第三話 「異常事態発生」

 

 三人が降り立ったのは、集落付近の森の中。


「幾つか結界石が切れているね」


 エリクが指摘した結晶は大樹に埋め込まれた結界石だ。起動している結界石はあるが、点滅している物や光を失って機能しない物もある。


「まずは結界を貼り直そうか。村人の安全を最優先にしないと」


 村人の安全を考慮したノエルは、両手を前に翳して詠唱を開始。掌には青光る光球が出現し、それと共鳴して結界石は光輝く。

 森全体を青白い極光が満たして結界の再構築、結界石の魔力補充は終了した。


 次第に光は弱まり眼前の結界石に目を見やると、眩い光を灯して輝いている。当分消える気配はない。


「今ので終わったのかな」


「結界の効力を平常値に戻しただけだから、油断は禁物だよ」


 未だに魔獣の気配は感じない。結界が正常に作動しているおかげだろう。

 振り向いたノエルは平然とした口調でエリクに問い掛けた。


「仕事を始める前に一つ問いたい」


「何かな?」


「この依頼は危険を伴う。そこで君には選択する権利がある」


 指を二つ立てて指折りながら選択肢を告げる。


「このまま先に進んでボクらと魔獣の掃討をするか、この場に残ってボクらの帰りを待つか。今ならまだ引き返せるが、君はどうしたい?」


「僕は・・・・」


 二つ目の選択肢はノエルの温情である。彼女はエリクの身を案じて選択肢を追加したのだ。


 突然の質問に困惑するが、答えは既に決まっている。


「僕は逃げるつもりなんて毛頭ないよ。村の人困っているなら助けたい。僕の剣は誰かを守るためにあるんだから」


 判断に迷っている暇はないし、怖気付いても仕方がない。


 エリクの瞳には揺るがない覚悟が宿っていた。


「いい答えだ」


 返答を聞いて安心したノエルの口元が綻んだ。


 結界の境界線を超えて外へ出た三人は、木の幹に刻まれる爪痕を発見した。


「魔獣の爪痕かな?」


「爪痕から推測するにガルフが適当だろう。恐らくここら一帯はガルフの群生地となっている」


「私もそう思う」


 ノエルの推測にイリスも同意する。


 魔獣 ガルフは集団で行動する凶暴な狼だ。

 黒い毛で覆われた体をしており、鋭利な鉤爪は容易に肉を切り裂く。個だけなら大した強さではないが、驚異なのはその数の多さだ。

 繁殖能力の高いガルフは数が異常に多い。ガルフの大群となれば、小国家の騎士団に匹敵するほどの戦闘力を持つ。


 無造作に杖を振り上げたノエルは無詠唱で魔術を起動する。


「『音響エコー』」


『音響』は超音波の反響によって空間や物体の位置関係、生体反応を把握する初級魔術だ。

 音弾はノエルを中心に水紋状に広がり、森中に潜む魔獣の総数を探知する。


「数は約二百体。これは手間がかかりそうだ」


 多勢に無勢。二百体を一気に相手にすれば無事では済まない。

 敵は二百体の大群だというのに二人の余裕は変わらない。


 突然、先導するイリスが足を止めた。


「魔獣の匂い、近付いてくる」


 敏感な嗅覚を持つイリスが最初に反応した。徐々に獣臭は強まり、鼻腔を刺激する。


 茂みを荒らし、大地を蹴る猛獣と目が合った。

 人間の侵入に気付いた魔獣が三体、こちらに向かって走って来る。


「イリス、一人で大丈夫かい?」


「全然余裕。どんと来い」


 大きく開いた口から涎を滴らせ、血走った双眸は三人の姿を捉えている。

 イリスはガルフの前に躊躇なく飛び出した。


