第七話 「遺跡の最深部」
長い螺旋階段を降りて、エリクとアンリは草木が生い茂る森林の中に出た。濃霧が掛かっており、視界が悪化する。
振り向いて確認すると、背後には階段が存在している。
この森林は古代遺跡の地下で間違いないようだ。
「この階段長かったですねーーーって、あれ?」
左右前後を見やるが、二人の姿が見当たらない。先頭を歩いていたノエルとイリスが突如姿を消した。
「・・・・二人がいない」
エリクは今起こっている出来事が全く理解できなかった。
四人で配列を組んで階段を下っていた。なのに、地下に降り立った瞬間、二人は姿を消したのだ。
アンリは現状を分析して、冷静な口調で説明する。
「多分、二人は別の場所に転移させられたのでしょう。この階はより一層空間が歪んでいますからね」
空間歪曲とは、まさにこの事象を表すための言葉だ。
「魔素が濃いという事は、もうじき遺跡の最深部に到達する予兆です。このまま進めば、その内二人と合流できますよ」
見知らぬ場所で分断された場合、合流を急ぐよりも目的地を優先した方が、最終的に合流できる可能性が高い。
エリクとアンリは薄暗い一本道を歩き始める。
遺跡の地下とは信じられないまでに、完全な森の中。
「地下に自然が存在するなんて・・・。不思議な光景ですね」
「魔素の影響で草木が急速に成長したんでしょう。濃い魔素は生命に強く干渉しますから」
「空間を捻じ曲げたり、自然を作り出したり・・・魔素って凄いです」
「魔素は世界を構成していますし、魔術を使うために必須なんですから」
何気ない会話をしながらエリク達は獣道を進む。
アンリの博学な話を聞き終えて二人は沈黙する。
魔素というキーワードで魔術を想起したエリクは、以前から抱く疑問を投げ掛けた。
「・・・・僕にも魔術って使えるんですかね?」
「可能性はありますが・・・・ふむ、エリク君は魔術を使ってみたいんですか?」
「ええ、まあ。使えたら便利だなぁ、と思ってました」
ノエルやアンリの魔術を使う姿を見て、沸々と湧き上がる魔術師への憧れ。
以前から少し興味を引いていたのだが、素直に教えを請う事が出来ず、今の今まで引きずってきたのだ。
「上級魔術は無理ですけど、初級魔術なら可能だと思います。何なら一度、試してみますか?」
「試すって具体的には何をすればいいんですか?」
「魔術の復唱ですよ。初級魔術の基本となると、『
アンリの誘惑を断りきれず、エリクは魔術の起動を試みる。
『火球』とは銘からして火属性の魔術のようだ。
魔術起動に必要な小節をアンリが教え、少し離れた位置から見届ける。
「全身を巡る魔力の流れを自分の意思で操作するんです。エリク君、イメージしてください。掌から小さな火の球を出す感じで、魔力を収束してください」
「イメージ、イメージですか。掌に収束するイメージ」
アンリの指示に頷き、エリクは片手を前に翳す。
目を瞑ると身体中を隈なく流れる、魔力の奔流を感じられた。脳内から全身の魔力回路に指示を下し、掌に魔力を一点集中させる。
「ええと、燃え盛る火炎よ、業火となりて焼き尽くせ『火球』!」
プスン、と虚しい音が掌から放たれる。
その後、エリクの想像した火球は出ず、ただ恥を晒す結果となった。
「発動、しない」
「客観的に見ても、結論から言っても完全に完膚なきまでに失敗ですね」
「そこまで言わなくても・・・・さすがの僕も傷付きますよ」
満面の笑みで結論を述べるアンリに、エリクの魔術師への夢は粉々に砕かれる。
慣れない事はやるものじゃない、とエリクは後悔した。
「アンリさんやノエルには使えて、僕には使えない。結局のところ、魔術の才能は何で決まるんですか?」
「適性の高さや魔力回路の機能が才能の有無を左右します。使用する術式の属性は得意不得意がハッキリ区別されるんですよ」
アンリの要約した魔術講座を受けて、魔術への関心を深めるエリク。
いずれは魔術を習得する、などと決意しながらアンリの話を聞き入った。
「例えば」とアンリは続けて、
「ノエルなら氷属性の魔術、私なら闇属性の魔術を得意とします」
「なら、得意不得意は何で判断するんですか?」
