第八話 「休日は城下町にて」


 太陽の日差しが、燦々と照りつける正午過ぎ。


 広大な城下町の一角である歓楽街には、たくさんの店舗が密集している。そのため人通りが非常に多く、昼夜関わらず大勢の人で賑わっている。


 人々が行き交う石畳の歩廊を、エリクとノエルは歩いていた。

 側から見れば、仲睦まじいカップルに見えるだろう。


(女の子と二人っきりだからって緊張するな、僕・・・・)


 高鳴る胸を押さえて、深呼吸を繰り返すエリク。

 なぜ、二人きりで外出しているのか。


 遡ること二時間前。


『エリク君はティルファニア帝国に来たばかりですよね。せっかくの休日ですし、ノエルが街を案内してあげては?お互いのことを知るいい機会です』


 唐突なアンリの一言によって二人の外出は確定した。

 その直後、アンリはエリクの隣に立ち、


『ノエルはいつも、仕事と魔術研究に熱心なので、私用でお出かけすることは滅多にありません。エリク君みたいに可愛い少年に言い寄られたら、簡単に落とせますよ』


『いやいや、ありえませんよ・・・』


『あの子、男性に免疫がありませんから。壁ドンしたり、押し倒したりして「嘘を吐くなよ。口では虚勢を張っても、体は正直なんだぜ」なんて言って襲えばーーー』


『し、しませんから。なんてこと言うんですか』


 卑猥な微笑を浮かべるアンリに、エリクは頭を横に降って否定する。


 あの会話さえなければ、ノエルを異性としてあまり意識せずに済んだのだがーーー。


(何か話した方がいいのかな。でも、僕はノエルの事をよく知らないし・・・・)


 などと考えながら隣を見やると、ノエルもやけに落ち着かない様子で、周辺を見回していた。


「ノエルはよく街に来たりするのかい?」


「滅多に来ないね」


 エリクの質問に少し間を置いて、ノエルは自嘲の笑みを見せて答える。


「普段は仕事の依頼で忙しいからね。休日は部屋に篭りっきりだし・・・・。稀に雑用の依頼を受けて訪れるくらいだよ」


「苦労してるんだね」


「だが、安心してくれ。君よりはこの国の構図を熟知しているよ。最初に案内するのは・・・・ん?」


 物珍しい店を見つけたノエルは、エリクを残して軽快に走っていく。見失わぬよう、慌てて後を追いかけるエリク。

 ガラス窓の前で足を止めたノエルは、展示品を覗き込んでいる。


「あれは何だ?色鮮やかですごく綺麗だね。加工した魔石の類だと思うが・・・・エリク君は知っているのか?」


「あれはネックレスだね。首に着ける装飾品の一つだよ」


「・・・・ネックレスと言うのか?初めて聞く名だ」


 ネックレスに夢中のノエルは、展示品の掲示に視線を落とす。無邪気に笑う彼女の横顔を見て、エリクの唇は自然と綻んだ。

 ハッ、と我に返ったノエルは顔を紅潮させて、


「す、すまない。ボク一人が調子に乗って・・・・大変はしたない姿を見せた」


「別にいいよ。僕も十分楽しんでるから」


「でも、今日の目的は君の案内だ。ボクの好みに付き合わせるわけにはいかない」


 ノエルは黒のワンピースを翻し、エリクと向かい合う。

 彼女を直視することが気恥ずかしく、エリクは素早く眼を逸らす。


「丁度、お腹が空いた頃合いだ。少し遅いが、昼食にしようか。この辺りにはいいレストランがあるんだよ」


 先行するノエルの後に続き、目的地へ歩くエリク。


 二人が向かうレストランは、城下町で美味しいと評判の、過去に何度かノエルが依頼で訪れた店だ。


 店前でノエルは動きを止めると、懐を探り始める。


「・・・・あ、あれ?」


 石のように硬直した数秒後、冷や汗を流して顔を顰めた。


(ど、どうしよう・・・・)


