第四話 「進撃のミノタウロス」

 


 その背中は俊風の如く現れた。



「・・・・えっ?」


 ノエルは素っ頓狂な声を上げ、唖然としながらその少年の背中に視線を向ける。


 人智を遥かに逸脱した速度で駆け付けた少年は、ミノタウロスの大剣を鉄剣で受け止めていた。

 氷の鎖を容易く破壊する怪力の一撃を鉄剣一本で制している。剣を傾けて威力を殺しているのだ。


 怪牛の斬撃を防いだ少年ーーーエリクは状況に整理がつかないノエルに優しく声を掛けた。


「大丈夫かい?」


「君は、一体・・・・」


「細かい話は後でいいかな?とりあえず今は安全な場所に移動しないと」


 大剣を横に弾いたエリクはノエルを抱えて森林に逃げ込む。

 逃すまいとミノタウロスは突進してくる。見え透いた逃亡を見逃してくれる相手ではないことくらい承知の上だ。


 いくら魔力で身体能力を強化していても、追いつかれるのは時間の問題である。

 最悪の結末を危惧したノエルはエリクに話を持ち掛ける。


「・・・・エリク君、ボクを置いて行け」


「何を言い出すんだ」


「ボクでは君の足を引っ張ってしまう。だが、君一人なら逃げ切れるだろう」


 ノエルの決死の提案にエリクは首を横に振った。


「・・・・僕は見捨てない。みんなで無事に生きて帰るんだ」


「君は状況が分かっているのか?ボクを見捨てれば生き延びられるんだぞ」


「それでも僕はノエルを守る。言っただろう、この剣は誰かを守るためにあるって」


 エリクは一歩も引かない姿勢を見せる。


「だから、僕は逃げない。そして、君を救ってみせる」


 ふっ、と口を緩めたノエルがエリクを見上げた。

 どうやら自分は彼の言葉に感化されてしまったらしい。


「君は本当のバカのようだ。・・・・だが、その言葉だけで少し救われたよ」


 エリクの言葉はノエルに僅かな希望を齎した。

 冷静さを取り戻したノエルはミノタウロスを分析する。


「今のままでは生存率が限りなく低い。何か策でもあるのか?」


「僕がなんとかするよ」


「・・・・うん?」


 聞き間違いかと疑ったが、エリクの表情が覚悟を物語っていた。

 足を止めたエリクは木の幹にノエルを預ける。


「僕がミノタウロスを倒す」


「君は死ぬつもりか?あんな怪物を相手に剣だけで挑むなんて無茶が過ぎるぞ」


 エリクの判断が受け入れ難いのか、ノエルは必死に引き留めた。

 驚異の計り知れない敵に挑むのは、不確定要素が多過ぎる。勝率の低い案には乗りたくない性格なのだろう。


「・・・・それでも、君は行くのか?」


「ここで僕が引く訳にはいかないからね。やるだけやってみるさ」


 心配するノエルに笑みを返したエリクは優しく頭を撫でた。


 ノエルから少し離れた場所で腰に掛かる鉄剣を引き抜き構える。


 低い体勢で疾駆するミノタウロスの姿は、まさに猪突猛進。

 途轍もない質量を秘めた突進は、エリクの五臓六腑に衝撃を走らせる。


「ぐっ・・・・」


 全身に奔る激痛を噛み殺し、勢いを流して突進を止めてみせた。

 勢いを殺されたミノタウロスは体勢を整えるために飛び離れる。


「強力な一撃だったけど、もう僕には当たらないな」


『GYYYYAAAAaaaaaa!!!』


 剣を構え直して出方を窺うエリクに、ミノタウロスは咆哮を上げて襲い掛かる。


 全力で振り下ろされる大剣は、真正面から受け止めれば砕け散るのは必然だ。


 剣筋を見極めたエリクは、鉄剣を斜めに傾け、大剣を受け流した。剛撃は大地を砕き、地盤を揺るがす。


(ここっ!)


 脇腹を切り裂く想いで剣撃に全体重を乗せる。が、エリクの覇気を込めた一撃は、金属とぶつかり合ったような甲高い音を立てて弾かれた。


「これって・・・・」


 鋼を打ったような感触。エリクには一つ思い当たる節があった。


 路地裏でアンリが物盗りの拳を弾き、ノエルがミノタウロスの剣撃を防いだ不可視の壁、魔力障壁である。ミノタウロスは全身に魔力障壁を纏っているのだろう。その仮説なら魔術を真っ向から耐えた事実と、斬撃が弾かれた事実に合点がいく。


(さて、魔力障壁にはどんな手段が有効だったか)


