった。青年が笑いながら男を制した。
「やめろよな、怖がってるじゃないか」
「あん?」
「可哀想に、怯えてる。あんた、顔が怖いのさ」
「放っとけよ。なあ、おい、こんなちっこくてやせっぽちで、やっていけるのか? 手足なんかお前、棒っきれみたいじゃないか。心配だな」
「言い過ぎではないだろうか」
突然の嗄れた返答に、男は眠たげだった目を大きく見開いて瞬きした。青年もぽかんと口を開けた。キイラも同じくらいぎょっとして、危うく本を取り落としそうになった。
「おい、今——」
男がなにか言おうとする前に、キイラは胸元を押さえ、そこから駆け出した。
「どうしたのだ」
走りながらも、服の下の指環からとぼけた声が上がる。
「馬鹿」
「なにが馬鹿だと言うのだ。おれが知る限り『馬鹿』という言葉は——」
「いいから黙ってて!」
キイラは小声で怒鳴りつけると、レイガンの部屋の扉を三回ノックした。返答があり、キイラは一応乱れた髪を整えてから入室した。
レイガンは写本を抱えたキイラを一瞥すると、幾つかの質問をした。キイラがそのすべてに答えると、レイガンは一つ頷いた。キイラはかなりうまく答えられたつもりだったが、次にレイガンが発した言葉には自信を粉々に打ち砕かれた。
「まあ、ぎりぎり中の下と言ったところか……悪くはない」
「悪くはない? とてもいいじゃなくて?」
キイラは思わず聞き返した。
「大体予想通りだな。まあいい。これで今日から修行開始というわけだ」
釈然としないながらも、キイラは首肯した。その通りだ。このためになんとかあの三冊を読み切ったのだ。これでようやく、素晴らしい力の使い方を教えてもらえるはずだった。キイラはもう、三冊目の巻末に載っていたさまざまな術式を試してみたくてたまらなかった。
キイラは期待を籠めてレイガンを見つめ、彼の言葉を待った。いったい何から始まるのだろう。物質構築? もっと基本的なところで、状態変化の操作からだろうか?
レイガンはキイラから受け取った指南書をぱらぱらと捲り、しばらくの間考え込んでいるようだった。そして、余所見をしながら、「そこにスイカズラがあるから、よく磨り潰すように」と命じた。キイラは首を傾げた。
「そのあとは?」
「そのあと?」
今度はレイガンが小首を傾げ、微笑んでみせた。
「終わってから質問したまえ」
それもそうだと思い、キイラは黙ってその作業に取り組んだ。スイカズラは籠いっぱいにあったので、全てを磨り潰し終えるのには一時間以上かかった。キイラが痛む手を振りながら終わったことを報告すると、レイガンは次に時計草の根を細かく刻むように言った。これも大量だったため、キイラは汗をかきながら時間をかけて熱心に刻み、すべてをきっちり瓶に詰めた。そのあとは、猫噛み草を水の中でひたすら揉む作業が言いつけられ、キイラはそれもやり遂げた。
「終わったわ」
「よかった。それじゃあ次はリンデンバウムの根を——」
レイガンが此方を見もせずにそう言うので、キイラは両手で机を叩いた。手にはすっかり豆ができていて、キイラは思わず痛みに怯んだが、それよりも怒りの情動が勝った。
「わたしは薬師になりたいわけじゃない!」
「癇癪を起こすな」
レイガンがようやくキイラのほうを向いた。
「これだから子どもはいやなんだ。情緒が不安定な者は魔術師に向いていない」
「魔術を教えてくれるっていったじゃない」
「うるさいな。まるで赤ん坊だ。魔術の師匠より乳母でも探したほうがいいかね?」
レイガンが言い終わらないうちに、彼の向かっていた写本の頁が勢いよく捲れた。顔を顰めるレイガンの髪が、風に煽られて乱れる。魔術師は溜息を吐き、低い声で制止した。
「やめろ」
