第3話:大事な一人娘


「イズルと申します。こちらは弟のイズル。この度は酔い潰れていた私たちを厚く介抱してくださったこと、またこのような機会を設けていただいたこと、誠に感謝の言葉しか見つかりません」

「ありがとうございます」


 シズリの頭痛は一晩寝て既に問題ない状態まで回復した。二日酔いも軽度であったことと、しっかり横になっていたことが大きかったようだ。薬のこととミウの貢献が大きいともいえる。

 そのことを感謝しつつ、イズルは深々と頭を下げた。真似るようにシズリも続く。


 ミウはこの会合で長と呼ばれる老婆の隣に居座っていた。ひれ伏す2人を見ても慌てず左右に目を配らせて周りの反応を伺っている。

 最初に反応があったのは彼らと向き合うこの集落の長であった。その居住まいだけで凛とさせ、以前会った時よりも雰囲気がある。


 彼女はまず顔を上げるよう促した後に床に置いていた杖を手にして、2、3度叩いて話を始める。


「このリディアの長を務めているリーハと言います。こちらは我が孫のミウ。今回はそなた達のお世話係をさせました。事無く快方に向かうことはこちらとしても喜ばしいことです。あと1、2の夜を超えれば十分に癒すことが出来るでしょう」


 長い人生を歩んだことがよく分かる威厳と落ち着いた声にシズリは再び頭を下げそうになる。早速本題に入りたいイズルはそれを手で制したのちに、その手をそのまま胸に当てた。


「そちらの手厚さがあってこそ。ゆえに、是非とも皆さま方のお役に立ちたいと思っています。私たちは渡り屋、何か入用なものが準備できるかと思います」

「渡り屋、ですか?」


 ミウは首を傾げた際、2人は彼女にその説明をしていなかったことに気付いた。


「はい。過去の建造物から遺物、昔の生活品を発掘、それを昔の生活を世に広める。また必要であればそれを商いとすることもあります」

「それと、島の各地に赴いて、交易の手助けもします」

「海を渡りゆく行商人と考えればよろしいですか?」

「そのような認識で大丈夫です」

「なるほどです。だから遺構の探索とおっしゃっていたのですね。丁寧な説明ありがとうございます」


 ミウとそして分からないリディアの人たちが何度か頷いていると、リーハは伏せていた目を微かに持ち上げた。


「何かを渡したい、その提案としては大変魅力的なお話ではあります。しかし我らは天の導きに従い、当たり前のことをしたまで。対価を求めるためにそなた達を助けた訳ではありません」

「重々承知のうえであります。しかし私の弟にクスリをいただくなど、その内容は身勝手に押しかけた来訪者に対してあまりに過ぎた待遇。何もせずこの場を去るのは傷心してしまいます」


 イズルとしては十分な理由であったはずだ。だがリーハは首を横に振って否とした。


「その対価は他の者に与えれば良い。そなたらは広き海を渡る者として、その優しき人の心を多くの者に語り継がせるが、これからの世界に必要なことでしょう。どうか焦り、自分の役目を見失わないようお願いします」

「は、はあ……」


 戸惑う兄の姿に、シズリは小さく嘆息した。


「して、イズル殿たちはまだお若いように見受けられるが、渡り屋というのはその若さからなるのですか?」

「いえ、本来であればこの稼業はもっと大人の儀を迎えてからとされます。私たちは駆けだしとはいえ稀な部類であります。どうか誤解のないようお願いいたします」

「なるほど。あの漂流は経験不足からなり得たものであったか」

「経験不足というには些か滑稽ものであります……」


 自分の不甲斐なさに自嘲気味に笑ってしまう。


 遺構を見つけて浮かれて自分のみならず弟も危険に晒してしまった。さらに介抱してもらった礼を兼ねて渡り屋としての足掛かりと考えていたのに、結果大人の対応の一言で失敗。