 エリクは咄嗟に腰に手を回すが、ノエルは魔術を使用する素振りを見せない。よっぽど助手を信頼しているのだろう。


 ガルフは発達した膂力で跳躍し、イリスに飛び掛かる。

 イリスは緩やかに腕を引いて、


「やぁっ」


 突き出された拳打はガルフの頭部を容易く粉砕した。爆ぜた頭部から血飛沫がばら撒かれ、イリスは頭から鮮血を浴びる。

 残る二匹は一蹴されて大樹に激突。全身から鮮血が噴き出す。


「すんすん」


 匂いを嗅いで状況を確認するイリス。


 木陰に隠れていたガルフは死角から迫るが、五感が人一倍優れているイリスには見えた攻撃だ。

 魔獣が噛み付く直前、イリスの右拳が頭上から撃墜し、直撃した頭蓋が陥没し大地に叩きつけられる。


「つ、強い・・・・」


 目の前に散らばる無残な肉片に唖然とするエリク。


 一撃で魔獣を肉塊に変える怪力。人智を逸脱した身体能力に並外れた反射神経。

 四体の魔獣を瞬殺したイリスの戦いぶりに絶句するしかない。


「えっへん、もっと褒めろ」


「イリスは竜人族の中でも一、二を争う実力の持ち主だ。ガルフ程度に苦戦はしないさ」


 腰に手を当て発育の良い胸を張るイリス。ノエルが信頼するのも頷ける。


 新たなガルフの群れが散開し、三人の周囲を囲んだ。ノエルは辺りを一瞥して魔獣の様子を窺う。

 四体の同士を失った魔獣はじりじりと距離を詰め、瞳にはより強い警戒心を滾らせている。


「このまま倒しても効率が悪いな」


 黄昏に染まる西の空を見てノエルは呟いた。

 太陽は傾き始めている。夜になれば森全体は暗闇に包まれ、依頼は難航してしまう。


「で、どうするんだい?」


「ここは二手に分かれよう。僕とエリク君は右側を、ノエルは左側を担当してくれ」


 今後の方針を固めたところで三人は息を合わせる。

 魔獣が先手を打つ前にノエルが大声を上げ、


「ーーーいくぞ!」


 その掛け声を合図に、砲弾の如くイリスは走り出した。

 声を上げたノエルに向かって三匹のガルフが先陣を切る。魔獣は唸り、宙に身を乗り出した。


 素早く柄に触れたエリクは鉄剣を引き抜いて横薙ぐ。風を切る音と共に魔獣の胴体を両断した。


 上空には大量の魔法陣が出現し、凍える冷気を放っている。


「八寒地獄の凍土を顕現せよ、氷雪三章『氷裁ネフィリム』」


 射出された二十の氷槍は魔獣の心臓を悉く貫いた。


 その魔術を見たエリクは感嘆の声を上げる。


「汎用魔術じゃない・・・・自作の魔術かい?」


「ご名答。通常の魔術は無駄に魔力を消費するからね」


 戦地に赴いた時に魔術を見物したが、ノエルの使用する魔術は見た事がない。


 エリクが魔獣と対峙している間に、ノエルは魔法陣に魔力を注ぐ。魔法陣は燦然と輝き、灼熱を発している。


「天蓋獄炎の紅蓮を顕現せよ、烈火五章『炎滅オベイロン』」


 詠唱を終えたノエルが杖を振り下ろした。

 火球は大気を焼き焦がし、ガルフの密集地帯に着弾。ノエルの巧妙な魔力操作で焔は魔獣だけを焼き尽くす。獣は灼熱の業火に焼かれ、断末魔なく悶え崩れ落ちた。


「ふっ」


 エリクは器用に剣を持ち替えて魔獣を袈裟に斬る。


 ノエルからして、エリクの腕前は大したものだ。研鑽された剣技は一閃で魔獣の急所を切り捨てる。

 天賦の才能はもちろん、剣撃からは弛まぬ努力の跡が見られた。


 魔獣を切り裂くエリクを傍目にノエルは違和感を覚える。


(空気中の魔素マナが騒めいている。嫌な予感がするな)


