エピローグ・朝倉東

 最初はいつだったのかと訊かれれば最初は最初だとしか答えようがない。もちろん自覚してから思い出したような話だから、多少こじつけの側面もあるだろう。結論が先か根拠が先かなんて今更わかるはずもない。ただ、教室の真ん中に席を置いていた彼女の名前が「わたむら」「ワトソン」ではありえないことくらい、普通に考えれば一秒掛けずともわかったはずだった。あの時の俺は頭がおかしかった。

 渡村は――本人の性格からすればありえないことに――教室の真ん中に席を置いていた。入学直後の席配置は名前順で、そうでなくとも自由席ではないのだから致し方ないことだ。当人が選ぶとしたらもっと端だったはずで、一般的な高校生と同じく教室の前半分は避けたはずだ。あるいはもっと狡猾なら教卓の影で教員から見えにくくなる中央最前列を選ぶかもしれないが、渡村はそうではない。もっと引数が少ない。とはいえ何も考えていないわけではなく、「きちんと考えること」と「あんまり考えないこと」がはっきり区別されているために、ときどき妙に抜けて見える。

 最初に間近で見たとき、まず美人だと思った。物憂げな目と、すっと筋の通った鼻梁、薄い唇。肌の白さに対して髪は色が濃いから、それなりに真面目に日焼け対策をしているだろうと想像がついた。それを裏打ちするかのように、爪はきれいに切りそろえられている。飾り気はなく、字もきれいだ。流行りに疎くて積極性は低く、几帳面なところがある。パーソナルスペースは人より広い、という具合。――俺自身の名誉のために言っておくが、この程度の推察は誰を相手にもやっていることだ。二秒ほど眺めただろうか、渡村が「何かあった?」と言った。怪訝を隠しもしない声だった。それが一番最初だ。

 個人の性質なのか家がああだからなのか、俺は基本的に人間の心の機微に疎い。なにせ弁護士の家系だ。人間総体としての感情はある程度パターン記憶でカバーしているものの、個人的な感情のフォローは範疇外だ。渡村に関してもよくわからなかった。振れ幅はかなり小さく見えたし、自身の話をすることが極端に少ない。誰に話しかけられても似たような態度を取るが、自分から誰かに話しかけに行くことはほとんどなかった。会話上では他人に興味を示して「それでどうなったの」「なんでそうなったの」と聞き返してはいるが、それ以上のことはない。自分のことも訊かれれば話すが、すぐに「そっちはどうなの」と別の人間に話をパスしてしまう。基本的に踏み込まないし踏み込ませない。

 そんなふうだったから、そうだなたぶん、俺の中で明確に渡村が特別になったのは、渡村が俺に自分の話をしてくれたときだ。周囲の連中から頭一つ抜きん出た気がして、随分舞い上がっていたな。まあ、「今思えば舞い上がっていた」くらいの話で、当時は自覚もしていなかったが。あの時から、俺は渡村の特別になりたくて仕方がなかった。おそらく。

「まあ実際、塩崎とか言ったかあの男、あれとの会話に割り込んだのは悪かった。我ながら出しゃばりすぎた。口を挟む権利はなかった」

 俺が話し終わってから一秒ほどを待って、渡村は「朝倉の話は長い」とうんざりした顔で俺を見た。そう言う割に、話の途中では一度だって先を遮っていない。

「訊かれたから説明したんだろ」

「相槌も確認も必要としないのは説明じゃなくて演説って言うの」

 言いながら渡村は頭を抱えて机に突っ伏す。演説、と俺は口の中で繰り返す。質疑応答はともかく、話の途中で相槌や確認を必要としないのは普通の説明じゃないか。

「疑問は解けたか」

「解けてないし面倒くさいから最初から全部聞かなかったことにしたい」

「聞いてなかったんなら一言一句頭から言い直してやるが」

「いいよ聞いてたよわかったよいや全然わかんないけど。っていうかこの前のしおらしさはどこ行ったの水を得た魚みたいにイキイキしちゃってさあ」

「さて知らんな」

「言っとくけど私はあんたなんか絶対やだから」

 突っ伏した腕の隙間から恨みがましい声がする。なんとなく可笑しくなって笑ったら、渡村が少しだけ顔を上げて睨みつけてきた。その目が可愛いのでまた笑う。


 わざわざ「なぜ」などと聞いてくる時点でその「絶対」も底が知れたものだ。

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恋愛探偵朝倉さん 豆崎豆太 @qwerty_misp

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