 初めてのことばかりで戸惑う中、頑張ってもどれも上手くいかない。そんな焦燥が彼の表情を苦いものとさせていた。 


 リーハは彼の顔をしっかりと見て、そのあとに「何も悪いことはない」と言い聞かせた。反論しようとしてしまうイズルを手で制したのちに彼女は言葉を続ける。


「イズル殿はまだ若い。今回の件は天からのご加護があったと喜べばよい。その悔しさを次に活かせばいいのです。それこそがそなたと……そして我らにとって喜ばしいことなのです」

「……勿体無いお言葉、恐縮の至りでございます」


 声を詰まらせながら彼はもう一度平伏したのだった。


「兄貴。これは兄貴だけのせいじゃないよ。俺だって責任はあるんだ」

「シズリ……」

「今度は俺も気を付けて荷物番しているよ。ずっと見張ってるから」

「いやお前はもっと働け」


 イズルの突っ込みにミウもシズリも含めてリディアの人たちは笑う。今までの厳かな雰囲気は緩和され、イズルも気恥ずかしそうに頬を掻いていた。

 そんな中、胡坐をかいていた大男が「いや天晴!」と腹から声を出し、膝を叩いた。


「その若さで旅に出ようとはよく出来た若者たちだ。ミウちゃん、婿に選ぶならどっちがいい?」

「ど、どうしてそうなるのですか!?」

「そりゃあリディアの大事な大事な一人娘なんだ。そいつを渡すとなりゃあそれなりの度胸がねえと。こいつらは少なくとも悪い奴じゃなさそうだしな。で、やっぱり年の近いシズリさんか? それともちょっと頼りがいあるイズルさんか?」

「ダイクおじさん!? そういう話はいますることじゃないはずです!」

「困ったわねえ。ミーちゃんの結婚衣装はまだサイズ的に厳しいかもしれないわ。胸の辺りとか」

「もう、ウツィカおばさんまで!」


 ミウは耳を真っ赤にさせて反論している。だが周りはミウを除いて歳が離れた大人たち相手。反論してもかわされ、次から次へ言葉が飛んで行ったのだった。

 その様子をミズルとシズリの2人は微笑ましく見ていた。一方で2人は彼女がこの集落で唯一の一人娘であることに驚かされていた。周りが大人たちなのはここが集会だからだと考えていた彼らにとって、この集落に他の若者がいないことが少し驚きではあった。


 しばらくして勝ち目がないと悟ったミウはおばあさまであるリーハに「2人の話に戻ってほしいです」と若干涙目になりながら助けを乞う。そこでようやくリーハは杖を掴んで何度か叩いたのだった。


「これこれ。お二方も困っておろう。話はそれくらいにしなさい」

「いや、俺たちは別に気にしなくても――――」

「気にします」

「いやでも」

「き・に・し・ま・す!!」

「……はい」


 ミウの気迫に圧されてシズリがすごすごと引き下がる姿を見たイズルは深い溜息をついた。


「ミズル殿。そなたは海を渡り歩く渡り屋であるとおっしゃいました。それに1つ確認したいことがあります」

「はい。何でしょう?」

「いまの世の中のことです。人々はいまどのような暮らしをしている? やはりまだ大地のほとんどは雪や氷で覆われているのでしょうか?」

「……いえ、そのようなことは少しだけ前の話。いまは豊かな大地となり、気候も安定しているかと。それに合わせて世の中も大きく変わっていると言えます」


 全てを渡り、実際にその眼で見てきていないミズルだったが、はっきりと答えた。

 そして彼は人づての一般情報であることを添えてから世界のこれまでについて説明する。


 大昔に大陸と呼ばれる大きさの土地は無くなり、今もなお失われつつある。大地に溜まっていた氷雪が水となり、海となって既に少ない大地を侵す。気候は安定した一方で、彼らの住む場所は確実に少なくなっているのが今の世界の問題であった。


 そうした中である変化が起こり出す。大地に氷雪が無くなる頃と同時に、海上に居を構えて暮らしていた人々が逃げるように海辺を離れ、高い地を目指すようになったのだ。

 大地を求めて1つ目の集落、2つ目の集落……望んでいない形で彼らは出会い、集う。やがて同じ志を持ち、平穏を望んでいく者たちは世界の問題に立ち向かい、手を取り合うことを覚える。いつしかそれは村を築き、それぞれの文明を築くまでとなった。