「難しい質問ですね。それは体内を巡る魔力の性質です。私なら闇属性に最も変換しやすい魔力の性質を持っていたり、人それぞれ違います。それこそ何千の種類が存在しますよ」
エリクは気難しい内容を耳にして、魔術は奥が深い事を理解する。
そこでアンリは手を合わせて、
「何なら私が稽古をつけてあげましょうか。エリク君はいい筋いってますし、一年も修行すれば初級魔術程度ならーーー」
気の遠くなるアンリとの会話は途中で途切れ、二人は即座に周囲を見渡す。
「この話は後にしましょう。どうやらお出迎えのようです」
木々の隙間から鋭い視線が突き刺さる。
木陰から姿を現したのは、人型の魔獣。身体中に頑強な鱗を纏う、細長い手足を持つ
剣を握る者もいれば、鎧を身に付ける者もいる。大きな盾を持つ者もいれば、杖を掲げる者もいる。
様々な武具を取り、蜥蜴人間はエリク達の前に立ちはだかった。
「蜥蜴人間にしては多くないですか?」
「明らかに異常ですね」
あっという間に四方八方包囲された。片手剣を振り回す蜥蜴人間がアンリに飛び掛かる。剣を抜いたエリクが強く弾き、魔獣の腹部を切り捨てた。
大群の後方に待機する蜥蜴人間が片言で魔術を紡ぎ始める。
「・・・・っ!」
初球魔術『火球』。魔術によって生み出された火球が正面から迫る。
エリクは回転の勢いを利用して一気に火球を両断した。剣の風圧で爆風を斬り払う。
「牽制しますよ、『幻想の具現化』」
上空に創生された鉄矢。降り注ぐ鏃の雨が蜥蜴人間を襲う。
蜥蜴人間は各々の武器を器用に使って鏃の雨を防いだ。
「私達二人だけじゃ、この数は殲滅仕切れませんよ」
「・・・・僕に策があるんですけど、乗りますか?」
「はい。私はエリク君を信じますよ」
魔獣が警戒して距離を取っている間に、エリクとアンリは息を整え、
「今です」
「『照光』」
エリクが叫ぶと同時に周囲を極光が埋め尽くす。反応が遅れた蜥蜴人間達は喚き声を上げて両目を押さえた。一時的な失明状態に陥らせ、魔獣の視覚を奪う作戦だ。
「道は僕が切り開きます。安心して前に進んでください!」
次なるエリクの叫びに、二人は全力で走り出す。
エリクが蜥蜴人間を斬り伏せ、道を作る一点強行突破。
的確に魔獣の命を刈り取る一太刀。
目を瞑ろうとも、エリクには気配が察知できる。熟練の勘と豊富な戦闘経験が成せる技だろう。
光が収まる時には、二人は包囲網から抜け出していた。
エリク達を追跡する蜥蜴人間の大群。
「地下へと続く入り口に滑り込めば、私達の勝ちです」
地下に繋がる階段は安全地帯であり、魔獣達は寄って来ない。
不確かな獣道を踏み締めて、未だに見えない入り口目指してる疾走した。
呼吸は酷く乱れる。濃霧は視界を霞ませ、方向感覚を狂わせる。
背後から飛んでくる魔術を防ぎながら、二人は立ち止まらず走り続けた。
「あっ」
足元の石ころに躓き、アンリは膝から転ぶ。しかし、魔獣達は容赦なくアンリを集中攻撃する。
蜥蜴人間の放つ弓矢は少女目掛けて一直線に飛んできて、
「はあっ」
駆け戻ったエリクによって全弾撃ち落とされた。
アンリの手を引き再び走り出そうとするが、膝を強打したアンリはすぐに立ち上がれる状態ではない。
刻一刻と魔獣は迫っている。
エリクはアンリに腕を回し、小さな身体を背負って駆け出した。
「さ、行きますよ」
「私なら大丈夫ですから、気にせず先に行ってください。後で追いつきます」
「それはダメです。魔獣の群れの中に貴方を一人残すなんて・・・・僕にはできません」
エリクは笑いかけて前を指差す。
「もう少しで着くはずです。諦めずに頑張りましょう」
速度を緩めないまま、エリクはとにかく走った。込み上げる不安を押し殺して、今にも止まりそうな足を叱咤して、大地を強く踏み込む。
そしてついに、アーチ型に入り口を発見。
最後の力を振り絞って入り口に飛び込んだ。
二人が安全地帯に入った途端、蜥蜴人間達は諦めて森に帰り始める。
「なん、とか、逃げ切れたぁ」
螺旋階段に座り込むエリクとアンリ。
エリクは袖の裾を破り、アンリの傷口を塞ぐように覆った。
この場凌ぎの応急処置に過ぎないが、多少の止血効果は期待できる。
