ep1:その無造作にかけられた上着は―――。

結論から言おう。


私は記憶喪失だ。

「記憶喪失だ。」というと少し御幣がある。

正しくは、


私には名前の記憶すらないことを思考が安定してきたところで

理解することになった。

それと同時に、現在私が横たわっているベッドも自分の所有物ではなく

病院のものであり、そしてここも病室なのだと悟った。


その部屋で一番明るい対象物を見つめていた私はそれから視線を外し、

ここでやっとあたりを見渡す。


窓。白い壁。椅子。カーテン。水道。ソファ。キャビネット。テレビ。ラジオ。

点滴。わたしの腕。そして枕元にナースコール。


おそらく椅子はお見舞い用の椅子。

水道は洗面台と思わしき鏡のついたもの。

ソファには誰のか分からない上着が背もたれに無造作にかけてある。

誰かの忘れ物だろうか?ただおそらく私の知り合いであることは確実だと思う。


そして枕元のナースコールのつながっている線をなにげなく辿ってみると

コードの横に患者カードらしきものが見えた。


「………みやた、あさ」


宮田朝。十中八九私の名前だろう。

しかしどうしてこうなっているのかは、まったく理解ができない。


私は亀よりも遅く、ゆっくりゆったりと上体を起こそうとする。

あらゆるところが存外痛い。結構長く寝ていたのだろうか。

頭の中で鐘がなる様にこめかみから血が巡っているのを感じる。


「ぅ…っ………!」


誰に言うわけでもなく、自分自身に声をかけ激励するように

声を出し、状態を起こしていく。


普通に座った状態になるまでに、3分はかかっただろうか。

上半身をお望みの角度にできた私は改めて自分の体を見る。


私は女で、なかなかに細身。

胸も…ほほう、ないわけではないな。

爪は、少し伸びているだろうか。

色がかなり白い。寝ていたから?関係あるだろうか…。

身長はどのくらいだろうか?


冷静に分析をする私ははたからみたら異様だったと思う。


見るもの全てが新しく感じる。

よくSFで創造される感情付きのロボットやヒューマノイドはこういった気持ちなのだろうか。


それが私の素直な感情だった。

もはや私は宮田朝という名前をつけられたただの人間の女なのだと

このときはそう思わなくもなかった。


そしてしばらくぼうっとしたあと足を横にずらし、ベッドに腰掛ける体勢にしようと

布団から足を出し、空間に投げ出す。

ぺた、と冷たい床に足が触れ、ここで初めて温度を感じた。


それと同時に外で話し声が聞こえた。


「―――――――――で、―――――り―――ました」

「――――ません―――」


聞こえたのは二言。

二言交わすとこの部屋の扉が開く音がした。


「朝ー、起きた……か…」


を呼びながら入ってきた男の人はベッドに腰掛ける私を見て

声を途切れさせた。顔は疲れきった顔から今にも泣きそうな顔に変わっている。


「おはよう」


私はソファにかけられた上着の持ち主と思わしき男の人に

なんともなしに、声をかけたのであった。


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驟雨-しゅうう- 仁坂よみ @1610mm

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