 海や山から入手できる木材を建材や器とし、土地に息づく植物を衣服や薬草とする。限られた資源をやりくりして、足りないもの、満ち足りたものを他の場所と交易をして賄う。こうして自然と立ち向かいながら共存するようになり、人と人の繋がりはより広がる。

 村は街となり、街は国となる。行きつくまで大きな時間はかからなかった。まるで導かれているかのように、人々はやることを次々と思いついては実行していた。


 そして彼らは次の大地を目指すまでに至る。今まではあくまで近海を越えた狭き世界でしかない。彼らはもっと遠くの場所を目指し、行動するようになる。それが過去の存在、過去の文明について興味を持つようになるきっかけであった。


 自分たちよりも多くの智を持ち、多くの技術を持つ遺人の存在。ただの鉱石の塊だと思っていた遺構。彼らは以前より過去のモノに接してきたが、ようやくその経緯に疑問を持ち始める。

 なぜ受け継がれず、沈んでしまったのか。そこに何の原因があり、何が今の世界を作り上げたのか。興味を惹かない方が難しい話であった。


 彼らは今までと違い、過去を追い求めるようになった。渡り屋の存在を生み出し、イズルたちのような人を生み出したきっかけである。

 いまもなおこの動きは変わらない。幾つかの大地を見つけ、協力しながら互いの暮らしを豊かにしていく一方で、もっと遠くの大地へ赴くための技術や知識がないかを過去から学ぼうと動いている。


「――――これが、いまの情勢です」

「それが今の世界、ですか……」


 イズルの説明を聞いたミウは目を輝かせていた。一方でリーハを始めとした他の人は浮かないで表情であることにシズリは気づいた。


「どうして、そのようなことを聞かれるのでしょうか?」


 シズリの質問に真っ先に答えたのは先ほどの大男、ダイクであった。


「俺たちはこの通り30人に満たねえ小さな集落でな。それなのに自分勝手に生きて、他との関わりを避けてきたために、周りのことについては全く知らねえんだ」

「どうして避けていたのですか?」

「掟さ。『我らがこの地捨てるときは故郷を無くしたとき。外と関わるはこの地捨てる術とならん』ってな」

「それは、つまり……どういうことですかね?」

「私たちはこの地ある限り居残り続けること。そして集落の外と関われば、少数ではあっても多くの者が外へ憧れを持ってしまう。そうなればここを出て行き、集落は成り立たなくなる。ということですか」


 イズルの解説でシズリは口を開けたまま納得していた。一方でリーハの膝の上で合わせていた両手に力がこもる。


「我らは我らのやり方があった。天の導きに従ってこの集落を、場所を守らねばならぬ。それがここに生まれ、受け継がれてきた者たちの使命でもある」

「しっかし、見ての通りだ。この集落には受け継がれる者がいないことが問題となっている。それに徐々に海面は上昇していてここが今後どうなるか目に見えている状況だ」

「じゃあ――――」


 掟を変えればいいのではないか。そうすればここから離れることが出来る。

 そんな短絡的な解決策を考えていたシズリにイズルは膝うちで黙らせる。脇腹を抑えて驚くシズリを無視して視線を長から少し左へずらした。


「彼女は、最後の跡取りかもしれないのですね」

「……」

「リーハさん。やっぱりミウちゃんのこと、考えたほうがいいですって」

「ならん」

「だがよ。これじゃあミウちゃんがあんまりじゃねえか」

「我らは今まであった苦境を掟により生きながら得た。ならばそれに従うのは条理である」

「……そりゃあ、そうだが」

「そのお気持ちだけで十分ですよ、ダイクおじさん。私には大切な役目もありますし、集落を離れるつもりはないです」


 ミウに言われては他の者たちも次が続かない。ミウが次の話へ促し、話を進めようとする中、リディアの長だけは静かな面持ちで居続けていた。

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