第2話:それぞれの価値観
「しかし、なぜこのような場所に?」
落ち着いた場で次に話題となったのは事態の把握であった。特に2人の経緯をミウは知らず、また彼らも説明していない。彼女はシズリのために用意した魚料理やお吸い物が少なったタイミングを見計らったかのように切り出したのだ。
シズリ、そしてイズルの2人はその質問を受けて互いに互いを見合う。答えを相手が知っているか確認するためだ。
数秒間のアイコンタクトのあと、困ったように呻いた兄は彼女の視線を受けて素直に首を横に振って見せた。
「そのぉ……実は船の上で寝ていたためによく分からないというか……」
「あ、流れ着いた経緯ではなくてその前の話を聞きたいのです。流れ着くとしても、近くまでやってきていた、ということですから」
「そういうことですか。実は遺構の探索をしていました」
「……その遺構とは、一体なんなのでしょうか?」
「遺構は大昔から存在したとされる建物のこと。例えばこの下にある建物を遺構と俺たちは呼んでます」
シズリは手に持っていた箸をお盆の上に置き、横に居る彼女へ地面をトントンと指で突いて見せる。
「そうなのですね。でも探索するとなるととても危険じゃないですか?」
確かに危険なこともある。渡り屋は常に自然の脅威に敏感となって、風や海流、天候と付き合わなければならない。
また全ての場所を地図に書き込めていない以上、未開の海、土地を探す運が必要である。遠出して安全に航海できても何も見つからなければ骨折り損でしかない。
さらに遺構を発見しても、探索中に崩落する可能性がある。海によって腐敗した建物がふとしたきっかけで崩れる。その事故に巻き込まれる例も全くないわけではない。
諸々の理由から渡り屋は危険なことが多く、2人が重々承知していることであった。
「もちろん危険は常にあります。でもだからこそ、見返りは大きいものです」
「そう、ですか……そういうものなのですね」
イズルの答えに彼女は少しだけ声のトーンを下げていた。
「つまり、あなた方は色々な場所へ赴いているということですね」
「まだ駆け出しの身なので、まだまだですが。何なら今回が初めてで……」
「あ、それであのような現れ方だったのですね……」
「すいません。私の監督不行き届きです」
「たまたま流れ着いた場所がここで良かったです」
本当にそうだと2人は深いため息で彼女の返事をした。
「先ほどから思っていましたが、その服は重厚感があり、触り心地も良いですよね。やはり旅をするものは身だしなみにも気を使っているということでしょうか?」
ミウは興味深そうにシズリのコートの袖を触れている。撫でてみたり、つまんでみたり、引っ張ってみたり。色々と試している姿は猫がじゃれているようだ。
「別に大層なものじゃないかな。これも羊の毛を用いて作られたものってだけで――――」
「ヒツジ! モフモフしていると言われるあの動物ですか!?」
「えっと、そう。たぶん、想像している通りの動物かと思います」
毛が生えているものであれば全て羊と区分されそうな言い方だ。シズリは適当に合わせつつグッと近づいてきたミウの顔から視線を逸らしていた。
それでも彼女は興奮気味に手を握りしめて、目を輝かせながら若干前のめりになる。
「触ったことありますか!? やっぱり、モフモフしていますか!?」
「触ったことがあるけど、モフモフというか結構べとべとしてるというか」
「え、べとべとするのですか? あんなに可愛いのに……」
「可愛いは関係ないかと。加工する前の羊の毛は油がしみ込んでいますから」
丁寧に説明して落ち着いた彼女を押しのけておく。
「加工……ヒツジからこのような服が出来るのですか。やっぱり外の人たちは凄いです!」
「外、ですか。私たちにとっては、カガミとかクスリとか、それらを扱えるあなたの方が凄いと思います」
「そんな! これは昔の人のものを拝借させていただいたものですから。誇れるようなことは何も……」
「やはりこの下にある建物から?」
「昔はそうでした。でも今はほとんどの建物が海面の上昇に伴い沈んでしまっています。今はちょっと離れた場所を探して、そちらで手に入れたりしています」
「離れた場所ですか。もしかして私たちが探索した場所かもしれないですね」
「あ、いえいえ。それはないでしょう。それなら船にある品々が違うはずですから」
一瞬だけ盗品の単語が頭に浮かんだイズルであったが、彼女は否定した。ミウは酔い潰れた2人を見たときから分かっていたのだろう。でなければここに置いておくはずがないのだから。
「……そうだ。せっかくなので1つお尋ねしたいことがあります」
両手を合わせて何か思いついた様子のミウにイズルが反応する。
「何でしょう?」
「そちらに天壇は存在するのでしょうか?」
「てん、だん……。聞く限りはそのようなものはないですね。何かの品でしょうか?」
「天壇は天に貢ぐ場所なのです。私たちは特に天を大切にする風習があるのです」
説明をされて、イズルはシズリの方を見やる。シズリが首を振ってみせたのを見て、彼は彼女に「近いものはありますが」と、両手で上半身の大きさの四角形を描いてみせた。
シズリはそれで兄の想像しているものが何か理解する。