「これで少しは痛みは和らぎます」
「ありがとうございます。でも、もう大丈夫です。ほら、立てますから」
蹌踉めきながらアンリは立ち上がり、階段を数段降り始めた。
少し降りたところで、アンリは分断された二人の安全を懸念する。
「・・・・ノエル達は大丈夫でしょうか」
「あの二人ならきっと無事ですよ」
どこか哀愁漂うアンリの背中を見て、唐突に喉から声が突き出す。
「・・・・ノエルとアンリさんって長い付き合いでしたよね」
「ええ。腐れ縁とも言いますか、ノエルとは昔馴染みの仲ですからね」
微かに遠い目になって、アンリは天を見上げた。
「家の中を駆け回ったり、語呂合わせをしたり、あの頃はよく遊んだものです」
聞いているだけで微笑ましい。仲睦まじいアンリとノエルの姿が容易に想像できた。
「本当に幸せな時間を過ごしました。いつも、
「
どこか悲壮を含んだ表情を見せるアンリ。
エリクは何度か瞬きして聞き返すが、
「ノエル達は今も最深部に向かって進んでいます。私達も行きましょうか」
アンリは先々と階段を降りていった。
階段を降りた先には広間な空間が広がっていた。
石材で造られた天球上の大部屋。壁や床には古代魔術の紋様が大量に刻まれている。
部屋の最奥には長方形の巨大な石板。盤面には奇妙な紋様がびっしり彫り込まれている。
そして、その真下には小さな祭壇が見えた。両脇にはノエルとイリスの姿もある。
「やぁ、君達も無事到着したようだね」
「はい。何とか」
感動の再会を得て、エリクは全身から力を抜く。
眼前の巨大な石板を見上げ、アンリは感嘆の声を漏らした。
「それで・・・・この石板は一体何なんだい?僕には全く分からないんだけど」
祭壇の神聖さと石板の存在感に圧倒され、呆気を取られるエリク。
「祭壇に神像・・・・この場所は祭儀場か何かだろう」
宗教崇拝、先人には神を崇める風習が存在した。
先人達は宗教に属し、一部の神を信仰の対象にしていたのだ。
「詳しく調べたくはあるが、ボクらの目的はあくまで遺跡の調査。進行経路や遺跡内部に情報を伝えるだけだ」
石板の碑文を指でなぞり、ノエルは口惜しそうに呟く。
調査自体の成果は十分だ。今すぐに報告しても問題はない。
「色々な災難に苛まれたが依頼は終了だ。みんな、お疲れ様」
羊紙に調査結果を書き記し、四人は階段の入り口へ歩き出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
国王勅令の遺跡調査が完了した深夜。
涼やかな風に当たりながら、アンリは満天の星空を眺めていた。
「アンリ、君も目が冴えて眠れないのか?」
突然、聞き慣れた女性の声が背後から掛かり、アンリは肩を震わせる。振り返った先のノエルと視線を合わせ、アンリは苦笑しながら答えた。
「困りました。今日の依頼の興奮が引かなくて、なかなか寝付けないんですよ」
「ボクも同じ理由さ。もう子供じゃないのに、ね」
少女の眉が微かに哀しげな皺を寄せる。
「これと言った話題もないし、今日の依頼について話そうか。エリク君の仕事っぷりはどうだった?」
「何の問題もありませんよ。強いて言うなら頼れる男の子って感じですかね。魔獣相手に守ってくれましたし」
「エリク君は誰にでも優しくて強い、やっぱり彼は彼だね」
顔を俯けたノエルは弱々しく婉然と微笑した。
一拍開けて「さて」とアンリは言い、
「前置きはこのくらいにして、早く本題に移りましょう。何の要件もなく、貴方の方から話し掛けるとは到底思えませんが?」
「まさか、気付いていた?」
「当たり前です。何年間の付き合いだと思っているんですか」
ノエルは黒い三角帽子を外して、銀色に輝く長髪を靡かせる。アンリは少女の意図を汲んで発言を慎む。
数秒間、瞑目して覚悟を決めたノエルはうっすらと目を開いた。真紅の瞳からは少女の強い意志を感じる。
そして、少女は口を開いた。
「ボクから頼みがあるんだ。これはーーー親友の君にしか頼めない事なんだ」
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