少女は空から落ちてくる(6)

 アルルの息は、もうとっくに上がっていた。

 エンキに着せられた襤褸は、その粗末さのせいでかいた汗を吸うこともせず、肌に張り付き、熱を籠らせ、彼女の体力を一層枯らしにかかる。

 けれど、それでも足は止められない。近づいてくる巨龍の足音。

 散乱する鉄柱を飛び越え、荒屋の間をすり抜ける。

 どこかから「やっちまえ!」なんて声が聴こえた後に、爆音、響く。背後にチラリと目をやる。誰かエイリスの住人がコドルをダイナマイトで吹き飛ばそうとしたらしかった。小石が二つ、三つアルルの頬を掠める。


「やりおったか!」


 隣で白眉を垂らして杖を突く老爺が手を打った。アルルは脚を止めて、息を整えながら、そちらを見やる。けれど、”コドル”の姿は見えない。ただ家屋を燃やして勢いのいい炎が、爆炎の輪郭を不気味に映し出す。

 アルルの流した汗が頬を伝い、顎先から雫となって垂れる。

 徐々に煙が晴れてくる。”コドル”、右手足の一部が吹き飛んで停止している。


「カカッ! あの爆弾狂いもたまには役に立つ!」


 老爺がそう高らかに笑う。

 けれど。

 まだ光っている。青く、ギラついている。

 次の瞬間、青いその核から地上に落ちてきた瞬間と同じく、赤いレーザー光線が照射。それから、崩れ燃えている家屋の一部を吸い取り、右手足が再生する。

 老爺は口をあんぐりと開けた後、杖を投げ捨てて走り去っていった。

 再度響くは巨竜の足音。何事もなかったかのように平然と、アルルの元へと歩を進める。


「ああっ! もうっ! やっぱり!」


 アルルもで身を翻すと、地面を蹴った。

 彼女は"コドル"の恐ろしさを誰よりも知っている。地上は勿論、スカイ・ノアに住まう者の中でも、誰よりも。

 止める方法はたった二つ。”コドル”が命令を遂行させるか、その青い輝き潰すか。

 胸元の赤い石を握りこむ。前者、命令は遂行させるわけにはいかない。ならば後者……、絶望的だった。


「……っつ!」


 瓦礫に足を取られて、アルルがすっ転ぶ。擦り付けた膝。痛み。皮膚に小石が食い込む。それから一秒。滲み、流れ出る、赤い血。

 けれど、痛みに耐えて、直ぐに立ち上がろうとする。よろける。


「まだあっ……!」


 万力を込めて無理やり立ち上がって、彼女は走り始める。

 絶望的状況。けれどまだ一縷の望みがあった。

 交易都市、エイリス。その中央に座す。裏切りの空船(ノア)、ユダ。その内にはおそらく”コドル”に抗う術がある。


「私なら……。スカイ・ノアの”人間”の私なら……!」


 千年黙したその扉をアルルは開くことができるのか。



*


 派手にブチ上がった爆炎を片目にエンキは舌打ちをした。発破したダイナマイトはスラバルが計画した倍近い量はあったろう。


「おい、ボフミール! あの爆弾狂いにきっちんと話通したんだろうな!?」


 エイリスの狭い街路にトレーラーを押し通すエンキは助手席のボフミールにそう言った。

 ガゴンッ! と車体が跳ね上がる。何か轢いたな。瓦礫か、人か。


「話したっちゃ話したが、アイツがマトモに聞いてくれると思うか? 爆弾狂いのバンだぞ。スラバルに街中でかましていいと言われたら……分かってるだろ?」

「チッ! あの女、巻き込まれててくれるなよ……」


 爆弾狂い、バン。毎日飽きることなくユダの土手っ腹に大穴を空けようとダイナマイトを爆破させる変わり者だ。エンキが物心ついた時にはその爆破音を耳にしていたから、かれこれ十年は続けているのだろう。


「おい! エンキ。デカブツの動き止まったぞ。やったんじゃねえのか?」


 その言葉でエンキは片目をコドルの方にやった。運転が少し乱れて車体が何かを擦り、嫌な音がする。


 「だったらいいけどっ! なっ!」


 エンキは確信していた。あの程度でやれる訳はない。そして、策の次の段でも。スラバルもボフミールもあの巨竜を舐めている。スラバルが最終手段と言っていた方法でしか仕留められないだろう。つまり、実質チャンスは一度きり。


「か~! ダメかぁ~! こりゃ急ぐしかな……いでっ!」


 再び動き始めたコドルにボフミールが軽く言う。揺れた車体で窓に頭をぶつける。

 足止め、ほんの数秒。そして何事もなかったかのように先ほどと同じ速度でまた動き始めたコドル。流石のエンキも焦りを隠せない。


「舌ぁ、噛むんじゃねえぞ!」


 そう言うと更にアクセルを踏み込んだ。

 

*


「開いてっ! 開いてよっ!」


 その固いダグラス鋼の壁を叩くアルルの手に返ってきたのは、冷たさだけだった。波打つように薄く青く発光することは内部の電源が生きていることを示している。だから、アルルが、スカイ・ノアの人間が触れれば、触れた皮膚から遺伝子情報が読み取られ、近くの出入口が開く……はずだった。


「やっぱり……私じゃ……」


 がっくりと力が抜けた彼女は力なくへたり込む。

 あれから数度の爆発をくりかえして足止めに足止めを重ねた”コドル”も最早彼女から二、三十メートルのところまで迫る。


「パパ、ママ、みんな。やっぱり、私は……」


 力なく砂を掴み言葉を落とす。だが、その空気を一つの怒声が破壊する。


「アルル=ヒュラス!! 耳ぃっ!! 塞げっ!!」


 言葉、人にモノを伝える手段としてはあまりにも原始的な発し方。けれどそれは、アルルが地上に落ちてから最も聞いた声だった。

 アルルは顔を上げて、彼の名前を呼ぼうとする。


「エンッ! んんんっ!?」


 しかし、爆発!

