少女は空から落ちてくる(5)


 エンキは頭を抱えていた。

 自宅兼倉庫の彼が作業部屋と呼んでいる一室。明滅する白熱電球が机上に散らばる金銀銅貨を照らしている。


「はあーあ……、足りねえ……どう考えても足りねえ」


 ため息と同時にエンキが天井を仰ぐと、木製の椅子が軋む。

 そあう、いくら数えても足りなかった。ここエイリスからジャワ島にあるイジェン火山まで約二万キロメートル。燃料費、食費だけでも相当掛かる。この倉庫とトレーラー、その他諸々を担保にしてスラバルから融資を受けられたが、額はどう計算しても必要経費の六割五分。自転車操業を続けているエンキに余分な金があるはずもなく、懐からはもはや一銭も出ない。


「わかってやってやがるな、あのクソジジイ」


 確かに今回のエンキがやろうとしている話、荒唐無稽だった。スラバルはきっとアルルが”スカイ・ノア”の住人だということも半信半疑。”ツバメ”を見せれば信じてもらえ、金も十二分に積んでもらえるのだろう。けれど、それは憚られた。きっとスラバルはその情報をボフミールに売る。そして、ボフミールがその情報を街に拡散し、この倉庫に無法者たちが殺到する。きっと、大騒ぎになる。勿論、エンキの手元に”ツバメ”は残らない。ならば、金が足りない方がまだマシ。


「いっそのこと、あの女を……」


 そう呟いてから、エンキは頭を振る。そしてその黒い考えを払う。アルルをイジェン火山に連れていくと約束した。嘘は吐くし、騙しもする。けれどエンキの信念として、約束は破れなかった。

 とは思うものの、足りないものは足りない。頭を抱え、考えを巡らす。

 しかし、エンキを悩ませるのはそれだけではなかった。扉の向こう。きっと今もトレーラーの座席を掃除しているアルル=ヒュラス。彼女をゴロツキから救ってから会話はほとんどない。はっきりとエンキはしくじったと思った。

 ゴロツキを殴り倒してから、エンキは黙考してしまった。彼女の目的、そして何をなそうとしているのか。本来ならば考える必要のないことだというのに。

 そして、アルルにエンキが黙った理由を考えさせてしまった。彼女はニブいが頭はまあまあ回る。そして彼女は気が付いた。自分が大きな隠し事をしているということをエンキが感づいたということに。彼女はいつそのことを問いただされるのかとヒヤついている。スラバルの所から帰った時の動揺っぷりがいい証拠だ。

 勿論、エンキとしては彼女が何を隠していようとどうでもいいこと。”ツバメ”を確保さえできればなにがどうでもよかった。そしてそれを心から明かさず愚鈍を演じたのは失策だった。

 けれどボンクラを演じて相手を出し抜く、というのがエンキがこの街を生き抜くために身に付けた定石。そうすることが髄まで叩き込まれている。本能といってもいい。

 が、イジェン火山に到達するまでの三週間、この雰囲気のままというのも居心地が悪かった。むしろ、スラバルと話してる間に、何か一策思いついたのだろう彼女がこのままエンキと行動するかも怪しい。


「どうしたもんかねえ……」


 まあ、そうは考えるもののはっきりと伝えるしかない。本能は今は抑え込もう。きっと二人の目的はきっと完全に合致している。エンキの思考の底を見せようと、アルルは”スカイ・ノア”の人間だ。彼女とはこの依頼ぽっきりの関係になるだろう。ならば、何を話そうとエンキの今後には関係ないハズだ。どんな人間だとバレようと構わない。


「おし」


 思い立ったら行動は早い。エンキは立ち上がり、作業部屋のドアを開ける。

 アルルはもうとっくに片付けて終わっているだろうトレーラーの座席を未だに片付け続けている。手持無沙汰で、かといってエンキに話しかけることもできないからとりあえず片付けをしている、といったところだろう。

