第五話 「古代遺跡の調査依頼」

 

 リンブルグ王国 城下町。


 そこから少し離れた場所に小さな屋敷が存在する。その屋敷の応接室にエリクと客人は対面していた。


頭を覆うローブを外し、黒髪黒眼を晒した少女ーーーセリナは席に腰を掛ける。


 第四皇姫セリナ・クロフォードは厳秘機密を伝えるため、自らが出向いて来たのだ。


「いつも足を運んでもらって悪いね」


「別に気にしなくていいから。こっちの方が落ち着くし・・・・何より私が来たくて来てるわけだからね」


 セリナは隣国の国王や各地の領主の協力を仰ぎ、リンブルグ王国の国主を撃つ計画を画策。総勢五千に及ぶ兵力と三十人の魔剣士を集め、リンブルグ王国に攻め入る策略を企てている。


「計画は予定通りに進んでる。この調子だと七日後には決行するかな」


「うん。分かった」


 セリナの報告を耳にしてエリクは軽く頷く。大方、順調に事が運んでいるようだ。


「・・・・僕も覚悟が決まった」


「じゃあ、兄さんも一緒に戦ってくれるのか。これで百人力だね」


 その返答を聞いたセリナは口を綻ばせた。

 エリクは指を一本立てて念を押すように言葉を口にする。


「そのかわり、約束は守ってもらうよ」


「兄さんの考えは分かってる。・・・・けど、やっぱりその戦法はやめた方がいいよ。もっと安全な方法なら他にもあるし、何より危険を背負ってまで戦う必要はないって」


 小首を傾げて提案を進めるセリナをまっすぐ見つめて、エリクは頭を横に振った。


「それじゃあ、意味がないんだ」


「何でそこまで固執するの?兄さんも見てきたはずだよ。軍の人達が老若男女問わず、無辜の国民を暴虐に扱い、鏖殺するあの惨劇を。私達にやり返されても、奴らには当然の報いだよ」


「彼らだって望んで人殺しをしているわけじゃない。忠義のために嫌々武器を取って戦っているだけなんだ」


「はぁ・・・・。昔から兄さんは変わらないね」


 セリナは深く溜息を吐き、黒曜の瞳を向けてエリクの顔を見据える。


「その揺るがない覚悟には敬意を表する」


「それ、褒めてる?」


「褒めてる褒めてる。嘘じゃないよ。兄さんの事は心から尊敬してるんだから」


 聞き返すエリクに何度も頷き、誤魔化しながら微笑したセリナは昔話を始めた。


「兄さんは昔からすごい。齢十歳で軍の訓練に参加して、模擬戦の戦績は未だに無敗。魔剣士に昇格してから戦場の最前線で功績を残した。でもーーー」


 そこまで話して歯嚙みが悪くなる。

 窓から覗く王城を眺めながら、低い声音でセリナは続けた。


「でも、お父様はそれを認めなかった。積み上げた偉業を帳消しにして、第三皇子という権威を剥奪した。・・・・私はお父様のその横暴が許せない」


「一旦落ち着いて。父さんも僕の事を考えての判断だし、僕は名誉なんて欲しくなかったから」


「・・・・兄さんは優しすぎるよ」


「何か言った?」


「何でもない」


 発言が気に障ったのか、セリナは席から勢いよく立ち上がる。頰を膨らませてエリクに眼差しを傾けた。


「兄さんの気持ちは分かる。でも、軍の奴らに生きる資格はないって。奴らを生かしておいても犠牲が増えるだけだよ。本当にそれが兄さんの大義なの?一国の皇子として、一人の人間として悪行を断ち切るのが人道じゃないの?」