 ミノタウロスに傷を与えるには、魔力障壁を破り、皮膚に刃を届かせる必要がある。


 エリクは知識を総動員させて対抗策を練る。


「確か魔力は魔力で相殺できるはず・・・・」


 鉄剣に魔力を流し込み、切れ味を増幅させた。

 力任せに振り回される大剣をいなし、魔力を施した剣で剣撃を見舞う。

 十の剣閃はミノタウロスの魔力障壁を破り、巨体に切り傷を刻むが致命傷には至らない。


『GYYYAAAaaaa!!』


「はあああぁぁぁ!」


 剣と剣が激突を繰り返す。

 ミノタウロスが繰り出す大剣の重撃を、エリクは横殴りの一撃で軌道を逸らした。

 圧倒的な剣速が織り成す斬撃の乱舞。巨大な図体に鈍重な武器を持つミノタウロスは対応しきれない。


 頑強な魔力障壁を貼り直し、エリクの斬撃から身を守る。


「そろそろかな」


 無数の斬撃を浴びたミノタウロスは、大量の出血で動作が鈍くなる頃合いだ。

 高速の蓮撃を叩き込み、魔力障壁の耐久力を削っていく。


「悪いね。僕も死ぬ訳にはいかないんだ」


 突き出したエリクの鉄剣は、魔力障壁を砕いてミノタウロスの喉笛に突き刺さる。深々と突き刺さった剣を両手で握り、全力で振り下ろした。


 喉を貫かれたミノタウロスは大きく仰け反る。

 刀身に付着した鮮血を振り払うと同時に、ミノタウロスは地面に倒れ伏せた。


「久々の戦闘だったけど、なんとか終わったかな」


 怪牛の巨大は塵と化し、風に巻かれて消えていく。その場にはミノタウロスの存在はなく、煌々と光り輝く魔石が残されていた。


「君は・・・・何者なんだ・・・・?」


 振り向いた先には、木に寄り掛かり呆然とするノエルの姿。一人で歩ける程度には魔力が回復したようだ。


「一部始終は見させてもらった。無傷でミノタウロスを倒すなんて・・・・君は一体何者なんだ?」


「そういえば名乗っていなかったね。僕はエリク・クロフォード。改めてよろしく」


「エリク・・・・クロフォードだって?!」


 本名を聞いたノエルは数秒間停止し、声を荒げてその名を叫んだ。


「黒髪黒眼にクロフォードと言えば、王族の血筋じゃないか!」


「リンブルグ帝国は七年前に滅びてね。今はただの一般人だよ」


「でも、あの戦争でクロフォード家は滅びたはずじゃ・・・・」


 整理がつかないノエルに、エリクが補足を加える。


「僕は幼少の頃、別居していたから、その場には居合わせていないんだよね」


 場を和ませようと無理矢理笑ってみせるエリク。

 苦笑するエリクに、ノエルは顔を赤らめて、


「どうしてボクを助けてくれたんだ?」


「えっ?」


 唐突にエリクの真意を問うた。


「一人でミノタウロスに挑むなんて自殺行為だ。場合によっては死んでもおかしくなかった。それなのに何で、ボクを助けてくれたんだ?」


 俯きながらノエルは聞いてくる。

 疑問だった。何故出会ったばかりの人間を、命を賭してまで助けるのか。


 困ったように頭を掻いたエリクは正直に答えた。


「咄嗟だったからあまり覚えてないけど、考えるよりも先に体が動いてたんだ。僕が助けなきゃって思ったから」


「・・・・不思議な人だね、君は」


 返答を聞いてふっ、と笑みを溢すノエル。

 エリクはノエルの瞳を見つめて言葉を紡ぐ。


「バレたら面倒だからさ、僕が王族である事は秘密にしてくれないかな」


 知られてはいけない事実。

 ノエルを信頼するからこそ、エリクは真実を打ち明けたのだ。

 その気持ちを裏切ってはならない、とノエルは心の底から思った。


「分かった。魔女の名にかけて他言しないと約束しよう」


 互いの小指を絡めて約束の言葉を口にする。

 彼女が抱いていた警戒心は消え、信用に変わりつつあった。


 ノエルは「ちなみに」と続けて、


「ボクが約束を破った場合、君自身に針を千本飲む呪いが発動するから覚悟してくれ」


「・・・・えっ?聞いてないよ・・・・」


「ふふ。軽い冗談さ」


 一瞬、本気で信じてしまった。

 本物の魔女の冗談は嘘か真か見分けがつかない。笑っていないノエルの表情が信憑性を増している。


「それと・・・・助けてくれてありがとう。君はボクの恩人だよ」


「ど、どう致しまして」


 上目遣いで率直に感謝を述べるノエル。心から笑う純粋な少女の笑顔を直視できず、気恥ずかしいエリクは視線を逸らす。


 頰を赤く染めたノエルが、下を向いてぎこちない口調で呟くが、


「た、戦っている君の姿は、その、か・・・・」


「か?」


「かっこよかーーー」


「やっと見つけた」


 それは合流したイリスの声で掻き消された。

 両手には破裂しそうな袋を抱えている。袋の中身は回収したガルフの魔石だろう。


「さっき何か言ってなかった?」


「な、何も言ってない。イリス、行くぞ」


 慌ててノエルに聞き返すが、彼女は顔を背けて先々森を進んで行く。


「ちょっと待って」


「早く帰らないとアンリが心配するだろう。エリク君も早く」


「だって、そっちは真逆の方角だよ」


 エリクに真実を告げられ、途端にノエルは足を止める。


「・・・・」


 指摘を受けたノエルは、顔を耳まで紅潮させながら颯爽と戻ってきて、


「誤解を訂正するけど、偶々間違えただけだよ。本当の本当に偶然だからね」


 自分の勘違いを必死に訂正するのだった。

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