漆で塗られた黒色の観音開きの木製箱。今は死者を天へ送り導くために用意された物として一部の層が利用している品の1つだ。
しかしミウはその話を受けて納得できない様子で眉を潜めていた。
「それだと少し小さすぎるような気がします」
「こういうのは大きさより誠意と言われていますので」
「でも天が居つくにはある程度の大きさは必要かと思いますけど?」
「あはは。まるで天が実在するような言い方ですね」
「そちらにはいないのですか!?」
「え、そちらはいるのですか!?」
衝撃的な内容にお互い愕然としていた。
「我々の集落では古くより言い伝えがあって、認められし者は天壇にて天の声が聞こえると言われているんです。大昔ですが、実際に声を聴いた者はいると言い伝えられています」
「それはまた……なんというか……」
「眉唾物と言いたくなる……」
「やはり、そちらの方々とは知識も考え方も大きく違いますね……。天に対する考え方だけは同じだと思って聞いてみたのですが……」
「ちなみに天の声が聞こえる場所は、天壇と呼ばれる場所で合っていますか?」
「はい。天が居るとされる尊い場所として、限られた人しか立ち入ることが出来ません」
「ミウ。それ以上口にしては駄目です」
ミウがそのまま天壇の説明をしようとしていたところに杖の音が鳴り響いた。
いち早くその姿を確認したのは入口と向かい合うに座るイズルであった。杖に支えながら、腰を曲げた老人。ミウと同じローブを羽織って、そこに布を掛けた温かな風貌。
目元からは器の大きさを感じさせ、その顔に皺と白髪はあるが、それらも彼女が長であるのを証明するかのような完成された姿であった。
太陽の光で若干陰りはあるものの、その姿にイズルはすぐに先ほど見た長の姿だと理解し、頭を下げた。シズリも慌てて後に続く。
そして窘められたミウはというと、振り返って「おばあさま」と一声かけて、場所を譲ろうとした。
長はそれを手で止めさせ、代わりに彼女の目をしっかりと見る。
「ミウよ。感情に流されて口を軽くしてはならぬ。口は災いを生み出す種ともなる」
「すいません、おばあさま」
「先ほどと良い。ミウにとって、よほど喜ばしいことのように思える」
「それは……そうかもしれないです」
ミウは少しだけ恥ずかしそうに頬を赤らめていた。
そんな彼女の様子を喜ばしそうに見ていた長は次にイズルたちの方へ杖を向ける。
「ミウはまだ15。若さゆえにまだ甘いところがあるのが困りものです」
「いえいえ。シズリも落ち着いてきたようで、本当に大助かりです」
「……俺たちより年下なんだって。すごいよなあ」
「シズ、お前は彼女の爪の垢を煎じて飲め」
「そ、そんなこと出来るわけないだろ!?」
弟の素の反応に兄は頭を抱えていた。
「して、お二方に聞きたいことがあります。これからのことです」
「これからですか? 一応シズも元気になればすぐ発とうかと。帰って色々と事務処理を行わなければならないので。あーでも、ここの場所がどこかとか、天候の状況とか確認をしないと……」
兄の心配性がまた始まったと苦言を呈したところで、わき腹を肘で殴られた。これがまた地味に痛く、彼はわき腹を抑えて呻いてしまう。
そんなやり取りを見た長は少し驚いた様子でシズリの方へ確認を取る。
「彼の容態は?」
「まだ安静にしておいた方がいいです。明日になれば頭痛も治まると思います」
今まで世話をしていたミウが彼らの代わりにそう答えた。
「とりあえず1日様子を見てから話し合いの席を用意しましょう。さすれば場所や他のことも分かるでしょう。次の明朝にお二方は我の家までお願いします。場所は隣のミウが案内します」
「……分かりました。本当に何から何までありがとうございます」
「ミウ、あなたはこの後稽古が控えています。一緒に来てください」
「はい」
踵を返して長はそのまま外へ出て行き、ミウも慌ててこちらに一礼だけしてすぐに長の後に付いていくのだった。
2人だけとなれば変な気を回すこともない。足を崩して楽な体勢になったイズルは大きなため息から辛いことを伝えていた。
「とにかく、今は成り行きに任せよう。色々考えたい」
「それは別にいいけど、イズル兄貴にしては珍しいね」
「初めての事で理解が追い付かないだけだ。とりあえず船の様子を見に行かないと」
「明日はどうするの?」
「まずはここがどこか、場所の確認は絶対だ。地図を見せながら皆と話し合う必要があるだろうな。準備も船の点検もしないといけない。あー、やることが山積みだ……」
「酒に溺れなければ、こんなことにはならなかったのにね」
「言うな……悲しくなる」
「ま、自分は安静にするよ。いま頭使っても何も出てこなさそうだし」
「くそ。二日酔いを理由にサボるか、普通……」
「自分は安静にしろと言われたからね!」
はきはきと答えたシズリはお吸い物を手にして啜る。若干温くなってしまったもので味も薄くなっただろうに、その表情はとても嬉しそうであった。
その様子を恨めしそうに見つめるイズルは明日どんな話をしていくべきなのか、いつ出発すべきなのかと今後の方針について頭を悩ませていたのであった。
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