第一話 「路地裏での一幕」
「おいお前、痛い思いしたくなきゃ有り金全部置いて行きな」
「あ、あはははは・・・・」
薄暗い路地裏で少年ーーーエリク・クロフォードは男二人組に絡まれていた。
見上げるほど大柄な男とその隣に並ぶ細身の男は、巧みな動きで路地を塞ぎ退路を完全に断つ。
見た目は二十代後半で、凶悪な形相は剣呑な気配を醸し出している。薄汚れた粗衣と手慣れた動きから察するに、物盗りに違いない。
物盗りは異国からの来訪者を主な標的としている。何故なら、物珍しい道具や衣類は高く売れるからだ。
不覚にも捕まってしまった。入国時に門の看守から忠告をを受けたにも関わらず、路地裏に引き込まれ脅されているのだから不覚だろう。
(とりあえず慎重に言葉を選ばないと・・・・)
嘲弄の視線を送る男達に、苦笑いを返すエリクは全力で思案する。
此処から先は取引だ。下手なことを口走れば命取りになる。
僅かな金品しか持ち合わせていないエリクにとって、この状況は一歩間違えば死活問題なのだ。
物盗りに遭遇した場合の想定はしていた。こんな事もあろうかと、事前に打開策の一つや二つは講じている。
「あの〜、僕から提案があるんですけど」
恐る恐る手を挙げて、エリクは提言する。
しかし、大柄の男は舌打ちして鋭い眼光で威圧してきた。
「ああん?俺らの言葉が聞こえなかったのか」
「俺たちは有り金全部って言ったんだよ。テメェ、舐めてんのか?」
「いえいえ、決してそんなことはありません」
男達は聞く耳を持たず、エリクは内心溜め息を吐く。このままでは八方塞がりだ。
お金取られたらどうしよう、などと心配しながら別の方法を思考する。
必死に思考する中、痺れを切らした細身の男が懐から何やら取り出す。
その手には小さなナイフが握られていた。エリクの襟を掴み、ナイフを首筋に突き付ける。
「・・・早くださねぇと、刺すぞ」
「分かりました。分かりましたから、刃物だけは勘弁してください」
両手を挙げて観念の意を示すエリク。
嫌々ズボンのポケットから金貨の入った袋を取り出し、名残惜しそうに手渡した。
これで要件は済んだはずだ。もうこれ以上、路地裏に居座る理由はない。
男二人組から解放されたエリクは颯爽と大通りに向かうが、
「ちょっと待ちやがれ」
背後から思いっきり肩を掴まれて、路地裏に強引に引き戻される。エリクは足を掛けられ、盛大に尻餅を着いた。
お尻を摩るエリクの目の前には、先程の物盗り二人。嫌な予感しかしない。
金を巻き上げて調子に乗った男達は、エリクに追加の要求を述べる。
「四つん這いをして靴の裏を舐めたら家に帰してやる。いい声で鳴いてくれよ」
「ついでに服も剥いで行こうぜ。こいつの服は高く売れそうだ」
「さすがにそこまでは・・・・」
「何だ?殺されてぇのか」
卑しい笑みを浮かべて嘲笑う男達。刃物を向けられるエリクに反抗する術はない。
穏便に事を済ませるため、屈辱的な行為に及ぼうとしたその瞬間ーーー
「動かないでください」
その透き通った声は、男達の卑劣な言動も、悪質な行為も、エリクの思考も、全てを停止させた。
路地裏の入り口には十六、七歳程度の少女が仁王立ちしている。
肩まで伸びる茶髪が風で靡く。水色の瞳はエリク達を見据える。何処か大人びた雰囲気に幼い顔立ちが、彼女の魅力を際立たせていた。
羽織ったシャツに黒いスカートは、優雅さと軽快さを兼ね備えた装い。
その場に居合わせた全員が、彼女の美貌に魅了されていた。
「大の大人が寄ってたかって子供を虐めるのは関心しませんね」
再び響く少女の声音は、路地裏の静寂を引き裂く。我に返った男達は突然の介入に動揺し、焦りを隠せない。
焦燥を表情に浮かべながら、男達は言葉を紡いで言い訳をする。
「子供に不当を働くなんて言語道断です」
「ち、違うんだ。こいつは俺らの大切な物を盗んだんだよ」
「そうそう。だから灸を据えてる途中なんすよ」
