第十一話 「少女の涙」

 

 激痛を噛み殺しながら、エリクは立ち上がった。


「何を、言ってるんですか。ノエルが吸血鬼だなんて・・・・」


「言葉のままの意味だ」


 グランの発言の意味が理解できない。

 困惑するエリクを他所に、グランは再度ノエルに問う。


「もう一度問おう。貴様は吸血鬼で間違いないな?」


「・・・・」


 グランの質問にノエルは黙り込む。地面に俯いたまま、沈黙を貫いた。

 それはささやかなな抵抗だったのか、はたまた無言こそが肯定だったのか。それはエリクにさえ分からなかった。


「何の根拠があって、ノエルを吸血鬼だと断言できるんですか」


「・・・・根拠ならある。竜は基本的に自分の縄張りから出てこない。だが、例外も存在する。お前も戦士なら分かるだろう?あの巨竜は明らかに暴走していた」


「それは・・・・でも、それが何でノエルが吸血鬼である結論に至るんですか」


「吸血鬼、いわば魔族は全身から特有の体臭を振り撒く。それは魔獣だけに作用し、冷静さを失わせて引き寄せる性質を持っている。巨竜も魔性の香りを察知して、やって来たのだろう」


 ノエルの小さな体が脅えるように、小刻みに震えている。


「異常だとは思わなかったか?魔獣が頻発に出現している位置が、ノエルの住居周辺に集中していることに」


「そんなの根拠になっていない。露骨に話を逸らさないでください」


「奴の容姿をよく見てみろ。銀髪に赤眼、それが何よりの証拠だ」


「何を言って、ノエルの髪色は白じゃーーーぁ」


 言われた通り、エリクはノエルを見つめた。

 眼下には艶やかな銀色の長髪をした、赤眼の少女が座っている。

 そう、ノエルの髪色は白髪ではなく銀髪であった。

 エリクが抱いた違和感の正体はこれだったのだ。


 次のグランの一言が、ノエルの正体の核心に触れる。


「ノエル、貴様は吸血鬼だ」


 そこでノエルが最もらしい反応を見せた。


 吸血鬼。銀色の髪に真紅の瞳を持ち、人間の血を栄養源とする不老不死の魔族だ。遥か昔に滅ぼされたと資料で読んだが、目の前にいる少女の外見は正に吸血鬼だった。


 もしグランの発言が真実なら、巨竜を呼び寄せたのはノエル自身だ。


『実は、ボクは、吸ーーー』


 外壁が破壊される直前、ノエルが必死に呟いた場面が脳裏を過ぎる。ノエルはエリクに自分の正体を告白しようと勇気を振り絞った。


「もはや、反論する気も失せたか」


 そう言ってグランは困惑するエリクから視線を逸らし、冷徹な瞳でノエルを睨む。


「分かっているな?俺は騎士長として、貴様を連行しなければならない。一緒に来てもらうぞ」


「・・・・承知の上だ」


 ノエルは小さく首肯し、その場に立ち上がろうとする。


「ノエルをどうするんですか?」


「害悪の根源は死滅させなければならない。無論、死刑判決が下されるだろう」


「・・・・っ!」


 その言葉が指す意味は一つ。

 国は自らの安全のためにノエルに死ね、と言っているのだ。


「・・・・他に方法など存在しない。奴は生きていること事態が罪なのだ。放っておいても最悪を振り撒くだけのただの障害。これが最善の判断だ」


「最善の判断って・・・・だから、ノエルを殺すんですか」


「そうだ」


 素っ気なくグランは即答した。


 運命の神様は残酷だ。ノエルだって吸血鬼に生まれたくて生まれたわけじゃない。ならば、魔族になってしまった者には何の罪もないだろう。

 存在自体が罪。害悪を振り撒く邪魔者。嫌われ者の境遇を受け入れ、自分達のために犠牲になれと死を強要する事が、許せるはずなかった。


「エリク、貴様は何も理解していない」


 感情の抜け落ちた虚ろな瞳でエリクを見て、グランは冷淡な態度で告げる。


「奴の存在が巨竜を呼び、この国に災厄を齎した。今回の騒動で一体何人死んだと思っている?それらを鑑みれば、一人の命など些細なものだ」


「貴方の方こそ何も理解していない。ノエルが今までーーーー 」


「もういいんだ。やめてくれっ!」


 必死に抗弁を続けるエリクを見て、ノエルは首を横に振った。


「グラン君の言い分が正しい。ボクは吸血鬼、これはボクが招いた事態・・・・全部ボクの責任だよ。だから、君が反論する必要はない」


「でも、このままじゃノエルがーーー」


「ボクは生き永らえるだけで、他人に最悪を振り撒く邪魔者なんだ」


 その言葉に秘められた、ノエルの万感の想いを察するのは容易かった。

 まるで生きることを諦めたような、運命に抗うことを止めた感情。


 胸を締め付けられるような感覚に襲われ、エリクはただノエルを見つめるしかできなかった。


「・・・・グラン君。少しだけ、彼と話をさせてくれないか?」


「逃げる動作を見せたら、即刻首を落とすぞ」


「ボクは誰にも信用されていないな。大丈夫、逃げやしない」


 脱力した声音でグランと話をつけ、ノエルはエリクの元に歩み寄る。

 そうしてノエルは微かに震えた声で、普段通りの口調で話し出した。


「エリク君、覚えているか?ボクらが初めて出会った日も、今日と同じ晴れの日だった」


「・・・・何、を」


 二人が出会ったのは一週間前。エリクは不幸にも物盗りに絡まれ、所持金を全て巻き上げられて一文無しとなった。そんなエリクをアンリが拾い、ノエル達と邂逅した。

 エリクと『お助け屋』の出会いは、今思えば運命だったのかもしれない。


「ミノタウロスに襲われた時、君は助けに来てくれた。ボクは本当に嬉しかったんだよ?」


 遠い目をして懐かしみながらノエルは語る。


 無我夢中だったので朧げにしか覚えていないが、ノエルを抱えて全力疾走した。

 怪牛と対峙した時、一度は死を覚悟したのだが、何とか無事に依頼を終えたことだけは鮮明に覚えている。


「古代遺跡の探索は全員で向かった。色々と新鮮な体験ができたよ」


 乾いた笑みを溢してノエルは続ける。


 四日前の遺跡調査の依頼。異形に襲われたり、空間歪曲で逸れたりと、思わぬハプニングが多発したが最終的には遺跡の最深部に到達した。

 その時の歓喜は忘れはしないだろう。


「今日の外出は実に有意義な時間だったよ。君には本当に感謝している。感謝しても仕切れないくらいに、だ」


 侘しい表情をするノエルは、強引に笑顔を作ってみせる。


 クレープにネックレス、ノエルにとって城下町は興味を引く物の巣窟だった。

 ノエルの喜ぶ姿を見られて、心から笑う笑顔を見られてエリクは素直に嬉しかった。


「・・・・ボクは今も誰かを不幸にしている。ボクの存在は世界にとって不必要なんだよ」


「・・・・そんな、ことっ!」


「そんなことあるさ!ボクが生きている結果が、この国の惨状だよ。どうだ、酷いだろう?これは全てボクが呼び込んだ悲劇なんだ」


 自分に言い聞かせるように、ノエルは大声で叫んだ。


(僕は何も分かっていない。ノエルが一人で抱え込んでいる恐怖を・・・・少しも気付いてあげられなかった)


 ノエルの死はいつも身近に潜んでいる。

 無意識に魔獣を呼び寄せる体質。吸血鬼という正体。正体が露見すれば、すぐに首を狙われる。だから、ノエルは何時も警戒心を緩めず、壮絶な緊張感の中で生活を送っていた。


 そんな状況下でも、ノエルは依頼を引き受け、いつも通り接していたのだ。


「・・・・」


 涙を拭って唇を強く噛むノエル。

 涙ぐむ彼女を見ながら、エリクは声の一つもかけられない。


「・・・・すまない」


 ノエルは心から純粋に謝罪した。それは、真実を自分の口から伝えられなかった事への謝罪だ。


『未来視』が見せた予知夢。数ヶ月前からノエルは自分の死を悟っていた。

 確定した運命までは変えられない。下手に他言すれば、無駄に死体が増えるだけだ。


 だからノエルは誰にも頼らず、一人で抱え込んできた。


「覚悟、していたのにな。今更ながら、少しだけ怖くなってしまった。ワガママだな・・・・ボクは」


 ノエルは自嘲の笑みを浮かべて涙を流した。


 吸血鬼という点を除けば、表情豊かな一人の少女なのだ。嬉しかったら笑うし、悲しかったら泣く、純粋無垢な少女なのだ。


 目の前の死を怖がるのは当然の反応である。誰だろうと死ぬのは怖い。

 しかし、眼前の少女は死の恐怖を押し込め、笑顔を作ろうとしている。


「君が傷つく姿を見たくないんだ。もうこれ以上、ボクに関わらないでくれ」


 必死に秘めた想いが溢れ出す。

 引き裂かれるような痛みに苛まれ、ノエルは胸を押さえてエリクに告白する。


「・・・・こんなボクを守ってくれて、優しく接してくれて本当にありがとう。・・・・ボクは君を愛している」


 ノエルはエリク飛び付き、首に手を回して優しく唇を重ねた。

 風に靡く銀髪から、甘く誘惑的な香りが漂う。ふんわり、と柔らかい感触が伝わってくる。


 口づけを終えた途端、エリクは強烈な睡魔に襲われた。少しでも気を抜けば、今にも意識は闇に沈む。


 四肢から力が抜け、エリクは石畳に倒れ伏せた。


「だ、駄目だ・・・・行っちゃいけない・・・・」


 あの覚悟の行く末をエリクは知っている。


 エリクは動かない右腕に力を入れ、遠ざかる背中に必死で手を伸ばす。届くはずのない腕を、ただただ伸ばした。


 それに気付いたノエルは、悲壮な表情を無理矢理笑みに変えてみせる。


「もう、お別れだ。・・・・君と過ごした一週間、ボクはとても幸せだった」


 その声を最後に、エリクの意識は深い闇に沈んだ。

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