「・・・・それでも、僕は」


 言葉に詰まるエリクを見るや否や、セリナは振り返って扉の前まで移動する。


「僕はーーー」


「まだ言わなくていいから」


 咄嗟に発したエリクの発言を遮るように、セリナは口を開いた。不意の一言にエリクの瞳が揺れる。


「近い内にもう一度来るから、その機会に聞くとするよ」


「・・・・」


「兄さんの決断、期待してるから」


 その一言を残してセリナは部屋を後にした。


 部屋の中には静寂だけが取り残されていた。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーー



 意識は暗闇の世界を漂っている。


「ーーーーて」


 微睡みの中、自分を呼ぶ誰かの声がした。

 鈴のような彼女の声音は心地よく、微弱な振動と共に意識を現実に引き戻す。


「エリク君、早く起きて」


 寝苦しそうに寝返りを打つエリクの耳元で、ノエルの大声が鼓膜を叩いた。

 次第に意識は闇から浮上し、窓から差し込む陽光を浴びて覚醒する。


 目覚めたエリクは上体を起こし、ぼやける視界で部屋を見回す。見慣れた天井に真っ白な寝床、間違いなくエリクの自室だ。

 三日前から住み込みで務めている『お助け屋』の一室、現在のエリクの根城である。


 隣に視線を移すと、間近に迫るノエルの顔があって、


「おはよう」


「おはよ・・・・って、うわあああぁぁぁぁ!」


 顔を真っ赤に染めて叫び声を上げるエリク。ノエルはそんなエリクの反応を見て微笑する。


 ノエルが部屋の窓を開き、爽やかな風を呼び込んだ。森林を吹き抜ける風と動物達の鳴き声は、寝惚けた頭を覚ますには丁度良い。


「随分と魘されていたけど、大丈夫か?」


「心配ないよ。昔の夢を少し、ね」


 普段より一段と低い声音で話すエリク。心情を察したのかノエルは追求してこなかった。


「それで僕に何か用かな。確か今日は休日のはずだけど・・・・」


「騎士団の人達がやって来てね。交渉の場に君にも付き添っていて欲しいんだ」


「分かった。急いで着替えるから先に行っててくれないかな?」


 突拍子もなく依頼が舞い込むことなど、『お助け屋』にとって日常茶飯事らしい。


「ちゃんと寝癖を直して、顔を洗って来るんだよ」


 そう言い残してノエルは部屋を出ていった。


 取り残されたエリクは汗で濡れた服を脱ぎ捨て、昨夜干していた私服を着込む。

 指示された通り鏡の前で髪を整え、冷水で顔を洗う。

 最後に二本の剣を腰に掛けて準備完了だ。


「さて、行くか」


 憂鬱な気分で階段を降りて客室に足を踏み入れる。それから室内の面々を見渡した。

 ノエル達の対面には鎧を纏う男が座っており、その両脇には二人の騎士が立っている。


「さて、全員揃ったようだし、これから交渉を始めようか」


 室内は張り詰めた緊張感で満たされた。


「グラン君、本日はどのようなご用件で?」


 グランと呼ばれた無表情な男にノエルの声がかかる。

 頬杖をつくノエルの先鋭な眼差しを受け止め、グランは懐から赤い羊紙を取り出した。


「先日発見された古代遺跡の調査を依頼したい。詳細はこの紙に記してある」


 差し出された羊紙と印の付いた地図を受け取り、ノエルは依頼内容に目を通す。


 赤色の羊紙は紙材の中で最も高価な用紙である。そのため、契約書や重要機密の伝令などに使われる事が多い。

 この依頼は少なくとも貴族か王族の案件の可能性が高い。


 読み終えたノエルは少し考え込み、怪訝げな表情をしながら確認を取る。


「一応確かめておくけど、これは国王の勅令かな?それとも騎士団のご要望かな?」


「無論、国王の名によるものだ」


 ノエルの追認にグランは厳かな声で断言した。依頼の重大さを理解したノエルがその場で唸る。


 後ろに控えるエリクは隣に立つアンリに小声で問う。


「あの、お相手の方は誰なんですか?」


 国王の代行を務める男性は側から見ても強者の騎士だ。濃厚な剣気を漂わせるグランは、相当な実力者とお見受けする。


 エリクの質問にアンリは丁寧に答えた。


「彼はティルファニア帝国騎士団団長。『炎帝』グラン・マーカスさんです」


「え、『炎帝』ですか・・・・」


『炎帝』。剣士の間ではかなり有名な人物である。

 最高クラスの魔剣を所持し、三つの大国を落とした功績を持つ。彼の一薙ぎは荒野を焼き尽くすと畏怖されるほどだ。


 エリクの存在に気付いたグランは高圧的な視線を向ける。


「初めて見る顔だな。格好からして剣士のようだが・・・・新入りか?」


「は、はい。僕はエリクと言います」


「エリク、か。覚えておこう」


 軽く言葉を交わしてグランは交渉に意識を切り替える。


 内容を確認したノエルの表情からは、普段の雰囲気が完全に消え失せていた。

 集中した彼女からはただならぬ気迫を感じる。


 ノエルは微かに笑い、鋭い眼光を浴びせグランに問い掛けた。


「この案件はボクらが請け負ってもいい。でも、正直意外だね。其方側で何か問題でも起こったのか?」