少女は小首を傾げながら、男達の言い分を真面目に聞く。
「そうなんですか?」
その後、エリクに視線を向けて状況を悟ったのか、帰る素振りを見せない。
「その話が本当だとしても、貴方達を見過ごすわけにはいきません。」
「嬢ちゃん、一人で俺らに逆らおうってのか」
男達の態度は一変。
警戒した細身の男はナイフを強く握り、大柄の男はすぐさま身構えた。
「早く逃げてください。貴方まで巻き込んでしまう」
エリクの必死の警告を聞き入れず、少女は一歩前に出た。
路地裏に満ちた緊張感が男達の警戒心を煽る。
「そこのガキの言う通りだぜ。俺らも嬢ちゃんに乱暴したくないからな。ここでの出来事を他言しない自信があるなら、回れ右して帰りな」
「生憎、私は彼を見捨てるほど薄情な人間じゃありませんよ」
男の温情を拒否した少女はエリクに優しく微笑んだ。
厚意を無下にされた男は激怒した。どうやら少女の素っ気ない発言は、男の逆鱗に触れてしまったらしい。
「どうなっても知らねぇぞ」
冷静さを失った大柄の男が少女に襲い掛かる。
躊躇なく振り下ろされた拳は、少女に当たる直前、透明な壁に阻まれ鈍い音を立てた。拳に激痛が走り、苦悶の声を上げる。
何が起こったのか、理解できなかった。出来るのはただ、男の拳撃が弾かれたという事実のみ。
「まさか、魔術か?!」
ポツリ、と先程の事象に適する単語を細身の男が呟いた。
魔術。それは体内を循環する魔力を利用し、物理法則を無視して強制的に現象を引き起こす魔法起術。魔術を使える一部の人間は、世に言う魔術師という存在である。
詠唱なしに発動した魔術は、少女の実力を証明するには十分だった。
「な、なんで魔術師がこんな場所に・・・・」
攻撃が通用しないと理解した途端、男達は弱気になって後退する。男達の顔からは血の気が引き、戦意が喪失していた。
「そこの少年に今後一切、関わらないと約束できるなら見逃してあげますが、どうしますか?」
「・・・・っ」
少女は掌に燐光を収束し、男達に向けて問いかける。
青ざめた男達は路地の入り口へ一目散に駆けた。
「ここは退いてやる。俺の寛大な心に感謝しな」
「お前ら、次会ったときは覚えてやがれよ」
振り返った男達は悪態と恫喝を吐き捨てる。それは精一杯の誇張なのだろうが、少女を脅すには至らない。去り際に舌打ちをして大通りへ、尻尾巻いて逃げて行った。
男達の姿は消え、路地裏にはエリクと少女の二人が取り残される。
「あの、助けていただきありがとうございます」
「感謝には及びませんよ。私が勝手に行ったことですし」
オドオドと感謝を告げるエリクを手で制し、少女は不敵に微笑んだ。負い目を感じさせないよう配慮をしている。
少女は「それに」と付け加えて、エリクの腰を指差した。
「私が加勢しなくとも、貴方なら物盗りの一人や二人くらい退けられたはずです。どうして実行しなかったのか、不思議なくらいです」
エリクが腰に携える二本の剣。それは飾りではなく、紛れもない本物だ。
強硬手段を取らなかった事には譲れない理由があった。
「僕は他人を傷つけたくありません。それにこの剣は大切な人を守るための武器ですから」
「・・・・優しいんですね」
勝手な理由で誰かを傷つけるのは、エリクの騎士道精神に反している。
少女の口から率直な感想が溢れた。
こほん、と咳き込んだ少女は名乗り出る。
「まだ名前を名乗っていませんでした。私はアンリ・クラリエッタ、国々を放浪する旅人です。よろしくです」
「僕はエリク、エリク・クロフォード。訳あってここ、ティルファニア帝国に滞在してます。よろしく」
丁重な自己紹介を済ませて握手を交わす。社交辞令を終えたところで、アンリはエリクの姿を頭からつま先までじっくり眺める。
「意外に鍛えてるんですね」
「多少の剣の心得はあります。母は剣術に優れていたもので、半ば強制的に稽古をつけられてて」