 一呼吸おいてから、彼女を呼ぶ。


「おい、アルル=ヒュラス」


 エンキの声に、風を切る甲高い音が混じる。それが一瞬の内に大きくなったと思えば、次に襲ったのは轟音だった。

 エンキの倉庫兼家のトタン屋根を貫き破壊。コンクリート製の床を数十センチ凹ませ、周囲に亀裂が走る。掃除の行き届いていない屋内にホコリが大きく舞い上がる。


「なっ……、んだってんだよっ!?」


 風が頬を打ち、エンキは目を細める。回路やらネジやらが吹き飛び、天井から落ちたパイプはガランガランと音を立てる。

 それからしばらくして、舞い上がったホコリも落ち着き、落下物の正体が明らかになる。エンキの家のちょうど中央。ガラクタ山を潰して屋内をを滅茶苦茶にしたそれは、意外なことに小さかった。

 大きさは三センチ程度だろうか。形は立方体。青く輝いていて、まるでサファイア。

 逡巡。エンキの脳内を思考が駆ける。

 たしか昔顔見知りのの屑鉄屋がアレに似たものを拾ってきてたのを見たことがある。空から落ちてきた。今は一機の”スカイ・ノア”がエイリスの上空あたりだったハズ。ということは落とし物か。幸運? 僥倖? けれど。

 何か引っかかる。

 ラッキーにもほどがある。アルル=ヒュラスを拾っただけでツキは使い果たしてる。なのに、次は家に落とし物が飛び込んでくる? 偶然と考えるにゃデキが過ぎる。これは、もっと、なにか……。


「伏せてっ!!」


 エンキの思考がそこまで辿り着いたとき、アルルがそう叫んだ。反射的にエンキが屈むと、落下物は赤いレーザー光線を放ち始めた。それはまるで周囲を窺っているよう。滅茶苦茶になった屋内のガレキやらガラクタやらを触れる。どうやらそれ自体には害はないようだしばらくして光線が止む。そして静寂。思わせぶりだったそれにエンキの安堵だけが漏れる。

 するとアルルが猛然ダッシュ。エンキの腕を掴み、言った。


「立って! 走って! 逃げるわよっ!」

「お? え? は?」

「ほら! 始まった!」


 何が、と言えなかった。重力を無視して、ふわりと空を飛んだ青い立方体。一つのパイプがそれに吸い寄せられる。皮切りに、次々と部屋のガラクタ類が青いそれに引っ付き始める。そして、見る間に一つの形を成していく。体長十五メートルほど。その形はまるで古い図鑑で見た、古代の肉食竜。


「T・レックス……」


 はっきりそれと分かる形になった時、口をぐわりと開けてネジやらなんやらで出来た牙を剥いた。感じるのは、完全なる敵意。


「やべえじゃん」


 そこまできて、エンキはアルルの腕を握り駆けだした。扉を蹴り開ける。夜。けれど眠らないエイリスは方々で篝が焚かれ、所々でケンカ、乱痴気。その中を潜り走るエンキはアルルに問う。


「なんなんだよ! アレは!」

「”コドル”っていう”スカイ・ノア”の兵器。内蔵されたデータを周囲の物質を用いて再現す……」

「長えゴタクは後にしろ! つーか、兵器ぃ? そんな物騒なモン我が家に招待した覚えはねーぞ! 勝手に招待状出したな!」

「私だって来てほしくなかったっ!」

「じゃあなんで来てんだ!」

「それは……その……、ああもうっ! とりあえず逃げないとっ!」


 後方から破砕音。巨竜によってエンキの家はあっけなく倒壊。「ああ、ローンが!」と小さく叫ぶエンキ。


「うお!?なんだなんだ?」


 多少の騒ぎには慣れているエイリスの住人たちもド派手な轟音に興味を示す。裏道から顔が出てきて野次馬根性丸出し。巨竜の姿を認めて、それから数瞬。遅れて叫び出す。


「バケモンだぁ〜!逃げろ〜!」


 この街の連中はどこかバグっている。必死さに欠けていて、飛び込んできた非日常を楽しんでいる節がある。普段より死の淵ギリギリにいるから、全員が「自分は死なない」と思っている。いつも死ぬのは隣の奴。