「何?」


 眉を顰めるグランにノエルは話を続ける。


「遺跡の調査は普段、騎士団が遠征をして行くだろう」


「ああ」


「国王に従順な君達が、勅令の依頼をボクら投げやるとは考え難い。ならば、君達の方で何か問題が起こっていると容易に予想が付く」


 一拍開けてノエルは結論を言い放つ。


「君達がボクらに依頼を寄越した時点で懸念は感じていた。情報を統制すれば、自然と答えに行き着くさ」


 涼やかな炯眼でグランを見据え、ノエルは結論を述べる。

 依頼を受ける前に出来るだけ不安は払拭しておきたいのだ。


「何か異変が起こっているんだね」


「勘が鋭いな。まぁ、依頼する身だ。そのくらいの情報提供は厭わない」


 頭を掻いたグランは淡々と事情を説明し始める。


「魔獣による被害報告が多発してな。現在、騎士団はその対処に追われている」


「・・・・」


「騎士団は国の防衛と魔獣の討伐で精一杯なのだ。他に回す兵力などない」


「ふむ」


 納得を含む感慨の声を漏らすノエル。


 最近、魔獣掃討の依頼が頻発しており頭を悩ませていたのだが、グランの情報で苦悩が一つ解消された。


「つまり、その魔獣の件で手一杯だからボクらに依頼を申し込むと受け取っていいのか?誤解があるなら訂正するけど」


「いいや、その通りだ」


 話を聞いたノエルの視線がグランに突き刺さる。意図を見透かすような、鋭い眼光でグランを射抜く。


 要は、遺跡の調査に防衛力を割きたくないから、魔女どもに丸投げしておけば万事解決、というのが国王の見解だろう。


「・・・・そうか」


 初めて交渉の場に居合わせたエリクは、その数秒が何時間にも感じられた。緊張が伝わり、精神が摩耗する。


 観念したように目を瞑り、羊紙をグランに見せて答えた。


「なら仕方がない。疑問はあるけど、その依頼はボクら『お助け屋』が責任を持って果たそう」


 しかし、交渉はまだ終わりではない。本題はここからと言ってもいいくらいだ。

 依頼を引き受けたのなら、それに伴い報酬の話が浮き上がるのは必然である。


「それじゃあ、報酬について話し合おう。君達はどんな物を提供してくれるのかな?」


「我が国が所有する魔石採掘場の採掘権、国王から与えられる報奨金と名誉だ」


 魔石とは魔素を含有する鉱石の結晶。熟練の鍛治職人が加工すれば、純度の高い結界石や魔道具を生産できるだろう。

 故に魔石の需要は高く、高値で売買の交渉ができる。


 報酬として文句はない。交渉は円滑に進んでいく。


「採掘権の有効期間はどのくらい?」


「二年と聞かされている」


(・・・・絶妙な期限だな)


 心中で国王の提案を賞賛するノエル。


 メリットとデメリットは常に打ち消し合っている。報酬の内容は利益が損害を上回った時に決まるのだ。


 魔石の使い道は無限大で、今や生活には欠かせない鉱石である。持っていても困る物ではない。


 国王は自国の利益を見計らった上で、此方側にも利益があるよう条件を提示している。

 実に賢い選択だ。


「あと一声って言っても何も出てこないか?」


「それを見越して国王から前金を預かっている。受け取れ」


 グランは金貨の詰まった革袋を机の上に置く。見るからに家を三軒は買える程度の金貨が入っている。


 受け取った革袋をイリスに預け、ノエルは手を差し出す。


「・・・・了解した。これで手を打とう」


「すまない。魔女のご誠意に感謝する」


 交渉は成立。握手を交わしてノエルは肩の力を抜いた。


 扉の前で立ち止まったグランはノエルに話を持ちかける。


「これは別件なのだが、話を伺ってもいいか?」


「構わない。話したまえ」


 ノエルの許可を得たグランは口を開く。


「最近、何か異常はなかったか?」


「異常、か」


 興味深げにグランの言葉を繰り返すノエル。


「その反応は何か知っているな?」


 グランはノエルの僅少な動揺を見逃さない。


 隠すべきではないと判断したノエルは、三日前に遭遇した魔獣について語る。


「三日前、依頼中に森の中でミノタウロスと出会したよ」


「ミノタウロスと森の中で・・・・。それで、その魔獣はどうなった?」


 ノエルを死の寸前まで追い詰めた怪物。頑強な魔力障壁を纏い、大剣を振り回す非常に危険な魔獣だった。


 エリクに視線を向け、本人の了承を得てグランに話す。


「エリク君が一人で難なく倒してしまったよ」


「そこの少年が、か。・・・・嘘は吐いていないようだな」


 覇気に満ちた慧眼でエリクを見据え、真実かどうか確認する。


「話はそれだけかな?」


「ああ。邪魔したな」


 グランはその場で頭を下げて客室から去った。


 ノエルは席から立ち上がり振り向いて指示を出す。


「すぐに準備をしてくれ。これから古代遺跡の調査に向かうよ」


 こうして古代遺跡の調査は幕を開けた。

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