「大丈夫かい?すごい汗だけど・・・・」


「心配は無用だよ。ここで働いたことはあるし・・・・幾つか借りを貸している。それにボクは魔女だから、顔も利くだろう」


 蒼白の表情で露骨に焦るノエル。あまりの変わり身に違和感を覚えたエリクは、鋭い直感を働かせた。


「これは僕の勘だけどさ。・・・・もしかして財布を忘れたのかな?」


「・・・・」


 ど直球で図星だった。エリクの一言は的確にノエルの核心を突く。

 頰を赤く染めて俯くノエルに、エリクは優しい笑みを返す。


「ノエルって案外ドジなんだね」


「し、仕方がないだろう。私的な用事での外出は、久しぶりなんだから」


 羞恥心に顔を赤らめ、必死に抗議するノエル。

 言動と表情から察するに、慣れない外出なのだろう。


 ーーー彼女に悲しい想いはさせたくない。


 エリクはポケットに触れて所持金を確認する。非常時に備えて、先日ノエルから貰った給料の半分を持っていた。


「少し、いいかな」


「どうした?まさか、もう帰るなんて言い出さないよね?」


 瞳を潤わせるノエルにエリクは微笑んで、


「少しだけ、時間をもらっていいかい?寄りたい店があるんだよ」



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 エリクは出店でクレープを買ってノエルに手渡す。受け取ったノエルはそれを不思議そうに見つめていた。

