第1話:溺れる者の末路
シズリの脳裏にさいごに見た父の姿が浮かび上がる。
遺構の必要性を説き、この世に遺されたモノを伝えた渡り屋の先駆者にして自分たちの目標とする人。
大柄なのに小さく優しかった目、ごついのに安心感のあった手は今でもシズリの中で鮮明に覚えていること。
そして幼き頃に彼から教わっていた渡り屋の話、世界の話、人の話、過去の話が走馬灯のように駆け巡る。
今も、父は新たな遺構や遺物を探し求めているのだろうか。
それとも人と出会い、自分たちと同じように世界の過去を探しているのだろうか。
あれから随分と経ったとシズリがぼんやりと感慨にふけようとしたところで、
――――……なぜだろう。頭が痛い。
そんな鈍痛からシズリは夢の中であることを自覚し、目を開けたのであった。
真っ先に目に入ったのは木と粘土で作られた壁と天井であった。更に天井で漂う煙と天井の隙間から漏れる太陽の光が映る。日も高く時間はかなり経っていると思われる。
シズリはおかしいと眉を寄せる。半身を起こした際、またも頭痛が襲い掛かってシズは思わず「いでで」と呟かずにはいられない。
「どうして……」
自分たちが初めての航海で遺跡を探索していたことからこの状況まで理解が追い付かない。そんなシズリにきっかけを与えるかのように、ぽとりと額から濡れた布が落ちた。
そこで何かに気付いたシズリは自分が寝ていた床を手で触れてみる。
固く、足場は揺れていない。でも潮の匂いと波の音はここからでも分かる。
しばらく考えた彼はここが海の上でなく、海辺の家であることをようやく理解した。
だがそれ以上が分からず、室内を見渡してみる。円形に模られた部屋には幾つかの棚や衣文掛けそして中心には小さな火鉢が用意されていた。どうやら煙の正体はその上に置かれた土瓶から発する蒸気だったようだ。それが分かると湿気た匂いも鼻孔をくすぐる。
彼はそのまま視線を動かしていき、あるものが気になった。
それは部屋の隅に置かれていた。向こうには何もないはずなのに、覗き込めば自分と周りを映し描いてくれる代物。ひと昔にカガミと呼ばれていた貴重品だ。それが手の平サイズではなく、人の等身程の大きさを持つカガミだ。ここまでの大きさとなると、家を1つは変えるのではと彼は愕然とする。
とにかく大方状況を把握した彼はそのことを一旦忘れて、顎に手を当てた。
「どこかに漂着して、誰かが、俺をここまで運んでくれたのか?」
「あ……」
幼さを感じさせつつも細く澄んだ声に導かれ、彼は出口付近でこちらを見つめる1人の少女を見つけた。
その少女は一言で言い表すなら可憐な少女と言えるほど、幼げがあり、華奢な容姿であった。
シズリと同じ15,16歳くらいで、身長は彼より頭1つ分小さい。無垢な瞳に、幼さを拭いきれない丸い顔と口元。肩甲骨まで伸びた真っ直ぐな黒髪と横に流した前髪と、大人しい性格に合うような容姿を伴っていた。
彼女の服装は朱色のローブとそれを締めるための腰ひも、広袖のある前開きの白色のガウンを羽織っていた。シズリにとっては見たこともない衣装。清楚という言葉が合いそうな衣装だと彼は考えていた。
そんな彼女は両手に桶を持ったまま、その場で視線をこちらと外と行き来させながら何も言わない。どうやらシズリが起きたことに対してどう対応すればいいか戸惑っているようである。
試しに彼は声を掛けてみる。
「どうも」
「……」
ぺこり。
シズリの反応を伺うように相手も軽い会釈。その後おずおずと入ってきた彼女は寝ていたシズリの横に座って落ちた布を拾った。
そして桶の中に入れて布を絞り始める。その一連の流れを眺めながら、シズリはあることに気づいた。
「そうだ、兄貴……イズル兄貴はどこに!?」
「もう1人のお方、でしょうか? 別の場所で介抱しています。どうか安心してください」
「そうか。良かったあ!」
彼女の言葉を聞いてシズリは安堵し、笑顔を見せる。そして彼女もまた、くすりと笑った。そこで彼は自分が気を緩めすぎていたことに気付く。
「あ、ごめんなさい。つい敬語が抜けてしまいました……」
「良いですよ。近しい歳のようですから」
「……あー。じゃあ、お言葉に甘えて。俺はシズリ。すいません、こちらにご迷惑をおかけしたようで……」
「ミウと言います。その、こちらこそ先ほどは配慮のない挨拶、失礼しました」
「そんな、いででで」
原因不明の頭痛がまたも襲う。頭が打ちつけられるような痛みに襲われ、それと共に喉の渇きもここに来て、彼は感じ始めていた。
頭を抱えるようにしていた彼の額に冷たいものが当たる。どうやらミウが絞った布を押し当ててくれているようだ。そのまま彼女に促されるまま、もう一度横になり、寝転ぶ。