キイラはやめなかった。見えざる手で風を生み出し、部屋の大気を掻き回す。久々の〈瞼〉を開く感覚だった。目の前で羊皮紙の束が部屋の隅に吹き飛ばされていき、掴もうとするレイガンの指をすり抜ける。
「挑発のつもりか」
「そんなに言うならあなたの魔術を見せてよ。あなたは一度だってわたしの前で魔術を使ってない。こんな子供騙しより、もっとすごいことが出来るんでしょう」
とうとう重いインク瓶や壺が机の上を滑りはじめ、レイガンが鋭い声を上げた。
「キイラ」
「止めてみせればいいじゃない。それとも口だけ?」
次の瞬間、部屋いっぱいにおそろしい青の閃光が炸裂し、キイラは悲鳴を上げた。目が一瞬にして眩み、平衡感覚を失って蹲る。光だけではなかった。てんでばらばらな音の奔流が爆発的な力を以てキイラの耳に流れ込み、ありとあらゆる五感を狂わせた。首筋に冷や汗が吹き出し、キイラは腕で目と耳とを庇った。そうしてあまりにきつく目を閉じ、耳を塞いでいたので、その全てが一瞬間のうちに過ぎ去ってしまったことになかなか気が付かなかった。暫くしてからレイガンの手が肩に触れ、キイラはおそるおそる目を開いた。目はまだよく見えなかったが、レイガンが先ほどまでと変わらない体勢で椅子に腰掛けていることはわかった。キイラがよろめきながら立ち上がると、レイガンは穏やかな口調で椅子をすすめた。キイラは大人しくそこに座り、項垂れた。
「今のは?」
「ただの目くらましだ」
乱れた前髪をかきあげながら、レイガンが静かに言った。
「ようやく話ができるな。一巻の総論部分を読んだだろう。どんなことが書いてあった」
「自然界に存在するものは……」
喋り出しが掠れたので、キイラは何度か咳払いをして言い直した。
「自然界に存在するものはすべて、術式を内包している。わたしたちは、それぞれの『もの』を構成する仕組みを把握することで、それを使わずして魔術を行うことができる。だから、ペンタクルのみ、ないし呪文のみで行われる魔術ほど高度であるとみなされる。術者が術式を完全に理解しているということに他ならないから……」
「そうだ」
レイガンが肯定した。
「まじないや魔術を行うとき、基本的には植物や鉱石など自然界に存在する物質を使う。イベルタ魔術の考え方では、物質それ自体がそれぞれ固有の術式を内包しているからだ。そして、選ぶ術式の複雑さの度合いは『術者がどれだけ物質を理解しているか』による。例えば消音術。伝統的には真珠の粉末、梟の羽毛、乾燥させたユリの葉などを用いるが、これら一つ一つの成す術式とその相互作用を理解することで、材料が必要なくなることがある。イベルタにおける魔術の研究とは、このように術式を読み解き、文字や図形へとかきおこすことだ」
手袋に包まれたレイガンの指が、先ほどの風で舞い上がった鵞ペンを引き寄せ、空中に図解しながら説明した。キイラは予め読まされた三冊の内容を思い起こし、頷いた。
「いいかね。こうした自然の術式を読み解くことは、すなわちルースの言葉を読み解き、ルースの理を追究するということなんだ。そして、自分の目や耳を使って自然の中に潜む術式を読み解く努力をする前に、いきなりルースの言葉を理解しようなどというのは傲慢なことだし、不可能だ」
「なるほど」
突然嗄れた男の声が納得したように呟き、レイガンはぎょっとしたように口を閉じた。キイラは思わず天を仰いだ。観念して鎖を摘まみ、胸元から指環を引きずり出す。レイガンが目を瞠り、キイラと指環とを見比べる。
「黙っててって言ったのに」
「おれが何故黙っていなくてはならないかに関して、納得のいく説明をしないからだ」
「なんだそれは」
話についていけていないレイガンが、途方に暮れたように口を挟んだ。キイラは顔を顰めた。
「わたしにも分からないわ」
