短編小説
@harunouta
幸せの涙
幸せすぎると涙が出ると彼女は僕に言う。そんな訳がないだろうとずっとずっと思っていた。
僕は今まで彼女が涙する姿を見たことがなかった。
感動ものの映画を見ても涙を見せることはなかったし、身近な人が亡くなっても、泣くことはなかった。どうして泣かないのだろうと思ったことはあったけれど、「どうして泣かないの?」と聞くことは出来なかった。
そんなある日、彼女は言った。
「私、泣かないの。」
と。泣かない…泣けないのではなく泣かないのだと彼女は言うのだ。なぜだろう。僕はまた「なんで?」と聞くことができなかった。
また別の日、僕が仕事から帰ってくると彼女は機嫌が悪いようで、ソファで体育座りをしてジッとしていた。
「なにがあったか聞いてもいい?」
と言うと
「なにもなかったよ、大丈夫」
とそう言って彼女は晩御飯の支度を始めた。
「言えばいいじゃん。僕は君の弱音を吐く姿も、涙を流す姿も見たことがないし、見ても幻滅するわけない。だから、全部吐き出せばいいじゃないか。」
「ダメ。」
「なぜ」
「言えば…泣いてしまうから。」
「泣けばいい。僕が受け止める。」
そこまで言っても彼女は頑なにダメだと言った。なぜ僕に弱さを見せないのだろう。
また別の日、僕はある決心をして花束とある特別なプレゼントを持って彼女を個室のあるお店へ呼び出した。
「いきなり呼び出すからびっくりした」
「たまにはおしゃれなお店で食事をするのもいいじゃない」
「それは確かにそうだけれど…」
「ん?」
「私には勿体無い気がして…」
腕をさすりながら申し訳なさげにしている彼女が少しだけ小さく見えた。
「そんなことないよ、君がそんなことを言うなら僕の方がよっぽど勿体無いさ」
顔を上げて君が笑う。その顔が僕はとてつもなく大好きだった。
ディナーを楽しんだあと、彼女と手を繋いで帰った。本当は彼女に伝えたいことがあったけれど、あの場所で言うのは僕らしくないと、そう思った。
ダラダラと言う機会を逃して数日が経った。僕は完全に言うタイミングを逃していた。
ある晩、接待を終えて帰宅すると、待っててくれていたのだろう彼女がソファで眠ってしまっていた。ベッドへ運んで彼女の髪を梳きながら「ごめんね」と、そう言うとなぜだか彼女が悲しそうな顔をした気がした。
シャワーを浴びてリビングへと行くと彼女がホットミルクを用意しているところだった。
「起こしちゃった?」
「ううん。おかえりなさい」
優しく微笑む彼女からホットミルクを受け取り、寝室へと足を運ぶ。一緒の布団に入り少しだけ布団を掛けてやると「ありがとう」と言うものだから
「僕こそ、いつも起きて待っていてくれてありがとう」
と言った。
「さっき、あなたがいなくなる夢を見たの…一生懸命頑張っているのに お前は認めてくれない。振り向いてくれない。信用してくれないって言われた…ほんとにそう思われてるのかなって…おもって」
体育座りをして膝に顔を埋めるようにしてうずくまるから
「僕、そんなこと言ったことないでしょ」
「ないから心配になるんだよ。いつかいなくなるかもしれないなって。私弱音とか吐けないし…信用されてないって思わせてるのかなって…」
「僕は君が一生懸命頑張って自分の気持ちを隠していることを知ってるよ。」
そう、知っている。本当は泣きたいくらい悔しいときも、今すぐに泣き出してしまいたいくらい悲しい気持ちでいっぱいなときも、君はずっと心の奥の奥まで押し込んでなかったことにしてきたこと。僕は知ってるよ。
「うん。でもね、信用してないわけじゃないんだよ、むしろ、私の分までたくさんお仕事頑張ってくれて、私も仕事してるけどそんなの比にならないくらい頑張ってて、いつもありがとうって気持ちでいっぱいなんだよ。ただ、伝えられてないのかなって。頑張ってくれてありがとうって…」
「毎日帰りの遅い僕を待っていてくれて、美味しい晩御飯まで用意してくれて、お帰りって言ってくれる君の何が伝わってないの?」
僕の言葉に驚いたように顔を上げて「ありがとう」と微笑む君に僕は言いたいことがあるんだ。
「僕と…結婚…してくれませんか…?」
「え…?」
「本当はこの間行ったお店で言いたかったんだ。でも、僕らしくないと思って…おかえりって迎えてくれる君と、こうして同じベッドで同じホットミルクを飲みながら、怖い夢の話をして、いつもありがとうって言い合って…そんな時に僕は君に好きだって、結婚してくださいって言いたいと思って…」
彼女と目を合わせ、優しく微笑むと僕は止めどなく溢れでているそれを掬うために彼女の頬に手を触れた。
「私なんか…」
「僕は君がいい…」
「私でいいの…?」
ゆっくりと目を見ながら頷くと頬に伸ばされた手に自分の手を重ねて彼女は弱々しい声で「ありがとう」と繰り返した。
「初めて泣いたところを見た」
「私…泣いたら空っぽになっちゃうと思って、泣いたらね、みんな無くなっちゃう気がするの。悲しいなって気持ちが全部吐き出して無くなって、悲しかったこととか全部忘れちゃうのかもしれないって思ったの。」
「僕とのこの時間も忘れそう?」
大きく首を振る君と目を合わせると止まらない涙を見て笑った。
「なかなか止まらないね」
「幸せすぎると涙が出るね」
そのまま優しく口づけを交わし、その間に僕は左手の薬指に特別なプレゼントを通す。名残惜しく唇を離すとキラキラと輝く彼女の涙が先程より多くなった気がした。
短編小説 @harunouta
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