沈みゆくこの世界で
空夢
プロローグ:探しゆく者
ここに来て、順調だった2人の旅路に陰りが出始めた。
航海を続けて一時の時間が過ぎたころ、積んでいた荷物の整理をしていた青年はその変化にいち早く気づいた。急いで手に持っていた保存食を鞄に詰め込んで、改めて丈が長いフード付きのコートを羽織る。下に長袖のシャツにベスト、ズボンと動きやすい服装を重視していて、その姿を一目見れば大方の者は冒険者の出で立ちと判断できることだろう。
彼はすぐさま1本だけ取り付けているマストを確認し、帆の膨らみ、そして空に浮かぶ雲の流れを見て、悔しそうに口を尖らせた。
「ちくしょう。向かい風か……」
波の様子はどうだと彼は舷から身を乗り出す。木製の帆船は強い波でも心配のもとである。一応、彼が視認する限りでは打ち付けてくる波に対して大きな心配はないと見えていた。
そこから視界を埋め尽くすほどの大海原を眺める。真っ直ぐ伸びた地平線と、穏やかな太陽に反射して煌めく海面にも変化はない。至って穏やかな気候と海面であることに、彼はほっと胸をなでおろした。
当面の問題は風だけ。しかしそれも悩みの種であることに変わりない。
風を受けて推進力とする帆船としてはこのような変化に弱い。事実、風向が変わるだけで彼の乗る小型の帆船は徐々に速度を落としている。自然の力を利用する以上、穏やかな気候でも気が抜けないのは仕方のないことであった。
早速気まぐれな風に合わせるため、彼は指を舐めて大気に晒し、細かい風向きを調べる。その後地図を取り出して別の道の模索を始めた。
「もう少し南から行けば季節風を受けていけるか……いや、これだと時間が掛かりすぎる。夕刻までに帰れない恐れがある……だが……」
「――――そこまで気を張り詰めなくても良いと思うけどな? イズル兄貴」
イズルと呼ばれた青年が地図から視線を上げると、対面に弟であるシズリが起き上がっていたことに気付く。
「シズ。お前いつの間に起きていた? 暇だから寝るとかほざいたのに」
「それよりも、焦って盲目になるより落ち着いて周りを――――」
「馬鹿言うな。俺たちにとって初めての作業なんだし、幸先良くないといけないだろ」
「そんな魚も鳥も寄せ付けない形相で運がやってくると思えないんだけど……」
「俺たちの目標はあくまで無機物だ。遺構に感情はない」
「遺構、ねえ」
そう言ってシズリは行く先を見据える。
「一面真っ青な海。遺構となりそうな建物もまだ見えない。簡単に見つけられるとは思ってなかったけど、本当に今日中に見つけられそう?」
「事前調査だとこの辺だ。あと四半時もしない内に1つは見つけられるから。兄貴を信じろ」
「ま、食糧は多めに用意しているし、1日くらいどうとでもなるよ」
シズリという少年は兄貴に任せ、再度寝転んで空を見上げた。日は既に西へ傾き始めようとしていて、海鳥は既に食事を終えて悠々自適に飛び回っている。磯の香り、海鳥の鳴き声、そして温かな日の光が彼を包んでくれる。緩やかに感じる時間を彼は海鳥と同じように大切にしていた。
……しかし彼は思う。いまいる海鳥たちは大昔にいなかったのか、と。本来ここにいるべきは陸鳥だったということに、彼はこう呟かずにいられなかった。
「この下で、昔の人は暮らしてたのか……」
沈んでしまった世界、シズリはその上で生き続けている事実が心を痛める。
今は海となったこの場所も、昔であれば陸地があって家があり、多くの人が住み着いていた。そして数えきれないほどの知識や言葉、技術を持ち、ずっと快適な暮らしをしていて。そこに不便こそあっても、不自由は存在しなかったとされている。
しかしそんな生活は、世界はある日を境に一変してしまった。それが天の子守唄と呼ばれる大災害によるものである。
彼らの英知は海によって呑み込まれ、沈んでしまった。それを確認する方法は未だ少なく、その多くは今も大海の底へ沈み、眠り続けている。
この伝承は全ての子に語り継がれ、シズリもまた1人である。だからこそ冒険心の強いものにとって憧れるものであるし、ここまで来られた確かな高揚感を彼は感じていた。
「何やってんだシズ。人の手が足りないんだから、少しは手伝え」
シズリが日向ぼっこをしている間にイズルは次向かうべき道を決めたようだ。立ち上がって帆の調整を行いつつ、寝転がるシズリを足先で小突く器用なことをしていた。
「人使い荒いよー。こき使うなー。もう少し労わる気持ちを持てー」
「お前さっきまでごろ寝していただけだろ! 何なら俺を労え!!」
「あーもー、操作は苦手なんだよ……。だから船員を雇おうって言ったのにー」
「俺たちにそんな人件費を払える余裕はないんだよ。この船買ってもう財布は空なんだからな」
「今になって考えると、上手いこと言いくるめられた気がする。そもそも閉店割引を謳ってた時点で怪しかったんだよなあ……」
「嘆いても仕方ないだろ。…………ってかおい」
「なに? 遺構でも見つけたの?」
「そのまさかだ」
半信半疑で起き上がったシズリはそこで目に入った光景に「わぁ」と感嘆の声を上げた。
大海原の地平線にポツンと突出するシルエットが何か、彼らにとって確認し合う必要はなかった。大災害を受ける前は細長き鉄の要塞として人が住み、長きに渡り文明を支えた高層建築物の1つ。
イズルはもう一度地図を開いて確認をする。自分たちがたどり着いた区画には何も描かれていない。そして今から向かう場所もまた未開の地として地図には存在しないものだった。
まだ距離があるためその姿は朧気である。しかし2人は同業者から聞いていた噂から建物の様子を頭の中で描く。恐らく建物は潮風と海水によって一部変色し、人々の代わりに壁際には藤壺、陸地となる屋上は海鳥の巣となり浸水した箇所は魚の住処となっていることだろう。建物のほとんどは自然の一部となり、もう過去の姿を見ることが叶わない。
一方で、まだそこには自然の手が届いていない場所もある。そこにあるのは沈められずに取り残された道具や技術、人の生活の跡の姿が息づいている。
そして、それこそが2人の旅の目的。沈みゆくものを見つけ、救い出すこと。
「ほら、やっぱり買ってよかっただろ」
「確かに。苦労して働いてたかいがあったもんだよ」
「主に俺がな。さあ俺たち渡り屋の初仕事だ」
「うん! 早く向かおうよ」
「たく、現金な奴だ」
2人は風の導きに従って帆船を進める。そんな2人を鼓舞するかのように、帆は大きく軋み、音を立てるのであった。
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