「おれにだって分からない」
「でも、悪いやつじゃあないの」
キイラは少し迷い、「多分だけど」と付け加えた。レイガンは少し躊躇い、「悪魔か?」と呟いた。カドが呆れたように答える。
「おまえもまたおれのことを悪魔と呼ぶのだな」
レイガンが眉を顰めた。手袋の嵌められた指が断りもなく、キイラの首にかかったままの指環を摘まみあげる。石がちらちらと瞬いて不快感を示した。不快感? キイラは首を傾げた。わたし、どうしてそんなことが分かるのだろう。
レイガンは指環を色々な角度から眺め、それからキイラ自身を穴が開くほど見つめた。思わず決まりが悪くなるほどに。そして、指環から手を離すと、長いこと考え込んでいるようだった。やがて、レイガンは呟いた。
「魔術がかかっているのか。だとすればいったいどれほど高度な……。よければ、私に調べさせてくれないか」
レイガンは手のひらを出した。キイラは僅か悩んだが、結局それを断った。
「形見だから」
これがなにものなのか知りたい気持ちは山々だったが、少しの時間であっても手放したくなかった。それに、この指環に宿っている『なにか』——それ自体に愛着が湧いてきていることを否定できなかった。レイガンは探るようにキイラの瞳を覗き込んだが、返事を聞くと意外なほどあっさり引き下がった。溜息を吐き、背凭れに寄りかかる。
「目立たないようにしてくれ。多分だが、突然指環が喋り出したら騒ぎになる」
キイラは頷いた。レイガンは時計——どこにでもある蝋燭時計や香時計ではなく、脱進機のついた新しいもの——を一瞥し、首を回した。
「そろそろ夕飯の時間だ。ユタと約束しているだろう」
「あなたは?」
「きみが親切にもさっきこの部屋のどこかに吹き飛ばしてくれた紙を、なんとかして探し出さなくてはいけない」
レイガンが皮肉たっぷりにそう言ったので、キイラはしゅんとして謝り、自分も手伝う旨を申し出た。レイガンは断ったが、キイラは内心ほっとした。この雑然とした部屋から紙切れ一枚探すのは、相当に骨の折れる作業に違いない。
レイガンの部屋の扉を閉めてから、キイラは指環に話しかけた。
「調べてほしかった?」
「いいや」
カドはすぐに返事をした。
「きみ以外の手で触られるのはなんだかぞっとしない」
「そう」
キイラは微笑んだ。
「レイガンがどうやら優秀な魔術師らしいってことは分かったわ。でもわたし、やっぱりレイガンとは合わないと思う」
中庭を囲む廻廊を歩きながら、キイラはユタに向かってそう零した。食事どきなので、人の流れは概ね広間へと向かっている。キイラは辺りを見回した。多くの魔術師がいるようだが、そのほとんどが見習いか、ユタのような下級魔術師であるらしい。
「そう言わないで」
ユタが笑った。
「師弟関係を結んだばっかりでしょう」
「そういえば、初めてユタやレイガン以外の魔術師に話しかけられたんだけど」
魔術師たちの群れを眺めているうちに、ふとキイラは昼のことを思い出して呟いた。
「すごく感じが悪かったわ。くしゃくしゃの髪をして、気怠そうにして、わたしのことを『お前』って——」
「ジストフィルドね」
それだけで、ユタがすぐに言った。困ったように笑いながら首を振る。
「間違いない。彼、誤解されやすいのよね。悪い人じゃないわ」
「勿論、完全な悪人なんていないだろうけどね」
キイラはむっつりと言った。
「なんだか……魔術師って癖のある人ばっかりみたい。もう一人のほうも、なんだか気取って、いやな感じだった……なんとなくレイガンに似てるような」
「私がなんだって?」
レイガンが追いついてきた。キイラの風に乱れていた髪は、元どおりに撫でつけられている。どうやら、先ほどの紙切れは驚くべき早さで発見されたらしい。なにかキイラの知らない魔術の手助けを借りたのかもしれなかった。