 赤い火炎。地から噴き上がり、反応する間もなく鼓膜を轟音が殴りつける。熱波、肌を打ち付け、弾け飛ぶ砂粒がアルルの肌を突き破らんとする。

 いままでで一番の発破。爆弾狂いバン。普段スラバルに制限を掛けられている彼の珠玉の一発だった。火薬の配置を調整し、衝撃は真上のみに行くようにはなっていたが、その音は容赦なくエイリスを揺るがす。いつもの街の喧騒さえ小鳥の囀りに聞こえるほどだ。

 爆発の余韻。耳鳴り。

 キーンと甲高い音が彼女の聴覚を貫いている。

 それから、アルルは薄く目を開く。映るコドルの身を成していた折れた鉄パイプ、破けたトタン……エトセトラ。それらガラクタが今は山の様。T・レックスの名残はほんの僅かに残るのみ。


「やったか!?」


 誰かがそう声を上げる。

 けれど、彼女のそれを捉えていた。ガラクタ山の深く、依然輝く青の核。


「逃げて!! こんなんじゃコドルは……、倒せない!!」


 ギラリ。

 コドルが再びその身を再構築しようとする。アルルは自分の命を覚悟して、けれどせめて周りに被害が出ないようそう叫ぶ。

 夜天を仰ぐ。スカイ・ノア、そこでの幸せな日々が脳裏を過ぎる。しんと感じる静寂は未だ耳に抜ける耳鳴りのせいか。


「分かって!! らぁ!!」


 しかし、怒声。

 その声と共に飛んできたのは、エンキ。彼はガラクタ山を駆け上がる。そしてガラクタ山の中に腕を突っ込んだ。

 折れて尖った鉄パイプがエンキの腕の肉を裂く。エンキは僅かに顔をしかめる青い核はコドルの身を再生せんがため、赤いレーザーを周囲にまき散らし始める。

 が、エンキは更に深く腕を突っ込む。


「こんだけ近けりゃーーーー」


 その手には持っている。

 ――――材質、クロムモリブデン鋼。装弾数、六発。使用弾薬は.四四マグナム弾、及び.四四スペシャル弾。銃身長八.三七五インチ、口径十.九ミリメートル。

 対人用としては威力が大きすぎるため、公的執行官が携帯することを禁じられていたその銃の名は、S&W社製モデル二十九。


「外しゃしねえ!!」


 撃鉄を下ろす。引き金に掛ける人差し指に吹き出す血が流れていく。青い核から放たれるレーザーが止み、エンキは僅かに口角を上げ、引き金を引いた。

 ――――ダン!

 不格好な体勢で放ったモデル二十九のエンキの腕と肩に鈍い痛みを走らせる。ガラクタ山の一部が崩れて、ガララと音を立てる。

 青い核は、砕けていた。

 輝きを失い、ガラクタ山の一部となり果てていた。


「聞け! アルル=ヒュラス!」


 巨竜だったそれを踏みつけるエンキは、ゆっくりと立ち上がり、それから叫んだ。

 日が昇り始める。黒い鉄塊が白い光を反射する。逆光で影になったエンキ。アルルはしっかりと彼を見ていた。


「俺は"エイリスの鼠"モーゼスが弟分、エンキだ! アニキは盗人。六年前、盗みがご法度のこの町で遂にリンチされて死んだ。でも!! 俺はアニキを尊敬していた。命が何よりも大切だと言ったからだ! アニキが死んでから色々やり始めたが盗人の弟分、この街じゃ誰にもなんも認められねえ。どころか! ノケモンにされてる。今でも。今でもだ!! 俺は認められたい! 他の屑鉄屋どもに! 商人連中に! スラバルに! この街の奴らに! この街に! だから!だからだ! お前のツバメが必要だ! 一人前と認められるために! お前のツバメを手に入れたい! 仕事をやり切って、お前のツバメを手に入れたい!」


 興奮やら疲労やらなんやらで言ってることは支離滅裂。


「俺をこの街に認めさせて、俺のアニキも認めさせる! 小せえ承認欲求だ、かっこいい理由じゃねえ。でも俺にはこれが全てだ! お前の何も知らねぇ! けどお前を信じる!  だから! お前も俺を信じろ! 信じてくれよ!!」


 血まみれの腕を、アルルへと差し出す。


「私を…………」


 アルルは乾燥で張り付いた喉のせいで上手く声が出ない。一度唾を飲み込み、そして叫んだ。


「私を”イジェン火山”に連れて行って!!」


 なんの包みもないその言葉はアルルの信頼を勝ち得るには充分だった。

 その血まみれの手を握る。エンキは強くアルルの手を握り返して笑った。


「オーケイ!!」

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彼方の方舟 ~アース・ノア~ 蟹家 @crabhouse

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