「となると、エリク君って高貴な貴族だったりします?まさか、王族だったりして・・・・」
「・・・・いえ、普通の家庭ですよ。ちょっと特殊な家系でしたけど」
剣の柄に触れてエリクは過去を懐かしむ。
アンリの好奇心はエリクの頭部に注がれた。
「黒髪黒眼なんて珍しいですね。それに服装も・・・・推測するに、エリク君は北国出身でしょう?」
ふふん、と鼻を鳴らしてドヤ顏を決めるアンリ。眉を顰めるエリクの困った表情を見て、
「・・・・あれ?私の推測外れてました?」
「あ、はい。少しどころか、全くと言っていいほど的外れでした」
「・・・・忘れてください。絶対に忘れてくださいね」
アンリは羞恥心に紅潮させた顏を両手で隠す。
指の隙間を少し開き、つぶらな瞳でエリクを見つめる。
「改めて聞きますけど、エリク君はどこの国の出身なんですか?」
「えっと、リンブルグ王国です。もう滅んじゃったんですけどね」
「・・・・確か、『黒剣の英雄』でしたっけ」
七年前、リンブルグ王国に伯爵らが反旗を翻し、戦争が勃発した。
しかし、リンブルグ王国の軍勢は一夜で壊滅。漆黒の魔剣を持つ少年がたった一人で滅ぼしたのだ。
リンブルグの国王に異論を唱えた伯爵らは少年を讃え、敬意と畏怖を敬してこう呼んだ。『黒剣の英雄』と。
誰もが一度は聞いたことがある名だろう。現にアンリさえ認知している。
「・・・・すみません。暗くなってしまって」
「いいですから。過去の話ですし、頭上げてください」
無神経な発言をした罪悪感に狩られて、アンリは何度も頭を垂れた。エリクは謝罪するアンリを必死に止める。
二人は重苦しい空気に包まれた。
((気まずい・・・・))
エリクはどんな話題を提供すればいいか考え込むが、思い返せば女性と話した経験があまりない。
話の路線を切り替えるべく、アンリは話を切り出す。
「そ、そう言えば物盗りに何かされませんでしたか?」
「所持金を取られたぐらいで・・・・ああでも、怪我はしてませんよ」
「ぐらいって、大損害じゃないですか!」
アンリの大声は路地全体に響いた。
今、エリクの抱えている問題は寝床と食事の宛がない事。金貨を失った以上、宿に宿泊することも出来ず、明日の食料さえ確保出来ない。
「私が早く仲裁に入っていれば、こんな事には・・・・」
「気にしないでください。僕が招いた結果ですし、アンリさんが責任を負う必要なんて何一つありません」
「いえいえ、そういうわけにはいきません」
項垂れるアンリを慰めに入る。
何か案が閃いたのか、アンリが突然手を叩いた。
「そうだ!いい事思いつきました。エリク君、働く気はありませんか?」
「働く?仕事か何かですか?」
「はい。私の友人がお店を営んでいるので、そこで働く気はありませんか?」
「いやいやいや、僕がお邪魔したら迷惑ですよ。第一、仕事の経験なんてないのに・・・・」
「剣の腕に自信があるエリク君なら大丈夫です。それにエリク君がお金を取られた事には私にも責任があります。・・・・勿論、報酬は弾みますよ」
遠慮するエリクを勧誘するアンリ。
押し切れないと判断した少女は、この局面で絶大な効果を期待できる切り札を投入。
「私はエリク君の恩人。貴方は私に恩義を感じているはずです。然らば、私には要求する権利がありますよね」
勝ち誇った表情を見せるアンリ。案の定、エリクは何も言い返せない。
アンリは恩義を利用して同行を強要してきた。当然、エリクは救われた身として要望を受ける義務がある。
遅かれ早かれ仕事に就こうと考えていた。この情報は無一文のエリクにとってまたとない吉報だ。
「で、でも・・・・」
「沈黙は肯定と受け取ります。それじゃあ、出発しますよ」
決断に頭を悩ませるエリクの手を掴んで、アンリは雑多な大通りに飛び出した。
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