第十話 「残酷な真実」

 

 ノエルが激闘を繰り広げていた頃、エリクは避難所の入り口に到着していた。


「君たち、大丈夫だったか?」


 三人ほど衛兵が駆け寄ってくる。鈍重な鎧から察するに、騎士に違いない。

 おそらくグランの指示に従い、国民の救助活動に専念していたのだろう。


「はい。僕は大丈夫ですから、先にこの子を・・・・」


 エリクは抱える少年を一人の騎士に引き渡した。


「外にいるのは危険だ、早く中に入ってくれ。ここなら安全だから」


「ちょっと待ってください。まだ向こうで魔女が竜を食い止めているんです。一刻も早く救援をお願いします」


「その心配は必要ない。先程、騎士長が現地に向かっていると報告が入った」


(騎士長・・・・グランさんか!)


 その報告を耳にして、エリクは安堵の溜息を吐く。

 グランの実力は重々承知している。彼が赴くなら一安心だ。


 エリクが胸を撫で下ろした次の瞬間、上空に巨大な魔法陣が出現。

 振り返ったエリクの視界に映ったのは、遥か前方で立ち上る一条の極光。その柱は太陽にも劣らぬ眩さを放ち、空間自体を歪めて天を穿つ。

 光柱を眼にしたエリクは瞳を大きく見開いた。


(あれは、まさか・・・・ノエルの魔術か?!)


 光が収まった直後、魔力を含んだ咆哮が国全土に轟く。極光の一撃では仕留めきれなかったのだろう。

 広がる衝撃波は国を一瞬で飲み込み、国民の恐怖を増幅させる。


「早く行かないと・・・・後は頼みます」


「ちょっと、君。向こうは危険だ、戻って来なさい」


 竦み上がった騎士を背に、焦燥感に狩られたエリクはノエルの元へ駆け出した。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 巨竜の異変を察知したノエルは、ぐっと焦りを噛み締めた。


「・・・・この一撃で勝負を終わらせに来たか。あんなのを真面に喰らえば、ここら周辺は吹き飛ぶぞ」


 地上で膝をつくノエルは、巨竜が放つ光波に息を飲んで戦慄する。

 凝縮された高密度の炎熱は空間を捻じ曲げ、触れたものを焼失させる破壊力を秘めている。


 ノエルは周囲を一瞥した後、杖を突いて立ち上がった。


(この場にはボク一人しかいないんだ・・・・。ボクが止める他ない)


 微かに震える腕を抑えて、上空の巨竜を見上げる。


 都市を壊滅に陥れる『竜の吐息』を一人で受け止める。

 果たして、それが自分に出来るのだろうか。

 全魔力を捧げて魔術を起動すれば、防ぐことは不可能ではない。


 しかし、それと引き換えに待ち受けているのはーーー。


 ふと、エリクの顔が脳裏を過ぎった。

 彼なら一体どうするだろうか。


 きっと、彼ならこんな逆境でも笑顔で打破してーーー。


(ーーー迷うな。ボクがやらなきゃ、誰がこの国を救うって言うんだ・・・・!!)


 困惑する自分を叱咤激励して雑念を振り払う。


 きっと誰かが助けてくれる。


 その甘えが結果としてこの惨状を生み出し、自分も命の危機に瀕している。

 無意識な心の中に存在するその怠慢が、国を壊滅寸前に追いやったのだ。


 周りに頼れる仲間などいない。

 この苦境を覆せるのは自分だけ。


 今、勇気を振り絞って巨峰に立ち向かえるのは、ノエル以外にいないのだ。


(ここでボクが命を張らないと、二度と彼らに顔向け出来なくなる!!)


 ノエルは逼迫する精神を奮わせ、全身の魔力を解放した。

 長杖を両手で強く握り締め、最高の硬度を誇る魔術を起動する。


 巨竜の灼熱に対抗しうる、絶対防御の魔術式。


「・・・・星火燎原の光芒を顕現せよ、炯然一章天盾(イージス)っ!」


 国土よりも巨大な魔法陣が、国と竜との間に境界を引いた。

 ノエルは全魔力を膨張させて、閃熱の一撃に備える。


 ノエルが発動した魔術式の起因は、遥か古来の文明が崇拝した天神が一柱。戦女神として崇め祭られ、無勢の弱小国に勝利を齎したと言われる、女神の神器。


 星河一天・イージスの盾。


 戦神の神器を模した魔術を前に、巨竜の双眸が驚愕に揺れる。同時に、大気が激しく鳴動していた。


 巨竜の口内には火炎が凝縮され、灼熱の球体が生まれている。


『GYYYYYAAAAAAAaaaaaAA!!!』


「絶対に止めてみせる!ボクの覚悟は、お前なんかに負けやしない!!」


 ノエルは覇気を含んだ大声を上げ、長杖を目一杯に掲げた。


「はあああぁぁぁぁぁーーー!!!」


 裂帛の気迫に応じて展開される極光の巨盾。

 咆哮と同時に放たれた気焔の火球。


 圧縮された火球と天光を放つ神盾は衝突する。


 二つの魔力の塊は触れた途端、輝きを増して鬩ぎ合いを始めた。灼熱と極光の衝突は忽ち瓦礫を弾き飛ばし、余波だけで周囲の建築物を瓦解させていく。


 勝利の天秤が傾き始めたのは、その僅か数秒後の出来事だった。


「ーーーっ、ぅぐぁぁ・・・・!」


 戦女神の盾が、灼熱の球体に押され始めたのだ。

 ノエルはその事実を噛み締めて、全身を迸る激痛に耐えながら両手を前に突き出した。


 ノエルは振り返り、遠方を見据える。

 この歩廊の向こうには、怪我人や避難した人々が大勢居るはずだ。今、自分が押し負けたら、国民を死滅させてしまう。


 己が背負う覚悟を胸にノエルは奮起する。


 この戦いは負けられない。負けてなどやるものか!!!


 両腕が焼け爛れる苦痛に襲われながら、ノエルは必死に対抗した。しかし、既に身体は限界を迎え、悲鳴を上げていた。

 魔力が枯渇寸前になり、輝きが乏しくなる。


 次の瞬間、巨盾に亀裂が奔った。


 全身全霊を尽くしても、一向に勝機が見えてこない。無謀な挑戦だったな、と巨竜の皮肉の嘲笑。


 こうして拮抗している事実自体が奇跡なのだ。


「ーーーぐっ!このままじゃ・・・・押し切られる」


 両腕がギシギシと軋み、目尻に涙を浮かべる。


 悔しいが足りないのだ。力量も、技術も、何もかも。

 いくら魔術の真理を探究しようとも、いくら戦闘経験を積み重ねようとも、自分では巨竜に太刀打ちできないと痛感する。


 自分の無力さが恨めしい。そのせいでまた、大切な人を失うのだ。



 ーーー諦めるのか?、と。



 此方より響く声が、挫折しそうなノエルの魂に問い掛けた。


 そんなこと分かりきった答えだ。


 微かでも可能性があるのなら、諦めないに決まっている。


「はああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 勝利の可能性を信じて、ノエルの魂が煌めいた。残る全魔力を注ぎ込んで、更に力を加える。


 反発し合う灼熱の火球と黄金の神盾はやがて一つの光球となり、上空で膨張して消滅した。


 ノエルの魔術のおかげで、ティルファニア帝国は壊滅を免れた。

 全身から力が抜け、ノエルはその場に項垂れる。

 しかし、未だに緊張感が抜けきれない。


 巨竜の一撃を防いだというのにーーー背筋に悪寒が走り、本能が危険信号を出している。


『GYYYYAAAAAaaaaa!』


 怒気混じりの咆哮がノエルに向けて放たれた。

 最大の一撃を防がれてプライドを傷つけられた竜は、ノエルの存在を許しはしない。


(・・・・もう、手足に力が)


 巨竜は更に高密度の火球を生み出し、ノエルに標準を定める。


 もはや、防ぐ術など持ち合わせていない。

 ノエルは覚悟を決め、己の運命を受け入れる。


 巨竜は凝縮した閃熱の吐息を、口いっぱいに開いて吐き出した。

 迫り来る灼熱の火球はノエルの身を微塵も残さず焼き尽くすだろう。


『未来視』に映る自分の末路が次第に移り変わりーーー。


 ーーー諦めかけたその時、少年の背が眼前に現れた。


「なっ・・・・」


「何とか間に合ったようだね」


 その背中は見間違うはずもない、見慣れた少年エリク・クロフォードのものだった。


 エリクは振り向いてノエルの無事を確認する。彼女の容姿に違和感を覚えるが、今は余計な思考をしている余裕はない。


 エリクは上空を見上げて盛大に溜息を吐いた。

『竜の吐息』はエリクの所有する鉄剣では防げない。なら、取れる手段は一つだけだ。


(・・・・さて、これは僕も覚悟を決める必要があるな)


 少し息を吐いて、呼吸を整える。

 鉄剣を片手に握りしめてもう一振りの剣、魔剣の柄を握った。


 そして、鍵言となる言葉を静かに告げる。


「星光を見据えし起源の象徴。・・・・力を貸せ、『晦冥の魔剣 《レイ・ギルティア》』」


 瞬間、禍々しい魔力が魔剣の鞘から溢れ出す。

 エリクは莫大な魔力の渦を刀身に収束して、切れ味を最大限まで引き上げる。そして、両足に魔力を流して跳躍力を強化。


 鉄剣を構えたエリクは強く踏み込み、驚異的な跳躍で火球に迫る。


「せやああああぁぁぁぁぁ!」


 威勢と共に振り下ろされた剣は、火球を真っ二つに叩き斬った。爆風に押されたエリクは、そのまま巨竜の元まで吹き飛び、巨大な片翼を切り裂く。


 片翼を失った巨竜は安定性を崩し、地上に急降下する。


「風の魔素よ、ボクに力を貸してくれ」


 極小の魔力が回復したノエルは、即座に風属性の魔術を起動。風を巧みに操り、エリクの落下速度を減速する。

 器用に手操られた風は、エリクの体をノエルの元に運ぶ。

 ノエルは両腕を広げ、エリクを抱き留めた。


 心地よい衝撃と、優しい温もりに待遇され、エリクは一息吐く。


「君は、本当のバカだね。・・・・でも、生きてて良かった」


「僕も死ぬかと思ったけどさ。・・・てか痛い、痛いよノエル。そんなに強く抱き締めないで」


「す、すまない。安心してつい、な」


 銀髪を靡かせながら、涙目を拭ってノエルは言う。

 少年の体から伝わる心臓の鼓動が、生きている事実を実感させる。


 突如、エリクは心臓を押さえて苦しみだした。


「ぐ、があああぁぁぁぁ!」


 エリクの全身に想像を絶するほどの激痛が迸る。強引に魔剣を使用した代償が返ってきたのだ。

 踠き苦しむエリクの姿を見て、ノエルはあたふたと回復魔術を唱える。


 安堵がノエルを飲み込んだ途端、爆音が国中に響き渡った。絶望がまた、ノエルを地獄に突き落とす。


 回復魔術で痛みが和らいだエリクは、固まるノエルに語りかける。


「大、丈夫だよ。グランさんが、駆けつけたから」


 視線の先ーーー咆哮する巨竜に迫る赤い閃光。

 竜の頭部を蹴り抜き、グランは魔剣を片手に対峙する。魔剣の刀身は業火を纏っており、容易く竜鱗を切り捨てられるだろう。


「国を脅かす害獣は俺が断ち切る。随分と好き勝手に暴れてくれたな、巨竜よ」


 竜が吠え、戦いの火蓋は切って落とされた。


 巨竜の鈍重な一撃を回避し、魔剣を軽々と振り回す。残像を残す高速の斬撃で、竜の皮膚を抉っていく。凄まじい猛攻に再生が追いつかない。


 様子を見守るエリクとノエルは、その一方的な暴力に言葉も出なかった。


(つ、強い。グランさんはあんなに強かったのか)


「騎士長の名は伊達ではない。おそらく、彼の実力はこの国最強と言っても過言ではないだろう」


 確実に巨竜の鱗を削るグラン。

 小回りが利かない巨竜は、反撃すらままならない。そのため、防御に徹する他なかった。


「もう魔力障壁を張る魔力すら残っていないか。調子に乗りすぎたな」


 いくら膨大な魔力を保有しようとも、いずれ限界を迎える。

 ノエルの魔術を何度も防ぎ、魔力の消費が極端に激しい『竜の吐息』を連発した巨竜の魔力は底をついた。


 百に及ぶ剣閃を浴びた巨竜は、ついに態勢を崩し始める。好機と捉えたグランは魔剣を前に突き出す。すると、刀身に纏う火炎は爛々と輝きを増した。


「燃え尽きろーーー『煉獄の魔剣 《イフリート》』」


 魔剣から放出された猛火の渦が、巨竜の半身を飲み込みーーー 一瞬で消滅させた。


 その光景を見たエリクが驚声を上げ、ノエルの体がピクリと震える。


「あれはーーー竜の半身が消失した?!」


「『煉獄の魔剣』だよ。物質なら無差別に分解する業火の魔剣。彼の異名にピッタリだろう?」


 これが『煉獄の魔剣』の魔装、『緋炎バルムンク』。紅蓮の炎は物質全てを焼き焦がし、原子レベルにまで分解する破壊力を持つ。


 グランの姿は、まさに『炎帝』。


 壮絶な断末魔を上げた巨竜は横に倒れ込んだ。

 その傷口から夥しい量の鮮血を流し、石畳の歩廊を真紅に染める。


 駆け付けた騎士団が巨竜の死体を取り囲む。


「この死体を早急に処理しておけ。俺にはまだ、仕事が残っている」


 いつの間にか太陽は傾き、空は黄昏に染まっていた。

 戦闘を終えたグランがエリク達に視線を送り、ゆっくりと歩み寄る。


 何かに恐怖を抱いているのか、密着するノエルの体から身震いが伝わってきた。


「・・・・やはり、お前だったか」


 眼前に立つグランは魔剣の突端をノエルの首筋にむける。

 そして、倒れているエリクを前に、グランは残酷な真実を言い放った。


「ノエル・シェータ。貴様は吸血鬼だな」


 敢えて断定的な声で、グランはノエルに尋ねた。

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