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 ◇◇


 ―1945年8月6日―


 不安に押し潰されそうになりながら、俺達は夜道を一心不乱に走った。住宅地を抜け、紘一のアドバイス通り川ではなく山に逃げる。


 木や草の生い茂る山の中を無我夢中で突き進むと、沢から水が流れているのを見つける。水があれば、数日は生き延びることが出来るはずだ。山を登り斜面に小さな洞窟を見つけ2人で潜り込む。


 不安と恐怖から、会話が途切れた。

 その時、朧気な光が空中にふわふわと揺れた。


 草木の間から……

 ひとつ、またひとつと空中に青白い光が点滅する。


 夜が明けたら、原爆投下により広島は焼け野原となる。悲惨な出来事まであと数時間……。


 死が迫っているのに、目の前には幻想的で美しい光景が広がっていた。


 その時、俺は紘一さんが音々の祖父であることを告げ、音々は涙した。


『俺は紘一さんを原爆から助けることが出来なかった……』


 もし紘一さんが原爆で死んだら、音々はどうなってしまうのだろう。


 最悪な状況が脳裏に過ぎり不安に苛まれる。膝を抱え蹲り、涙をこらえた。


 音々が俺の背中に手をあてる。

 背中にじんわりと温もりが伝わる。


 みんなを救えなかった悔しさに、涙がこぼれ落ちた。


『私も……ももと同じ気持ちだよ』


 瞳を上げると、そこには潤んだ瞳の音々……。


『ねね、俺のこと思い出したのか?』


 音々は首を横に振る。


『ごめんなさい。まだ思い出せないの……。でも、ももがとても大切な人だった気がする……。私達……もとの時代に戻れるのかな。このままここで死ぬのかな』


『もし戻れなくても、俺がずっとねねの傍にいるよ。ねねを死なせたりしない』


『もも……』


『今まで言えなかったけど、俺……ねねのことがずっと好きだった……』


 音々の頬に涙がこぼれ落ちた。

 俺は音々を優しく抱き締める。


 イルミネーションのような蛍の青白い光に包まれ、俺は音々の頬を伝う涙にキスをした。


 ◇◇


 ―2016年5月28日―


 俺は音々の手をそっと繋ぐ。


「ねね、俺のこと全部思い出したのか?」


「……もものこと、忘れるはずないよ。ももこそあの日のこと、全部思い出したの?」


「うん、全部思い出した。俺、あの時言ったこと、嘘じゃないから。ねねは……?」


「私も……ももと同じ気持ちだよ」


 ――これから先、どんなに年月が流れても……


 俺達が、あの日、あの夜、ここで見た蛍の青白い光は、一生忘れることはないだろう。

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