 大気中の魔素が不規則な動きを見せ始めたのだ。


 エリクが斬ったガルフを最後に、魔獣の姿が見当たらない。

 二人が掃討した魔獣の総数は五十体程度。二百体には遠く及ばない。


 異変を伝えるべく口を開くが、


「エリク君、何かがーーー」


 おかしい、とは続かなかった。


 側頭部から数ミリ先を黒い影が通過する。ノエルの真横を銃弾のような速度で魔獣の死体が通り抜けたのだ。

 避けられたのは奇跡か、運が良かったのだろう。


 エリクはノエルに駆け寄り、無事を確認して安堵の溜息を吐いた。

 喜ぶのは束の間、大きな足音が近付いてくる。木々を薙ぎ倒し、前進する巨大な人影。


「っ?!」


 怪物の鳴き声と待望にノエルの表情が驚愕に揺れる。常人なら恐慌状態に陥り、発狂していたに違いない。恐怖を押し殺して怪物を観察する。


 人間の二回り以上の体躯を持つ怪物だった。強靭な肉体に筋肉質な足を持ち、片手には巨大な大剣が握られている。


「あれは、まさか・・・・」


 頭部から二本の角が生えており、明らかに異質な形状をしている。


 これらの情報を統率して思い当たる魔獣は一体しかいない。


「まさか、怪牛ミノタウロスか?!」



 牛頭に巨躯の人身を兼ね備えた存在、怪牛ミノタウロスが二人の前に立ちはだかった。



「何でミノタウロスがこんな場所に・・・・」


「狼狽えても仕方がない。早く武器を構えるんだ」


 エリクは剣を構え、ノエルは魔法陣を展開する。


 本来ミノタウロスは迷宮の奥に潜む魔獣である。何らかの異常事態が発生して、迷宮から逃げ出してきたのか。


『GYYYYAAAAaaa!!』


 怪物の叫びは森全体を震撼させる。至近距離にいたエリクとノエルは瞬時に耳を塞いだ。

 爆音は脳を揺らし、視界に映る世界を変動させる。鼓膜が破れなかったのは不幸中の幸いだった。


 エリクは振り下ろされた大剣を受け止めるが、威力を逃がしきれず後方に吹き飛ばされる。

 土壇場で受け身を取り致命傷は避けたものの、大樹に背中を強打して咳き込む。


「いっつつ」


 単純な腕力ならばイリスにさえ引けを取らない怪力だ。


 ノエルは五つの魔法陣を上空に展開し、早口で詠唱を開始する。


「森羅万象の神秘を顕現せよ、白虹一章『虹龍ネレイース』」


 業火の爆炎が、聖水の濁流が、疾風の斬撃が、閃光の紫電が、氷結の氷塊が一斉に射出された。

 五属性の魔術は爆発を起こし、粉塵を巻き上げる。


「やったか?」


 渾身の魔術に淡い期待を抱くも、目の前には悠然と佇む怪物の影。

 ミノタウロスの形容に一切傷は無い。魔術が完全に効いていない様子だった。


(魔術が通じていないのか?!)


 立ち止まっている暇はない。振るわれる大剣を横に回避し、新たな魔術を起動する。

 ミノタウロスの足元に設置された四つの魔法陣が煌めいた。


「八寒地獄の凍土を顕現せよ、氷雪五章『氷縛ウィンディゴ』」


 ミノタウロスの突進は驚異となる。ならば、手始めに相手の足を止めることが得策だ。


 飛び出した氷の鎖は怪牛の四肢に巻き付き、機動力を封殺する。魔女の魔力で編まれた鎖は簡単に断ち切れる代物ではない。


『GYYAAaaa』


「その程度か」と嘲笑うミノタウロス。

 全身に力を込めた怪物は怪力だけで鎖を破壊してみせた。


(魔術は通じない。早急に別の手段を取らないとな)


 魔術を放っても無意味だと確証を得たノエルは、一矢報いる方法を思案する。脳内回路を極限まで活用して、勝利へのイメージを描く。


 体外が無理なら、体内はどうだろうか。


 無謀な挑戦ではあるが、試してみる価値はある。


「出し惜しみはなしだ。全力で行かせてもらうよ」


 瞬間、ノエルの絢爛な魔力が膨張した。

 真紅の瞳が黄金に染まり、異様な雰囲気を漂わせている。


 本能から危険を察知したミノタウロスは、切り刻もうと大剣を振るう。


 しかし、今のノエルには『視えた』攻撃だ。


「未来予測確定。右から袈裟斬り、その三秒後に右手の掌底」


 断定的な声で怪物の行動を先読みする。


 ノエルの発言通り、右から迫る大剣。その斬撃をあっさり避けて、収束した魔力障壁で右手の打撃を受け止める。


 ノエルが『千里の魔女』と称される由縁。数秒後の未来を予測し、確定以前の出来事を改変する能力。『未来視ラプラス』と呼ばれる特殊な瞳の異能である。


 故に、ノエルへの攻撃は掠りもしない。


『GYAaa・・・・』


 警戒したミノタウロスは後退する。

 その僅かな隙をノエルは見逃さなかった。すかさず無詠唱で氷の鎖を生成して動きを止める。


 無詠唱の分、硬度は劣化しており長時間の足止めは期待出来ない。しかし、一瞬でも動きを封じられれば魔術の発動は可能だ。


 杖の穂先を怪牛の口内に当て、ノエルは大勝負を仕掛ける。


「天地雷鳴の閃光を顕現せよ、霹靂一章」


 鎖を破壊したミノタウロスが攻撃に移るよりも早く、ノエルは詠唱を終えて魔術の銘を叫んだ。


「『轟雷バジリスク』っ!」


 強烈な電流がミノタウロスの全身に迸る。怪物の悲痛な喚き声が森中に響いた。


 黄金の瞳は真紅に戻り、ノエルは力なくその場に膝をつく。短時間に膨大な量の魔力を消費した反動が来たようだ。もう立ち上がる余力など残っていない。


「はぁ、はぁ。これで、どうだい」


 呼吸を乱しながら怪牛を見上げる。

 智謀を尽くし、打てる手は全て尽くした。


 裂帛の気合いと共に放たれた雷撃を受けて尚、ミノタウロスは立っている。


(これは、マズイな・・・・)


 冷や汗が頰を伝り、大地に滴る。


 逃げることは不可能だと悟ったノエル。

 無抵抗な獲物を好機と捉えたミノタウロスは大剣を振り翳す。


(あぁ、死ぬのか)


 振り上げられた大剣を眺めながら、ノエルは死を覚悟した。

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