「今、ジストの話をしてたのよ」
「ジースのやつがなにか言ったのか?」
「ジース?」
キイラが思わず聞き返すと、レイガンは「いや……」と顰め面になった。
「放っとけ、あいつのことは」
初めて聞く乱暴な口調に、キイラはどこか親しみに似た繊細なニュアンスを感じ取った。レイガンは驚いたようなキイラの顔に目をやり、きまりの悪そうな表情をした。ユタがにっこりした。
「レイガンとジストフィルドは親友よ」
「親友?」
レイガンがすぐさま嫌そうに復唱した。ユタはこれを無視した。
「見習いだった頃からのね。同室だったの。レイガンが一番弟子でジストがその下。因みに私は六番目」
手のひらで自身の胸元を叩く。
「新しい魔術を修得するのもいつもレイガンが一番、ジストが二番」
「わざとだ」
レイガンが呻くように言った。
「本当は理論把握に関しては私よりもずっと優れているくせに、目立つのが嫌だからって調整していたんだ、あいつ。忌々しい」
「嫌いなの?」
キイラは尋ねた。
「ああ、嫌いだ」
「どんなところが?」
「待ってくれ、すぐに百くらい思いつく」
ユタが今度は声を上げて笑った。
「たった一人の親友のこと、そんな言い方しなくたっていいじゃないの」
「だから、別に親友なんかじゃあない。独立してからも妙な偶然が重なって、ずっと一緒というだけで……こういうの、なんというんだったかな」
「腐れ縁だ」
聞き覚えのある声が背後からかかり、キイラは首を竦めた。魔術師という生きものは総じて地獄耳らしい。どんどん道連れが増えていく。
「ジース」
レイガンが苦虫を噛み潰したような表情で振り返った。ジストフィルドが昼間見た通りの気怠げな顔で、にやついていた。彼はキイラをちらりと見ると、挨拶の代わりに片眉を上げた。キイラが首を傾げる挨拶を返すと、ジストフィルドは再びレイガンに目を向けた。
「嬉しいぜレイギィ、俺だってお前のことは大嫌いだ」
「黙れ、私をその名で呼ぶな」
「お前は俺をあだ名で呼ぶくせに?」
「直せればとっくに直している!」
噛みつくようにレイガンが唸る。その様子に、キイラはすっかり毒気を抜かれてしまった。
「ほら、仲良しでしょ」
ユタが耳打ちした。広間に入っても、二人はくだらないやり取りに興じている。
「たまには部屋を片付けろ」
「お前は身なりを整えろ」
「女遊びが激しすぎる」
「おい、根も葉もないことを!」
「俺はお前と違って一途なたちなんだ、なあユタ……こいつなんかじゃなくて俺にしておけよ」
「ジース!」
レイガンが眦を上げ、鋭く叫んだ。
「ジスト、私、そもそもレイガンとそういう関係じゃないわ」
下級魔術師のテーブルにつきながら、ユタが澄まして言った。その向かいを陣取りながら、ジストフィルドが笑った。レイガンもその隣にしぶしぶ座る。
「そりゃ失敬」
「でも、そうね、どちらかといえばジストのほうがいいかも。私、水晶煙草を喫まない人が好きなのよ」
「ユタ!」
今度は悲鳴まじりの声が上がり、ユタとジストフィルドが一斉に笑い声を上げた。キイラも思わず笑ってしまってから、慌てて口元を隠した。ジストフィルドがキイラのほうを見て、口をひん曲げた。おどけたように。キイラは一見捻くれて見える彼の瞳の中に、悪戯っぽくあたたかな光が宿っていることに気づいた。
いつもより賑やかな夕食が始まり、キイラは喧騒に紛れるような小声でカドへ囁きかけた。
「私、ジストフィルドのことも好きになれそう」
指環が返事をした。
「どうしてまた」
「敵の敵は味方ってこと」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます