第4話:大切な約束

 この集落は日が沈むころに夕餉を終え、それぞれが家の中にいるようにしている規則がある。明かりを照らす道具と資源さえ無暗に使用出来ない彼らにとって、日の恩恵を受けている間に活動し、あとは家でじっとするのが一番とのこと。


 つまりシズリもイズルもこれを守らねばならない。集会が終わり、日が一番高い位置に居る頃には、皆が皆夕餉の前の作業に追われることになる。

 水がめに溜まる雨水を使って洗濯を行うもの、建物に付いた藤壺などのそぎ落としに点検……。集落の民はそれぞれに与えられた役割を慣れたようにこなしていく。

 イズルもまた、与えられた役割を全うしようとしていた。


「ほらイズルさんよ。早く魚を捕まえねえと夕餉に間に合わねえぞー」

「ちょっ、そんな押さないで! おわあぁああ!!」

――――ザバン


 銛を掴んでジッと海面とにらめっこしていたイズルは背中を押されて船から落ちて海に突っ込んだ。数秒後に海面から顔を出して怒るイズルとそれを見て腹を抱える漁師たち。


 そんな姿を遠目で見ながらシズリは自分たちの船の中を確認していた。拾っていた道具の確認と、次の日に無事旅立てるかどうかの点検のためである。

 集会の話し合いの末、シズリたちはこの集落にもう一泊だけお世話になることとなった。これ以上の滞在はシズリたちにとってもリディアの人たちにとっても良くないと判断したからである。


 リーハや他の人たちの説明をもとに、大よそ流れ着いた自分たちの場所は遺構から少し南に進んだ先であると確認できた。帰るためには恐らく一昼夜要するだろうが、体調良し、食糧も多めに用意していたこともあって特に問題ない。明日の日の出の頃には出発し、イズルたちはここを離れる。

 つまりイズルにとって恩を少しでも返せるのはこの機会だけ。せめてその時間だけで何かの役に立ちたいと食糧集めの手伝いをしに漁師たちの乗る手漕ぎの船に同乗したのだったが、上手いようにはいっていない様子。


 銛を上手く扱えず、漁師たちを師事する中で何度もちょっかいをかけられているようだ。彼らにとってイズルはミウの代わりに出来た可愛い奴程度に思っているらしい。


「兄貴も大変だなあ……」


 あとで労いの言葉1つでも掛けてあげたくなるほど、何度か魚を狩るために潜るイズルの顔は遠目で見ても真剣なものであった。


 そんな真剣な兄と違ってシズリはゆったりとしている。明日のための点検作業。力仕事でもなければ、以前に船の手伝いをしていた彼にとっては慣れた仕事である。焦ることも迷うこともなく、シズリは10尺程度の船を前に効率よく作業を進めていたのだった。

 少し前から風が強くなってきたことを良いことに、帆の様子を確かめる。大きく膨らむ布地の帆が元気に音を鳴らすのを聞き分け、支柱を軽く蹴ったりゆすってみたりしてみる。どうやら次に向けて船体の方も影響はなさそうだ。


 マストから手を放して確認票に記載をした。確認票に全項目が埋まったことを再度指でなぞり、彼は「さてと……」と腕を回す。


 船から建物まで若干の高さと間隔があり、建物屋上を囲うように付けられた錆びた柵と陸に上がるだけでも彼にとって一苦労であった。波に揺れる不安定な足場のことも考慮しながら、彼は柵を掴むとそこからは勢いをつけて上がった。


「お疲れ様です、シズリさん」


 彼の目の前にミウがいた。大事そうに抱えた飲み物と、笑顔を見せながら彼女は軽い足取りで駆け寄る。どうやら彼の作業が終わるまで飲み物を持って近くで待っていたようである。


「わざわざ待っていてくれたなんて。声を掛けてくれればよかったのに」

「私はお二方のお世話係です。お二方の邪魔をしてはいけないので」


 シズリは彼女の献身的な対応に感謝しつつ、彼女の近くに座り込んで水を飲みほしていく。潮風に当てられ続けていたせいもあって、塩っ気のない水は彼の喉を潤し、一息つかせていた。

 その間、ミウは柵に手を置いて、シズリたちの船を興味深そうに身を乗り出す。


「あれを使って操作するのですか?」

「うん? ああ、あれは帆って言って、風の力を利用して動かします。操作するのは舵といいますね」

「へえー。私たちの扱う手漕ぎと違って色々な要素が噛み合うのですねー」


 楽しそうにシズリ達の船を観察していた彼女。その様子を眺めるシズリはあることに気づく。


「あれ? 服装、もしかして変えてる?」

「はい、集会のあとに着替えています。よく気づきましたね」

「集会のときは赤と白色を織り交ぜた服装だったので」


 白色のガウンは今も羽織っているが、中に着込んでいたローブが変わっている。ローブは若干丈の短いスカート風で水色を基調した線と藍色と金の刺繍を入れた豪華な衣装となっていた。それに合わせた腰ひもやサンダルと清涼感ある衣装へと変わったことも彼は視線を下げて気づく。


「……似合います?」

「似合ってますよ。少し大人っぽくなった気がしますし、さっきの優しい服装より、美しさを重視した服装ですね」

「そうですか。ここでは世間の評価が分からないので、一般的な感性と違うのであれば恥ずかしいなって思っていたんです」


 そう言って彼女はその場でくるりと一回転して、スカートの裾を確認していた。


「でもどうして着替えたんですか?」

「えっと、この後に控えている酒宴の席のためですね」

「ああ。集会のときに伝えてくださった、俺たちの門出を祝うための席のためですか。その時に何か催しでも?」

「こういう祭事には疎い私たちですが、天事の際には必ず行う催しがあるのです。祖母からせっかくなら、と」

「催し?」

「それなら、少しだけ」


 スッと目を閉じた彼女はこちらに向けて片手を差し出す。指先まで意識した手を滑らせるように天へと向け、身体の軸を崩さずにその場で回ってみせる。道具も音も何も使わず、その身1つで舞うだけの余興といえる数秒間。


 でもシズリは心を奪われていた。表情もそうだが、頭からつま先まで無駄がなく、身体全てを使って表現する。何気なく見ていた彼でもその1つ1つの動きに感情や祈り、そして彼女自身の想いを感じ取れそうだった。

 ミウは暫くしたのちに腕を降ろし、音もなく終了させた。そして口をだらしなく開けたままのシズリに無邪気な笑顔を向ける。


「こんな感じです」


 そこで我に返ったシズリは惜しみない拍手で「すごい!」と称賛した。


「まさか舞姫だったとは思わなかった」

「あ、そちらでも舞姫の文化はあるのですね。なら言葉で伝えればよかったです」

「でもこれだけの美しさは中々ない。本当にすごかった」


 舞姫は天事の際に人々の想いを天へと届けるための演舞によって伝える重要な役割を持つ。特に昔あった天の子守唄の存在が明らかになった頃から、天を蔑ろにしてはいけないという世論が生まれて、彼女たちの需要は高まったとされる。


 だがその敷居は高く、狭き門といわれる。気軽に名乗る者はその舞で迫害され、命を落とすと言われているほどだ。1人で安易になれるものではなく、教えを乞える人がそばにいることや長年の積み重ねが必要とされ、今なお舞姫の数はごく少数である。


 シズリも何度か遠目で見たことはあった。しかしその誰もがある程度歳を重ねた人が執り行うものばかりであった。それをこんな身近に、更にたった数秒で理解できる程とても洗練された舞を見ることが出来るなんて予想していなかった。

 ミウはそんな自分の才に気付いていない様子だ。柵にもたれながら、自分の手を慈しむように見つめていた。


「ありがとうございます。おかあさまとおばあさまの教えが大きいですけど、まだまだ足りていないことが多いです。舞えるようになったのも、つい最近のことですし」

「あれでまだまだとは信じられない。リーハさんとミウのお母さんはどれほどのもので?」

「はい。私の祖先は代々雨ごいの巫女や死者の導き手としてリディアの天事の際に舞います。時に空や見る者を涙させ、時に魚を招くほどの影響を与えたとされます。私はまだそこまで出来ません」