 走り始めたコドルに踏み潰されたり、弾け飛んだガレキに殴られたりするのは、マヌケと嘲られる。


「てか、お前!アイツ、俺らのこと追ってきてるんじゃねえの?」


 眼……と呼べるのか分からないけれど、エンキが掘り出した遺物の一つのカメラで出来た目は真っ直ぐエンキとアルルを捉えている。

 するとアルルの視線は左下へ。


「…………多分、私のこと狙ってる」

「はぁ?なんでだよ!?」

「私が持ってる、コレを取り返しに」


 そう言ってアルルは胸元から赤いモノを取り出した。三センチ四方の立方体。あの落下物によく似ている。違いといえば色が真っ赤なことだけ。


「捨てちまえ!んなもん!」

 コドルの蹴り上げた篝が木板で出来た住居に着火。瞬く間に燃え広がる。

 巨竜猛進。ケンカをしていた奴らも揃って逃げ出す。

「できない!コレがなきゃ、全部意味ない!」

 アルルの回答にエンキは頭をかきむしる。

 三、二、一で思いついた策は一つ。


「よし! ありゃムリだ」

「それってどういう……!?」

「解散! お前が生きていたら、また会おうな!」

「ちょ……! 待ちなさいよっ!」


 そしてエンキはアルルの言葉も最後まで聞かず、駆け逃げ始めた。



「ちょっとま……! あぁ、もう!」


 エンキを追いかけようとする。けれど、足が一歩と動く前に、彼の背中は逃げ惑う人々の雑踏の中に消えていった。


「解散って……。やっぱりあんな地を這う人間(グランドノイド)なんて信用するんじゃなかった!」


 そう愚痴ってはみるものの、一人残されたアルルの目にはじわり涙が浮かんでいた。知らない地上、分からぬ左右、けれど後ろを見てみればコドルの目がギラリと光っていて。

 胸に下げた赤いその石を握りしめ、致し方なく、彼女は路地を走り出す。



 その頃やっと目覚めたザン。


「くそッ!まさかこの俺様が小鼠にやられるとは思わなかったぜ……っ痛てぇ」


 エンキにブチかまされた腹を抑え苦悶の表情を浮かべながら、立ち上がる。舌打ち。


「あの子鼠、許さねえ」


 自分の腹とプライドを殴りつけたエンキを追いかけ、ぶちのめす。ザンの中でもうそれは決まっていた。


「ジン! ズン! お前らいつまで伸びてんだ! 早く起きやがれ!」


 二人の丸い頭を順に叩くが返ってきたのは心地良さそうな寝息のみ。


「ったく。お前ら……わっ!」


 ザンがクソだらしないその双子に呆れていると、突如、天井から鉄柱が降ってきた。鉄柱、ガラクタの寄せ集め……、恐竜の脚? そこまでザンの思考が追いつき、見上げると、ガラクタ製のT・レックス、そしてその眼光。

 ザンは無言のままジンとズンの首根っこを引っ掴み、自慢のモヒカンが崩れるのもそのままに今年一番の速度で駆け逃げた。


 エンキは半壊した自宅兼倉庫へと戻っていた。


「あぁ、クソ! 全部めちゃくちゃじゃねぇか」


 落ちた天井から街の灯りが差し込んでいる。千切れた配線が時々放電し瞬く。

 けれど、エンキのトラックは奇跡的に無事だった。念のため燃料タンクやタイヤなどに傷がないか確認して回る。


「逃げる気か?」


 その言葉に振り返ると、隻眼を光らせたスラバルだった。


「人様の家に勝手に上がるんじゃねぇよ、クソジジイ」

「フン、何が人様の家じゃ。ワシが貸してやってるのだろうが。それをこんなメチャクチャにしおって」

「この忙しい時にテメェと言い争いしてる暇なんざねぇんだよ」


 そう言うとエンキはまたトラックを点検し始めた。


「……エンキ、逃げるのか?」


 それは今までとは明らかに纏う空気が違う言葉だった。威圧的で高圧的、権謀術数が紛れた蛇の囁きのようないつもの言葉とは違う。スラバルの生きてきた、生き抜いてきた人生そのものの重さが乗った、そんな言葉だった。