「まだ安静にしていてください。いま水をお持ちしますので」
「すいません……」
シズリは素直に聞くしか出来なかった。
彼女が出て行く姿を目で追いながら、外の様子を伺う。暖簾によって上手く隠れているが、彼には同じような創りの家が1つと、そこから広がる海が目に入った。人影も見えない。少なくとも彼の知る街とは程遠い静かな場所であった。
待って数分も経たないうちに彼女は戻ってくる。彼女は筒形の陶器を持ち、片手で持っているためか、こぼさないように慎重に運んでいるように見えた。
そしてゆっくりと座って、陶器をこちらへ差し出してくれる。
「水まで用意してくれて、ありがとうございます」
再び上半身を起こして、水を貰おうと手を伸ばす。
そこで彼女は持っていた陶器とは別にもう片方の手を差し出してきた。その中にあるのは小麦の種程度の大きさを持つ白い粒であった。
「これは?」
「おばあさまからこれを渡すように、と。いまのあなたによく効く薬だそうです」
「くすり……? え、いや、は!? く、くすごほッごほッ!!」
「だ、大丈夫ですか!?」
「く、くす、クスリ!?」
思わず声が裏返るシズリ。そしてまた「いでで!」と頭を抱えだしていた。
一連の彼の反応を見たミウは不安になって、自分の手に持つ薬を見つめる。
「もしかして何かまずいことでもありましたか?」
「もしかしても何も、どんな病気でも治すとされるクスリをそんな簡単に渡されたら驚きますって!」
「病気を治せるかどうかは薬の種類にもよると思いますが……」
「いやいや! そんな貴重なものをただの頭痛で使うわけにはいきません!」
シズリは彼女の手を押し返し、筒形の陶器だけもらって一気に飲み干す。先ほどの興奮と一気飲みで全く落ち着いた気がしない。それどころか、余計に頭に響いた気がして彼女の前であるにも関わらず顔を歪めてしまう。
その様子から彼女は彼との価値観の違いを理解した。しかしだからといって認めては彼の容態は好転しないと心配したミウは、居住まいを正して彼の目をしっかりと見た。
「……私たちの集落では何より掟が大切で、皆を守れる一番の妙薬だと言われています」
「いきなり何を……」
戸惑う彼をおいて、彼女は指を立てる。
「その掟にこうあります。『困っている者には迷いなく手を差し伸べること。それはその人のためでもあり、自分のためでもある』」
「……えっと」
「家族思いの来訪者が苦しんでいるとあれば、おばあさまに合わせる顔がありません。ここは私の顔を立てるために飲んでいただけませんか?」
「……」
「どうぞ、お気になさらずに」
優しく諭しながら彼女はシズリが持つ筒形の陶器を受け取って代わりに薬を渡した。
流石にこう言われてはシズリも断れない。手に握られた薬を震えながら見つめる。
彼が知る薬とは遺物の中でも最高級の一品。未知の症状さえも飲めばたった一粒で治し、回復力を高めるとされる過去の技術の結晶、奇跡。未だに現存するものはごくわずかであり、ある土地ではこれだけのために争いが起きたとさえ言われる。
「こ、これがクスリ……か」
「失礼を承知で聞きたいのですが、薬というのはそれほどまでに貴重なものなのですか?」
「そりゃあ。これだけで遊んで暮らせる金が手に入るかもしれないし」
「そうなのですね。幼い頃に時折飲んでいたので、少し勘違いをしていました」
「それは凄い……」
この集落でクスリを手に入れるのは容易だということか。シズリは彼女たちの生活に愕然としつつ、手元の白い粒を口に含んだ。
舌の上で転がしても、中々溶けないし、味もしない。よく食べる薬草のような強い苦みも彼には感じなかった。良薬は口に苦いと聞く彼にとって、本当に効き目があるのだろうかとそのまま胃の中まで流し込み、お腹を擦ってみる。特に体調に変化があるような気がしない。
少しだけ拍子抜けた彼だったが、ミウの視線を感じて慌てて笑顔を作る。
「なんだか元気になった気がします!」
「えっと、そんなすぐに効き目はないと思いますよ?」
「え、あ。そうなんだ。あー……因みにこの薬は何の効用がありますか?」
「はい。二日酔いです」
シズリの眉がピクリと動く。
「ふつか、よい……?」
「はい。船には何本か酒瓶が転がっていて、酔い潰れていた2人だったので、きっとそうだろうとおばあさまが言っていました」
「二日酔いって、あれですか。酒に溺れた人がよくなるあれ?」
「はいそうです」
「…………あー」
ここに来て彼は恥ずかしき経緯を思い出す。
遺跡探索を終えた自分たちは物珍しい瓶を見つけそれを口にしていたことに。変な味だったが、なんともないと何度か兄と飲んでいたような気がする。それで段々と気分良くなってきたような気がする。