 そこでシズリは集会の時に彼女が言っていた大切な役目について思い出した。


「じゃあ今もまだ母親が舞姫で、後に受け継ぐ……あ、でもそれだと服装の理由が分からないか」

「……おかあさまは既に亡くなっています。私が幼い頃、おとうさまと建物の海没事故に巻き込まれたそうです。だから少し前までは祖母が行っていました」


 その時、彼女が自分たちの仕事を尋ねた際の戸惑いの理由が分かる。

 そして同時に集会にいなかった時点で察するべきだったと己の失言を悔やむ。


「ごめんなさい。そういうつもりじゃ……」

「構いません。この話はもうかなり前のことです。それにおばあさまと集落の皆さんから可愛がってもらっていますから、今はとても幸せです」


 そう告げる彼女の目に嘘はなかった。


「確かに少ししか居なくても、ここがどんなところかよくわかりますよ。皆さんとても良い人だと俺も思います」

「ありがとうございます。私もここは大切な誇りある場所です。ここは私が生まれ育った故郷であり、皆さんが大切な家族なのです。それは血が繋がっていなくても変わりありません」

「それがここから離れない理由ですか?」

「みんなを悲しませるようなことはしたくないですから。それに私にはおばあさまの言われていたことがあります。ここが消えてしまうまでは、微力ではあってもしっかりと守りぬいていきたい」

「集落の外に、興味はないのですか? どんな世界があるかとか、どんな人がいるとか」

「……ないと言えば、嘘になりますね」


 彼女は苦笑して、ただ外へ身体を向けると再びシズリたちの船を眺めるのだった。手を伸ばしても届かない距離にあるそれは彼女にとってどう映っていたのだろうか。シズリは彼女の背中だけでは判断できない。


 だが彼は考えてしまう。数年後のこの集落を、彼女の独りで過ごす生活を。海没した建物を見やりながら、残った建物で静かに生き続ける。ただ誰にも見られることなく、いない誰かを想い続けて舞う彼女の姿が瞼の裏で悲しく映し出された。

 大切に想うからこそ、出来ないことがある。見ることが叶わない世界がある。


 シズリはその気持ちが分かるからこそ、彼女のために何か出来ないかを思案する。


「……そうだ」


 そして彼は立ち上がって彼女の横を通って、そのまま柵を超えた。船に飛び移った後、彼は先ほど整理した遺構の品々から何かを探り始め、そんな様子をミウは首を傾げながら眺めていた。

 そしてすぐに目的の品を見つけた彼は目的の物を掴んで彼女の前でみせる。そこには太陽の光に当てられ、月型の青い石が輝くひも状の首飾りがあった。


「きれい……とても綺麗な首飾りですね」


 素直な感想を述べる彼女にシズリは躊躇いなく差し出した。


「あげますよ」

「え?」

「偶然だけど、こうやって出会えた。それなら何か贈り物があっても良いと思って」

「でもこれはあなた達にとって交易の品。大切なもののはずですでは……」

「そんなことを言ったら、俺はクスリをもらったし、ミウには世話をしてもらったから。大切な人に贈るなら迷うことなんてありません」

「それは当たり前のことをしたまでです。それに急にどうして、このような形で」

「『困っている者には迷いなく手を差し伸べる。それはその人のためでもあり、自分のためでもある』。きっとその掟は自分にとっても大事なことだから」


 ミウは驚き、澄んだ瞳を大きくさせた。


「シズリさん……」

「それに外へ出られない人のために出来ることを探すこと。それも渡り屋の仕事」


 歯を出して笑って見せるシズリに、ミウも釣られるように明るい笑みを返した。

 そして彼女は柵を越え、柵を掴みながら手を伸ばす。彼は船から少し背を伸ばして手を精いっぱい差し出す。落さないように、落ちないように気を付けながら2人は手を伸ばした。

 そうして互いの想いは届く。首飾りは彼から彼女の元へと渡り、それぞれが元の位置まで戻った。


「ありがとうございます。大切にさせていただきます」


 彼女は首飾りをしっかりと胸の前で抱き、自らの想いをちゃんと伝えたのだった。


「はい」

「いつかは分からないけど、その時が来たらまた兄貴と遊びに来るよ。沢山の土産話と物を引っ提げて」

「私たちは外の人と関わりを持たない掟があるのですけど」

「もう関わったし、大丈夫だよきっと」

「それなら、2人とも倒れて来訪なんてやめてくださいね。今度こそおばあさまから説教が入りますから」

「うぐ、そこは善処します……」

「……ぷ、あははは!」


 彼女が見せた子供っぽい笑い方に、彼はこれが彼女の本当の姿なのだと嬉しく思っていた。

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