「……だったら、なんだってんだよ」

「あの女と、約束したんじゃなかったのか。イジェン火山に連れていく、と」

「したさ、したけどよ。こんな状況じゃあ、しゃあねえだろ」


 エンキはトラックを点検する手を止め、ため息のような口調でそう言った。

 スラバルは近くにあったソファにどっこりと腰を下ろす。それから、落ちた天井から見える夜空を睨み、言った。


「ワシは、大鼠……モーゼスを、男だと思っとる」


 その言葉は、エンキの逆鱗に触れた。毛、逆立ち、目、血走る。無言のまま近づき、謀略と権力を剥げばただの小柄な老人でしかないスラバルの胸倉をつかみ上げる。


「テメエ、なに言ってんのか分かってんのか」

「ワシがモーゼスを認めていると言っている」


 スラバルはその目でまっすぐにエンキを見る。長い付き合いから、なんの策も弄していない、真の言葉とエンキには分かった。だから、だからこそエンキは吠えた。


「だったら! だったらなんで、モーゼスを! アニキを殺した! 認めていたならなんで!」

「認めていたからだ。モーゼスという男は危険過ぎた。そこいらの男が、命が無上だと訴えたところで、ワシは鼻で笑う。だが、あの大鼠は、この街の盗みだけは許さないというルールを壊しかねない。だから殺した」

「だけどアニキは、正しかった!!」

「そう思っているなら、何故逃げる」

「そ……それは……」

「ワシに、この街に認めさせてみせろ。お前があの女と何をしようとしているかは知らん。だが、その功を以てお前を認めさせて、そして兄貴分だったモーゼスという男を一部でも認めさせてみろ」


 エンキの手から力が抜ける。俺を、そして兄貴分、大鼠モーゼスをこの街に認めさせたい。スラバルの元から俺を連れ去ったアニキのその”盗み”は正しかったのだと、認めさせたい。ちっぽけな意地。でも、そのために生きてきた。そのためにこのエイリスというクソッタレの中で泥を啜って生きてきたのだ。

 命を張る。覚悟はある。


「……やるさ、やってやるさ。俺はエンキ、この街一番粋な男、モーゼスの一の弟分、エンキだ。あのバケモンも軽く潰して、あの女との約束も果たして、この街に認められてやる!」


 そうエンキが血気づくと、スラバルは鼻だけで笑い、口角を上げた。


「して、ボフミール。街の様子はどうなんじゃ」

「ボフミール!?」


 倉庫の暗がりからいつも通りのヘラヘラとした表情でボフミールがぬっと現れる。


「お、おま、いつから……?」

「ん? 最初から。いや〜、エイリスはもうぐちゃぐちゃだね。あのバケモンが通った後はサラよ。あの女は曲がりくねりながらだが、街の真ん中の方に向かって走ってる。そうだな、あと十分程度で”ユダ”にまで着くんじゃねえか?」

「助かった、ボフミール、この情報の金はまた」

「待て、この子鼠」


 ボフミールから話を聞くや否や飛び出そうとしたエンキをスラバルが収める。


「策はあるのか、あの化け物を倒す策は」

「んなものはねえけど、それは走りながら考え……」

「だからお前はクソゴミなんじゃ」


 いつもなら反射で言い返すところをぐっと飲み込み、エンキは聞く。


「……ジジイはなんかあんのかよ」

「あるに決まっとろうが。ボフミール、今日はあの爆弾野郎は”ユダ”にかましたか?」

「や~、今日はまだだな」


 そしてボフミールから情報を得ながら、スラバルは着々と作戦を練っていく。とい

っても作戦そのものはエンキにかかっていて、エイリスの蛇らしくメインはこの街の各所への根回し、作戦後のフォローだが……。


「……という流れで決定じゃの。お前が失敗したらお前ごと吹き飛ばすからの、小鼠」

「見てろよジジイ。俺は失敗しねえ」

「フン。口だけにならんと言いがの」


 それからスラバルは義足で床を叩いた。


「じゃあ、始めるとしよう」


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