初めて飲んだ味とは思っていたが、まさかあれが酒だったのかと彼は恥ずかしさと申し訳なさからまたも頭を抱えてしまう。
「ふふ。でも病は気からと言います。しばらくしていれば、きっと良くなりますよ」
ミウは二日酔いが何かよく分かっていない様子だ。両手を合わせ、無垢な笑顔でシズリを励ましていた。
そうしたやり取りの中でシズリが少し落ち着きを見せた頃、地面が小さく揺れる。それもドタドタと刻みの良い律動で、すぐに誰かが駆けている揺れだと気づく。
2人は揃って入口の方へ視線を向けると、丁度良くシズリの見知った男が鬼気迫る表情で入ってきた。
「シズ、シズはいるか!?」
「イズル兄貴!?」
「シズ、ここにいたか!」
探し物を見つけられたイズルは隣まで駆け寄り、シズリの身体を隈なく触り始めた。
「うわあ! いきなりなんだよ!?」
「怪我は? 気分は、体調は何ともないのか!?」
「だ、大丈夫だって。兄貴こそ大丈夫かよ!? まだ介抱してもらっているんでしょ!?」
「俺はただ潰れてただけだ。くっそ、こんなことになるなんて……!」
「おい。や、やめろって! 人前だぞ!」
お腹辺りを探られたところで限界を感じたシズリはイズルの手を払いのける。
人前と聞いて思い出したようにイズルは彼女を見て、そして軽く会釈する。
ミウは目をぱちくりさせて、シズリたちのやり取りを見ているだけだった。それでも彼女は何度か瞬きした後に兄であるイズルの方へ笑いかけた。
ただそこで見せる笑顔はシズリには苦笑いにしか見えなかった。
「イズルさん、ですか? 私はミウと言います」
「あ、これは取り乱してすみませんでした。イズルと言います。この度はシズの介抱をしていただいてありがとうございます」
「いえ、私は特に何も……」
「何かこいつが失礼なことしませんでしたか? こいつもまだ若く、年頃の男の子なので」
「兄貴の方が失礼な気がするんだけど……」
「こんな風に生意気な口きいてたりしていないかと。本当にすいません。迷惑だと感じたら無視しても構わないので」
「変なこと言うなよ。ご厚意で世話になってるんだよ」
「お前こそ自重しろ。物資と資源が限られる海上集落の人たちに多大な迷惑はかけるな」
「……え、ここって海上集落なの?」
「そうだ。お前分かってなかったのか?」
まだ外を見てなかったシズリは正直に頷いた。
彼の知る海上集落とは海没し切っていない過去の建物の上に家を建造し、そして生活をしているごく少数民族であった。
大地がまだ雪や氷で覆われていた時から居住していた者たちと言われ、海上の上に連なる大きくて広い建物が存在している条件下で海上集落は誕生する。大体集落の形成に必要な数は5、6個以上の建物が海没していないことを条件とし、その上に2、3個の家が建てられる。
彼らは雨水や魚介類、漂着資源のような自然に入手できるものと遺跡で発掘できた資材を利用して生活を行う。特に発掘した資材を交易に用いることで他の生活品を賄っている。
昔は数が多かった海上集落。しかし今では終わりない氷雪とされた大地も活気を見せ、風化の影響によって建物が次々と倒壊し、海没するようになる。そして幾つかの集落はそれをきっかけに大地へと移住していた。
更に過去の建物が重要な遺跡であると認識され始めたころから彼らは貪る者として非難邪魔者の対象となった。こうした経緯から海上集落は徐々に減少傾向にある。現在は五十もないことだろう。そんな細々と暮らし続ける希少な集落を、彼らは海上集落と呼んでいた。
シズリは兄の言葉で彼女たちの生活ぶりに納得した一方で、シズリは先ほどのやり取りを思い返してみる。
「あれ、でもクスリもらっちゃったな、1つ」
「な、なな……なななあ! ま、まさかあのクスリ、だと!?」
イズルは親指と人差し指で一粒ほどの大きさを示し、顔を真っ青にさせてミウの方へ。「はい。渡しました」と彼女の証言を得たところでまたシズリの方へ向かい、肩をがっしり掴んだ。
「ば、馬鹿ぁ!! 俺たちは船を買って一文無しだってのを忘れたのかよ!? どうやって支払うつもりなんだよ!」
「いやでももう飲んでしまった。ちょ、揺らすなぁあ~!」
「吐くんだよ! 胃で消化される前に今すぐ吐け! そして返すんだよおー!!」
「ぅっぷ……マジでやばい」
「イズルさん落ち着いてください。相手は病人ですから!」
「違う! こいつは俺の金食い虫になろうとしているんだあ!!」
シズリは気持ち悪くなっていて、ミウは止めようとして、イズルは叫ぶ。
収集のつかなくなった場は長たる老婆が登場するまで続き、周りの人たちからは久しぶりに活気があったと喜ばれたそうな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます