第九話 「巨龍襲来」

 

『き、緊急事態発生。竜が外壁を破壊して、国内に侵入しました』


 衛兵の一人が連絡用の魔道具で、騎士団本部に状況を説明する。

 巨竜襲撃の報せは、騎士長グランの元にも届いていた。


 意外な内容に耳を疑ったが、グランは冷静さを保つ。魔道具を起動して、騎士団に指示を出す。


「騎士長として指示を下す。全団員に通達しろ」


「りょ、了解しました」


「国民を安全な場所へ避難誘導しろ。それと、無益な交戦だけは絶対に避けろ。騎士として恥じぬよう、一人でも多くの命を救え」


 グランは魔道具を懐に入れ、武器の準備を開始した。


 強烈な振動はグランの居る部屋まで伝わっており、嫌な予感を増幅させる。

 肉眼では未だに敵の姿を視認できないが、立ち昇る黒煙と飛び散る外壁の欠片が被害の深刻さを知らしめていた。


「・・・・なぜ竜が。己の巣から滅多に出てこない竜が、なぜこの国を襲う?」


 三百年間、竜が国を襲ったという報告は一切なかった。

 魔獣の大量発生は巨竜襲撃の予兆だったのだろうか。


 グランの疑問は唐突な一言によって霧散する。


「ーーーそんなの決まっている。竜を呼び寄せた元凶が、国内を歩き回っているからだろう」


 突然の声音にグランは即座に振り返ると、扉の前にはローブを深く被る者がいた。

 顔はよく見えないが、小柄な体躯はローブの上から判断できる。しかし、緻密な変声の魔術を施しているのか、中性的な声音は少年か少女か識別できない。


「貴様、何者だ?」


 その者からは殺意、敵意、そして気配さえも微塵に感じられなかった。


 反射的に魔剣を引き抜き、臨時態勢を取る。


「そうだね。名乗るなら『観測者』とでも言っておこうか」


 自称『観測者』は両手を挙げ、敵意がない事を示した。

 グランは警戒心を緩めず、鋭い慧眼で『観測者』を睨みつける。


「別に君と敵対するために来たわけじゃない」


「なら、何の目的で俺の前に現れた。答えろ、『観測者』!」


「強いて言うなら情報提供、かな。先程も言った通り、今回の事態を招いた人物が国内に潜んでいる」


「・・・・なに?」


 そう告げて『観測者』は窓の外を指差す。

 そしてグランは窓から、粉塵が巻き上がる城下町を一望する。


「魔獣は魔性の香りに敏感だ。今、暴れ回っている竜もその異香に引き寄せられて暴走している」


「貴様が呼び寄せたわけではないんだな?」


「違う、と言っても信用しないだろう?」


 唯一見える『観測者』の口元が歪む。


「助言をしておくが、奴がその元凶を喰らえば、いくら貴方といえど手に負えなくなるぞ」


 グランは『観測者』の忠告を胸に刻み、魔剣を構えながら確信に迫る。


「一つだけ問おう。竜を引き寄せた元凶は一体誰だ?」


「ふふふ。薄々君も勘付いているだろう?魔性の香りを振り撒く正体に」


 薄気味悪い笑みを溢して、『観測者』は真実を濁した発言をした。

『観測者』の助言を聞いて、グランは思考を巡らしーーー、


「・・・・まさか!」


 そして、最悪の事態を招いた人物に行き着いた。

『観測者』は哄笑してグランの意識を誘導する。


「敵は仮にも最強種の一角だ。早く駆け付けないと、事態は悪化して取り返しがつかなくなる」


「くっ・・・・」


 問い質したい事は多々あるが、今はそんな余裕を持ち合わせていない。

 口惜しさを噛み締め、グランは窓を突き破って外に飛び出した。


 衝突寸前に受け身を取り、体制を立て直したグランは駆け出す。その背中を見送った『観測者』は遠方を見据える。


「さて、今回は高みの見物を決め込ませてもらおうか」


 静観の姿勢を見せる『観測者』は、不気味な微笑を浮かべて影の闇に溶け込んだ。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 静寂の後、人々は叫び声を上げて滅茶苦茶に逃げ惑い始めた。


 心臓が高速で脈を打ち、肺が大量に酸素を供給する。

 目の前に迫る怪物の放つ押し潰すような威圧は、忽ち生物を恐慌状態に陥らせ、呼吸さえままならない。


「・・・・っ」


 湧き溢れる恐怖を噛み殺し、エリクはその怪物を見上げた。


 生きとし生ける数多の生命の中でも頂点に位置する、最強種の一角。

 他の追随を許さない膨大な魔力を体内に秘め、単体で都市一つを崩壊まで追い込んだーーー資料にはそう書かれていた。


 全身の鱗が発する異常な灼熱は、周辺の残骸を焼け爛れさせる。

 有象無象を踏み潰し、行く手を阻む建物を薙ぎ倒して前進する。


「ノエル、動けるかい?」


「あ、ああ。大丈夫だよ」


 巨竜の襲撃に戸惑いながらも、エリクは冷静な判断力を保っていた。

 疑問や雑念を全て頭の隅に追いやり、勝利に至るまでの最善策を思考する。


 紅玉の双眸は二人を標的として捉えていた。

 命の危機を察知し、本能的な部分が警鈴を掻き鳴らす。


 ーーー 一度でも判断を怠れば、確実に命を落とす、と。


「うわあああぁぁぁあん」


 幼い少年の鳴き声がエリクの鼓膜に届いた。

 振り返った視線の先には、泣き喚く少年の姿がある。巨竜の存在感に圧倒され、竦み上がっている様子だった。


『GYYYYYAAAAAAaaaa!!』


 巨竜は砂塵を舞い上げるほどの咆哮を上げ、周囲の建築物を縦横無尽に破壊し始める。


 少年目掛けて飛来する建物の残骸。

 真っ黒な影がかかり、少年は呆けたように見上げてーーー。


「っ、ーーーはぁ!」


 エリクは大地を蹴った。同時に腰に手を回し、素早く鉄剣を引き抜く。

 刀身に魔力を流して斬れ味を最大限まで高め、迫り来る残骸を両断した。


 巨大な瓦礫は散弾の如く、容赦なく二人に降りかかる。


(くっ・・・・)


 エリクは強く歯軋り、弛まず剣を振るう。

 しかし、瓦礫の散弾は一向に止む気配がしない。


 このままではーーー止め処なく降り注ぐ残骸を、捌き切れなくなる。


「助力するぞーーー霹靂三章『雷壁インペリア』」


 エリクの前に飛び出たノエルは、杖を構えて即興で魔術を起動した。

 雷を帯びた結界は三人を覆い、建物の残骸を真正面から防ぐ。


「ぅぐ・・・。なんて強烈なんだ・・・」


 ノエルから苦悶の声が漏れ、あまりの衝撃に片膝をついた。結界に亀裂が入り、両腕が悲鳴を上げる。


「早くその少年を連れてこの場を離れるんだ」


「まさか・・・・一人で残る気じゃないだろうね」


巨竜ヤツを野放しにすれば、この国はあっという間に崩れ落ちるんだ。誰かが足止めをする必要がある」


 静謐な彼女の瞳が、確固たる意志を物語っていた。


「イリスやアンリが駆け付けるまで、ボクは時間稼ぎに徹する。だから、君はその子を連れて早く逃げろ!」


「・・・・っ。分かった。僕が戻るまで無事でいてくれ」


 魔術を最大出力で展開しながら叫ぶノエル。

 その覚悟を汲んだエリクは、少年を抱えて逆方向に走り出した。


 二人の姿が見えなくなったか確認して、ノエルは新たな魔術を詠唱する。


「八寒地獄の凍土を顕現せよ、氷雪二章『氷幕カラトリクス』」


 魔法陣から生み出された雷電と氷雪の隔壁は、飛来物を完全に受け止めた。


「ふぅ・・・・これはボクも無事では済まないぞ」


 盛大に息を吐き捨て、遠方の巨竜を見据える。怪物は徐々にノエルとの距離を縮めていた。


 仕事の都合上、魔獣との戦闘は日常茶飯事だ。

 もちろん、強力な個体とも何度も戦い打ち勝ってきた。しかし、前方の怪物は今まで遭遇した魔獣と比べて、体格も魔力保有量も規格外の域に達している。


 不死鳥フェニックス一角獣ユニコーンと並ぶ最強種。目の前の存在は暴虐を繰り返す天災ーーー紛れもない災厄である。


「・・・・ボク一人で何分持ち堪えられるか」


 両目を極限まで見開いて、瞳を煌々しい黄金色に染める。『未来視』を発動させて数秒先の未来を視ながら巨竜の様子を窺う。


 勝てる可能性は極端に低い。だがせめて、二人が安全な場所へ避難する時間だけでも稼がなくてはならない。


「ーーーさぁ、戦いを始めようか」


 ノエルの言葉に呼応するように、巨竜は全速力で突進してくる。『未来視』で事前に未来の映像を視たノエルは、早口で魔術を詠唱した。


「迅雷風烈の狂飆を顕現せよ、旋風五章『空歩アルミラ』」


 人為的に生み出した風を纏い、身体を上空に浮遊させ、巨竜の突進を回避する。


 後方に風を噴射して、距離を一気に詰めた。


(手始めに、機動力を奪わせてもらうぞ)


 空でも飛ばれて移動されては厄介だ。

 ノエルは竜の背後に迫り、巨大な双翼に狙いを定める。


「貫けーーー氷雪三章『氷裁』」


 数十本の氷槍を一本に凝縮し、必殺の一撃を竜翼に叩き込む。

 巧緻な魔術式で編まれた氷槍は、鋼鉄を遥かに上回る高度を誇る。


 大量の氷槍を束ねて創成した『氷裁』は、分厚い鉄板でさえ容易に突き破る威力を持つ。


 しかし、


「なにっ?」


 ノエルはその光景に目を剥いた。

 なぜなら、巨竜の双翼には、かすり傷一つ見当たらなかったからだ。


『未来視』で行動を先読みして、瞬時に後方に跳び離れる。

 竜の巨腕は虚空を薙ぎ払い、八階建ての建築物を瓦解させた。一手でも反応が遅れていれば、直撃は必至だっただろう。


「ボクの魔術を喰らって無傷か。一体どれだけ頑丈な魔力障壁を纏っているんだ」


 ノエルは悪態を吐き捨て、魔法陣から無数の雷弾を射出する。しかし、雷の弾丸は魔力障壁に悉く弾かれ、竜鱗にさえ届きはしない。


 魔力障壁とは、その名の通り魔力で作り出された厚壁で、最も単純な魔術式だ。

 その硬度は魔力保有量に左右され、莫大な魔力を保有する竜が使用すれば、あらゆる暴力を遮断する絶対防壁の障壁となる。


「勝率なんて一割にも満たないだろうが・・・・ボクが逃げるわけにはいかない。その頑強な鎧を突き破る!」


 ノエルが覇気を秘めた言葉を言い放つと共に、体内の全魔力を爆発させた。


 唸り馳せる魔力の奔流が、全身の魔力回路を循環する。

 ノエルは杖を前に突き出し、十節にも及ぶ魔術の詠唱を開始した。


「夜の帳を切り裂く天神の鉄槌、巡り巡りて大地を照らさん」


 上空より、竜の巨躯を隠すほどの巨大な魔法陣が出現。それは翡翠色に煌めき、黒煙の天幕に光を差す。その光景はあまりに幻想的で、見るものを無差別に魅了する。


「聖なる雷の稲光、天上に光河の奇跡を刻む」


 ノエルの呪文が小さく響く。

 一節が終わる都度、魔法陣は一際輝きを増す。


 魔法陣の影響を受けた大気中の魔素は、固形化して純白の結晶として形を成す。膨大な魔素の結晶は天へと舞い上がり、煌々と輝く星光に吸収された。


「悪しきを浄化せし、星芒の一太刀となる」


『未来視』に映る巨竜の数秒先の行動。竜の追撃を必死に躱しながら、並行して彼女は魔術を紡いだ。

 声が掠れようとも、息が苦しかろうとも、ノエルはその旋律の続きを詠う。


「我が名の元に顕現せよ。天を貫き、地を穿て」


 魔術式は長節詠唱の広域展開型魔法陣。雷属性と光属性の魔力を基盤とした多属性魔術。有りとあらゆる魔術知識を改良し、自作の術式を組み込んだ多系統魔術術式。


 天神が放つ雷撃を模した稲妻の一撃。


「頼む、散ってくれーーー『天捌エクスシア』」


 ノエルは最後の言葉を告げ、両手で握る杖を振り下ろした。


 一条の光柱が天へと昇り、空に掛かる天幕を貫いた。魔法陣から放たれた天を突くほどの巨大な極光の柱は、巨竜の体躯を丸ごと飲み込む。高純度の魔力で形成されたそれは、さながら雷神の鉄槌のように神聖で神々しい。

 その光景は世界から音を搔き消し、無音状態を錯覚させる。


 これがノエルの編み出した固有魔術、『天捌』。長節の詠から織り成される、ノエルの切り札の一つである。


 やがて、光は収まった。極光は巨竜の魔力障壁を破壊し、身体を覆う竜鱗を焼き焦がした。

 だが、致命傷は与えられなかった。鉄壁の障壁は貫通したが、絶命には至らない。


「魔力障壁と同等か、それ以上に鱗が硬いな。流石は最強種と呼ばれるだけあるな」


 大地に降り立って様子を窺うノエル。


 与えた傷は予想以上に浅く、既に自己再生が始まっている。


「どんな身体をしてるんだ・・・・この怪物め」


 冷たい汗が背筋を流れた。


 例え深傷を負わせても、驚異的な再生速度でより強く、より硬く修復されてしまう。

 竜の鱗を剥がすには先程より強力な魔術を見舞う必要があるのだが、二度も同じ手を許すほど生温い敵ではない。


 魔力の残量を鑑みても、魔術を撃てて残り数発程度。


 ーーー万事休す、か。


 ノエルがそう思った時、巨竜が長い首を伸ばして翼を開いた。暴風は砂埃を上げ、空へ羽ばたく。


「・・・これは、まずいな」


 輝く太陽と被さる様に翼を広げる巨大な影。

 陽光を背負う巨竜は鋭い双眸で国全体を俯瞰し、辺りの大気を吸い込んで口内に灼熱を溜め込む。

 周囲のマナを貪り、火炎が限界まで収束する。



 恐れ慄け、そして刮目せよ。


 この一撃こそが巨竜の所持する最大の切り札。


 帝国一つを壊滅させると謳われた、灼熱の一撃、『竜の吐息』である。

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