 エリクは少し齧りながら、困惑するノエルを見やる。


「ノエルはこの食べ物を知らないのかい?」


「あ、ああ。薄い生地に何かを包んでいるが、これはお菓子か?見た目は美味しそうだが・・・・どうも齧り付くと汚れてしまうな」


 どう食べるのか、その難題について頭を悩ませるノエル。クレープ片手に、エリクは思わず苦笑する。


「そうでもないさ。まぁ、騙されたと思って、一思いに齧ってみなよ」


「わ、分かった」


 覚悟を決めたノエルは、口を大きく開けて齧り付く。

 クレープからクリームが溢れ出し、口回りをべっとりと汚す。しかし、口の中に広がる甘味を堪能するノエルは、気付かず食べ進める。


「・・・・これ、甘くて美味しい」


「喜んでもらえてよかった」


 ノエルは口回りを拭き取り、ペロリと指を舐め、エリクに尋ねた。


「君は色々な物を知っているね。その知識はどうやって培ったんだ?」


「前の国でよく見かける内に、自然と覚えただけだよ」


 賞賛するノエルの呟きに、エリクは正直に答える。


「案内する予定だったが、逆に奢られている・・・・。これじゃあ、ボクの方が案内されてるみたい・・・・」


 小声で呟くノエルに、聞き取れなかったエリクは小首を傾げた。


「どうかしたの?」


「な、何も言ってないよ!ただ、少しだけ趣旨がズレてる気がして・・・・」


 クレープを齧るノエルを見て、新たな疑問が脳裏に浮かんだ。

 好奇心に勝てなかったエリクは言葉を漏らす。


「今更だけどさ、ノエルって本当に魔女なの?」


「・・・・質問の意図が分からないんだが」


「僕の中で魔女ってのは、もっと悍ましい存在だと認知してたから。魔女自身に、ちょっと聞いてみたくてね」


「それは酷い偏見だ。見ての通り、ボクも一応女の子なんだよ」


 唇を綻ばせ、微苦笑してノエルは答える。


「童話や伝記では、魔女の存在は悪として描かれている。しかし、それは認識錯誤も甚だしいものだ」


「と、言うと?」


「誤解を訂正するなら、魔女とは優れた魔術師の肩書きに過ぎない。魔術を使える点を除けば、魔女といえど君たちと同じ人間だよ」


 ノエルの説明を聞いて、魔女の認識を改めるエリク。

 過誤した発言に猛省するエリクへ、ノエルが潤んだ瞳を向けた。


「そ、それよりも・・・・怒ってないかな?」


 やけにぎこちない様子で聞いてくるノエル。

 突然の質問に戸惑うエリクは問い返す。


「何でそんな事を聞くんだい?」


「それは、だね。ボクが俗世に疎いせいで、君に迷惑をかけていないかと・・・・」


 その疑問に対してエリクは率直な意見を返した。


「・・・・ノエルって律儀だよね」


「そんな事を言われても・・・・今回はボクの無知が招いた失態だろう?」


 ノエルはクレープの紙包みを握って、上目遣いでエリクを見上げる。


「・・・・だから、その、付き合ってくれてありがとう」


 ノエルは頰を緩ませ、屈託無くはにかんだ笑顔を見せた。


「さて、食事も済んだ事だし、改めて案内を再開しよう」


 ノエルは一歩先に足を進め、その場で数回跳ねる。

 ステップを刻んで先を行くノエルの仕草は、普段の彼女よりも少女らしく映った。

 振り返るノエルは悪戯っぽく笑い、


「まずは、そうだな。東側に向かってーーー」


 石畳の段差に躓いてバランスを崩した。


「危ない!」


 エリクは急いで手を伸ばし、倒れかけたノエルの細腕を掴む。

 白く柔らかい肌に手が触れ、エリクに高鳴る鼓動が伝わる。


 引き上げる勢いを利用して、ノエルは小柄な身体を寄せ、エリクに抱き着いた。


「ーーーぁ」


 甘く、蠱惑的で馥郁な香りが鼻腔を撫で、体温の上昇をエリクは自覚する。

 押し付けられる心地よい弾力が、布地の上から感じられた。


(ちょっと、む、胸が当たってる?!)


 彼女の熱っぽい吐息と喘ぎが鼓膜に届く。

 衝動に狩られる寸前の状態で、エリクは何とか理性を保つ。


「・・・・ボクは君に言っておかなければならない事があるんだ」


 エリクの胸に顔を埋めるノエルは、紅潮した顔を隠しながら呟く。


「実はね、ボク・・・」


 息を大きく吸い込んで、意を決して告白する。


「実は、ボクは、吸ーーー」


 ノエルが何かを告白しようとした瞬間、凄まじい轟音が言葉を遮った。


 尋常ではない衝撃が大地を震撼させ、激しい揺れに二人は倒れる。


「なんだ?何が起こっている?」


 エリクは鉄剣の柄に手を掛けて、ノエルは警戒心を強めて辺りを見渡す。


 巨大な何かが意図的に地震を起こしているのだ。

 繰り返される震動は次第に激しさを増していく。


 途端に揺れは収まり、静寂が辺りを支配する。


「止まった、のか?」


 エリクが立ち上がろうとした瞬間、轟音と共に外壁が吹き飛んだ。

 中級魔術や魔道具では傷一つつかない頑丈な外壁。長年国を守り続けた防壁が、塵芥の如く破壊されたのだ。


 吹き飛んだ外壁の瓦礫は城下町に降り注ぎ、逃げ惑う人間を悉く絶命させていく。

 崩壊に巻き込まれた人々は、物言わぬ屍となってその場に転げる。


 そして、その脅威は姿を現した。


 巨腕の一振りで外壁は瓦解し、巨大な何かを曝け出す。そこで、二人はその脅威を目にした。


「・・・っ」


 その姿は衝撃的で、あまりの恐怖に嘔吐感を呼び起こす。


 巨体を覆う朱華色の鱗は逆立ち、強靭な生爪は建物を容易に破壊する。巨大で歪な双翼を広げ、混乱する人間を俯瞰している。


「な、なんで・・・」


 紅玉のような双眸がノエルを射抜く。

 人々の叫びや阿鼻叫喚は、最早聞こえはしなかった。


 そして、エリクはその生物の名を口にする。


「ーーーどうして、こんな場所に竜(ドラゴン)がいるんだ!」


 生き物という概念の範疇を逸脱した存在。


 生態系の頂点に君臨する生物。


 ノエルの叫びに、朱華の総身と真紅の瞳を滾らせる巨竜は、応える様に咆哮した。

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